ミヒャエル・エンデ『モモ』の感想

モモ
作・画=ミヒャエル・エンデ/訳=大島かおり/発行所=岩波書店

この作品は学校の「課題図書」によく選ばれているみたいです。もちろん、若い想像力をかき立てるという意味では、素晴らしい作品です。しかし、作品に込められたメッセージについて、子供たちがどのように受け止めてほしいと、大人たちは考えているのでしょうか?

どう受け取るかは読み手の自由――というのは正論ですが、じゃあ課題図書としてはもっと無難な作品がいくらでもあるでしょう。『モモ』はかなり社会批判の要素が強い、説教くさい部類に入ります。遊び方の固定されたオモチャや、能率を最優先してあくせく働くことを激しくディスっています。これを「大人が子供に」読ませる時、そこには一体どんな思いがあるのでしょうか?

①大人になって社会から追い立てられても、本当に豊かな時間の使い方を忘れないでほしい。
②大人になったらどうせ社会から追い立てられるんだけど、とりあえず今は無難な感想書けばいいから。

本気で①みたいな気持ちで推薦してくれているならいいのですが、どうも②が本音という人が少なくないような気がしてならないのです。

僕はたまたま今のところ、さほどあくせくしない働き方をしていますが、小学校時代は相当の時間をスーパーファミコンに費やし、親の送迎で塾に通って中学受験をしました。つまり、『モモ』に描かれているような豊かさとは程遠い少年時代でした。今後、何かの間違いで結婚して子供が生まれて、都会に住み続けるとしたら、僕もあくせく働いたり子供に最新のゲーム機を買い与えたりするでしょう。そしていつか子供が『モモ』を読み、「親父はここに書いてあることどう思ってんの?」と訊かれたら、グウの音も出ません。「理想と現実は違うのさ」なんて口が裂けても言いたくありません。

『モモ』は、児童文学に分類されていますが、大人が読むべき作品です。

今の社会は「灰色の男たちの支配がほぼ完成した世界」であり、たぶんみんなそれなりに満足しているのです。日本人は働きすぎだのスローライフだのというキーワードが定期的に出てきますが、右から左へ流れていきます。この状況で子供に『モモ』を読ませるのは、ひどく矛盾していることのように思えるのです。




――と、これだけ疑問を投げまくっておいて、それでも『モモ』をプッシュしたいのは、ひとえに第一部の素晴らしさのためです。全三部のうち第一部こそ『モモ』の真骨頂です。

第一部では、モモという優秀な聞き手によって、周囲の人々の暮らしや遊びがどれだけ豊かになったかが描かれています。左官屋のニコラと居酒屋のニノによる「喧嘩と仲直り」、本気すぎる「暴風雨ごっこ」、観光ガイドのジジが語る「ホラ話」は、いずれも相当量の文字数が割かれており、このうえなく色鮮やかで感動的です。ここに十分なボリュームがあるからこそ、灰色の男たちに介入されたあとの世の中が寒々しく感じられるのであり、モモと男たちとの攻防は実のところオマケでしかないと個人的には思っています。

「人の話を聞く力」というのは、自分の話をしたがらないことや、上手な相づち、的確な質問などによってそれなりに繕うこともできるでしょうが、一番大事なのは「雰囲気」です。モモには、「聞く力を発揮して円滑なコミュニケーションを図るぞ」とか、「聞き役に回ればモテるらしいぞ」といった、「目的」が一切ありません。本当にただ聞くだけというのは、現代人にはなかなかマネできないのではないでしょうか。

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