コンビニ人間
装丁=関口聖司/発行所=文藝春秋

2016年に芥川賞を受賞した作品です。れっきとした文学作品なのに、ほとんどマンガみたいなスピードで読むことができます。一ページあたりの文字数が比較的少ないせいでもあるでしょうが、「視点が主人公に統一されていること」、「思考の明快さ」、「コンビニという誰もが知っている場所が舞台になっていること」、そして何より「面白さ」のためでしょう。
環境設定も周囲の人々もごく普通で、突飛な出来事もありません。主人公の性格が少しだけ変わっています――正確には、変わっていると周囲から見なされているということを本人が理解しています。

主人公・古倉恵子を他者の視点から描くのは相当難しいでしょう。いわゆる「理解者」に最も近い存在と思われる「妹」でも、恵子の「正当性」をまともに語ることはできないはずです。本人の口からドライに語られているから読み手は理解できるのです。客観化できない、する必要がないとも言えます。もし映画化するなら、森見登美彦さんの『四畳半神話大系』のアニメのように、大量のモノローグで制圧するような映像にしてほしいものです。

それにしても、読み手はきっと「普通の人」が多いはずなのに、どうして「変わり者」の恵子に共感できるのでしょうか?(ここでは共感できたものと仮定します) その理由を二つ考えてみました。※若干のネタバレを含みます。



①我々はみんな、案外、普通ではないから。

僕は子供の頃、「サザエさん」とか「クレヨンしんちゃん」みたいな家庭を持つことが「普通」なんだろうと思っていました。それは実際、「平均的な普通の近似値」ぐらいのものではあるだろうと思います。しかし、大人になってみると、思っていたより「サザエさんとかクレヨンしんちゃんみたいな家庭を築いている人」は少ないということがだんだんわかってきました――というのは、僕が友達少ないせいかもしれませんが(・∀・)

「平均的な家庭を持つこと」と「本人の性質が普通であること」は必ずしも一致しないでしょうし、世の中で「普通」と規定されているものは確かに存在する一方で、その規格に当てはまらない人はずいぶんたくさんいるようなのです。しかもそれは「平凡さを嫌って」とかではなく、ナチュラルにそうなのです。

ところが、繰り返しになりますが、世の中には「今はこうするのが普通」という尺度が傲然と存在しています。わりとみんな、その尺度との戦いに疲れた経験があるから、恵子の困難を理解できるのではないでしょうか。



②恵子に魅了されるから。

『コンビニ人間』の恵子は、魅力的です。「理由はうまく言えないけど好き」とか「生理的に嫌い」みたいな、言語化できない要素が少しもありません。すべての思考・行動が論理的です。ロボットみたい――と書くとあんまり好ましい印象になりませんが、ロボットとしてのスペックが非常に高いのです。さらに、学習意欲もあります。彼女はたまたまコンビニのスタッフ募集を見かけたから優秀なコンビニ店員になりましたが、見かけたのが暗殺者募集のチラシだったら優秀なアサシンになっていたでしょう。

恵子の思考を追うことは、強い棋士の棋譜を読むのに似た爽快さがあります。

そして、ほとんどの出来事に受動的だった恵子が、最後のシーン、自分の考えで行動を起こします。ここがものすごく感動的なのです。ロボにたとえると、「秘かにずっと発動していたプログラムを認識した!」みたいな感じです。「プログラムに逆らって動いた!」とはちょっと違います。ちょっと伝わりにくいでしょうか。ロボにたとえないほうがよかったかもしれません。

恵子はコンビニ店員のプロフェッショナルであり――本人は絶対こんな表現使わないでしょうが――コンビニを愛しているのです。仕事に愛をもって一生懸命やっている人が魅力的というのは、考えてみれば当たり前のことですね。



補足すると、「恵子がどうやら美人ではない」というのも『コンビニ人間』の美点です。「美人でない設定のほうが支持されそう」な場合でも、たいていは無難に「あまり目立たない」とか「地味」という程度におさえられるんですよね。しかし恵子は白羽から「性欲処理すらできない」などと言われていますから、まぁブサイクなのでしょう。この設定、英断だと思います。




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