剣術修行の旅日記
装幀=芦澤泰偉/発行所=朝日新聞出版

佐賀藩の牟田文之助という武士が嘉永6年(1853年)から2年間にわたって武者修行をした日記『諸国廻歴日録』に基づき、その足取りを追いながら、当時の「武者修行」の実態に迫る研究書です。
「たのもう!」で始まり、正座した門人たちの鋭い視線を浴びながら、殺し合いさながらの真剣勝負をする――「武者修行」という言葉を聞くとたいていの人はそんなイメージが浮かぶのではないでしょうか。本書は、そういったイメージはフィクションから拡大再生産されてきたものであって、実際の武者修行はわりと和やかなものだったと分析しています。

要点をざっくりまとめると、
・この時代の剣術には審判がいない。武者修行とは「地稽古(乱取り)に混ぜてもらう」ということ。勝ち負けは自己判断。
・そのため、遺恨が残りにくい。夜は仲良く酒を飲む。
ということだったようです。

江戸時代は実に魅力的な時代なので、大量のフィクションが生産されています。どの程度の創作が許されるのかという明確な基準はなく、作者が間違った資料を参照している場合もあるでしょうし、フィクションとして読んでもらうつもりで書いたものが史実として読まれてしまうというケースもあるでしょう。よって、私たちは江戸時代について誤解していることが大量にあるはずです。外国人が持っているEDOやNINJAのイメージを笑える立場ではないのです。

「武者修行」、さらには「幕末」についても、本書は既存のイメージをひっくり返してくれます。

嘉永6年というとまさにペリーの黒船が浦賀に来航した年です。一般的なイメージとしては、“黒船来航→日本中ドッタンバッタン大騒ぎ→坂本龍馬見参!”……という感じなのではないでしょうか。実際、西へ東へ奔走する志士も大勢いましたし、新選組を中心に内乱もたびたび起きています。しかし、牟田文之助の修行日記からは「幕末」っぽい雰囲気は少しも感じられません。むしろ、のびのびと修行をしています。武者修行の制度は“西欧に対抗する必要性→藩校が充実→武道を奨励”という流れから整えられたそうですが、文之助の日記から「わしの剣術で異人どもをやっつけるぞ」という気概は伝わってきません。そして、これはたまたま文之助がひどくのん気だったというわけでもないようなのです。

歴史の転換点であろうと、全員がそれに夢中だったわけではないし、末端の人々は結構ふつうの暮らしを続けていた――ということなのでしょう。



本書は「剣術のスポーツ化」にも言及しています。怪我をしにくい「竹刀」の登場で修行がしやすくなった反面、「実際の斬り合いとはかけ離れている」という批判が当時からあったそうです。

実戦では、真剣を用い、防具は用いず、足元はピカピカの板間ではありません。有効部位は面・胴・小手・突きだけではありませんし、武器同士がぶつかる感触も真剣と竹刀ではだいぶ違うはずです。それでも竹刀が廃されず、剣術ブームが起こった理由を、著者の永井さんは「面白いから」と説明しています。娯楽の少なかった当時、剣術は「だんだんスポーツ化してしまった」のではなく、「最初からスポーツとして流行った」のだといいます。

剣道をスポーツ呼ばわりすると怒る人がいるかもしれませんが、僕自身は剣道について「打撃武器を扱う極めて実戦的な武道」だと思っています。「互いに白刃を持って死ぬまで斬り合う」という状況が現代社会ではほぼあり得ないわけで、「手ごろな長さの棒でスナップを効かせて打つ」という戦い方は、むしろ理にかなっています。僕は大学の授業で剣道を取っていたのですが、有段者が正眼に構えていると、たとえこちらが真剣を使ったとしても勝てる気がしません。軽く小手を打たれて終わりでしょう。




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