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『野ブタ。をプロデュース』著者の白岩玄さんは若い頃、宇多田ヒカルさんに夜な夜な昔話のパロディーを送りつけていたそうです。 

夜な夜な宇多田ヒカルへファンレターを送る20歳フリーター、ある日突然作家になる - 朝日新聞デジタル&M

 20歳のときに、ぼくは夜な夜なくだらない昔話のパロディーを書いて、それを歌手の宇多田ヒカルさんに送っていた。宇多田さんの公式サイトは、当時ファンからのメッセージが送れるようになっていたので、そこに「おばあさんが流れてきた桃に気づかなくて、桃太郎が何回も川下りをし直す」みたいな物語を貼り付けて、毎週のように送っていたのだ。

 いくら彼女のファンだったとはいえ、相当イタい人間だし、今考えると大変ご迷惑なことをしていたなと思う。でも当時のぼくは、ヒッキー(宇多田さんの愛称)が自分の書いたものを読んで笑ってくれるとけっこう本気で信じていた。
 それは宇多田ヒカルさんに書いたものを送りつけていた翌年のことだった。綿矢りささんと金原ひとみさんが芥川賞を受賞されたのだが、ぼくはメディアが大々的に報じたそのニュースに衝撃を受けた。自分が彼女たちと同い年だったこともあり、こんなにも注目される同世代の書き手がいるのかと驚いたのだ。

 実はそれまでほとんど小説を読んでこなかったから、芥川賞のすごさなんてちっともわかっていなかったのだが、とにかく彼女たちがまぶしかったし、脚光を浴びているのがうらやましかった。

 たぶん、同じことをした若者が日本中に少なくとも数百人はいただろう。翌日から、ぼくは突然、小説を書き始めた。小説は一度も書いたことがなかったけれど、昔話のパロディーなら書いていたから、その延長でなんとかなると思ったのだ。そしてどうせなら自分の実力を試そうと、小説の新人賞に自分の書いたものを応募することに決めた。賞の締め切りまでは2カ月半しかなかったから、ぼくはバイトを入れる日を減らして毎日パソコンの前に座った。とにかく自分の思うようにやってみるしかない。
 結果的に、ぼくはそのときに書いた小説『野ブタ。をプロデュース』で賞を受け、作家デビューすることになった。ただ、そんなふうに何も知らない状態でデビューしてしまったために、あとあと苦労するはめにもなった。無知のエネルギーには瞬発力があるけれど、厳しい現実の中で長く戦い続けるだけの持久力はない。だから、いいことばかりではなかったのだけど、それでもぼくは、あのとき自分が無知でよかったと思っている。とにもかくにも、こうして作家になることができたからだ。
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パロディーを書き続けることでしっかり経験値が入っていたんでしょうね。



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