魔術
カバーデザイン=工藤強勝/発行所=偕成社

偕成社の『杜子春・くもの糸』には12の短編が収められており、この中で僕は『魔術』が最高傑作だと思っています。大変よくできた一枚の風刺画のようです。※以下、ネタバレを含みます。
まず、書き出しが素晴らしいです。

あるしぐれのふる晩のことです。わたしを乗せた人力車は、なんども大森かいわいのけわしい坂をあがったりおりたりして、やっと竹やぶにかこまれた、小さな西洋館のまえにかじぼうをおろしました。
©芥川龍之介『杜子春・くもの糸』収録『魔術』p.152/発行所=偕成社

こんなにも情緒的で、なおかつスマートに情報を伝える書き出しは滅多にお目にかかれません。「しぐれ」で季節が秋から冬だということ、「人力車」や「西洋館」でおよそ戦前のできごとだということがわかります。「大森かいわい」で東京・大森のどこかだということだけは明らかになりつつ、けれど「なんども」「坂をあがったりおりたりして」辿り着くということから、読者は「現実にあるかもしれない場所」として受け取ることができます。さらに、「しぐれ」は重要な伏線にもなっているのです。



書き出しからずっと無駄がなく、良いところを挙げていくとキリがありませんが、秀逸なのはやはり、魔術を習う過程をスキップしているところでしょう。魔術そのものが丁寧に描写されているだけに、どのように魔術を教わるのかは読者にとって非常に興味深いところであるにも関わらず、あえて飛ばすことによって神秘性が増しています。しかも、実はまだ習っていないわけですから、事実関係と一致しているとも言えます。

ほとんどボロを出しそうになかった主人公があっさりと翻ってしまうところも、過不足なく、見事な文章です。必死に抑えつけたり抗ったりしていなくても、スッ……と出てきてしまうのが「欲」なんですよね。



僕が最も感銘を受けたのは、ミスラくんの最後のセリフです。

「わたしの魔術をつかおうと思ったら、まず欲をすてなければなりません。あなたはそれだけの修行ができていないのです。」
©芥川龍之介『杜子春・くもの糸』収録『魔術』p.169/発行所=偕成社

この言葉は、一見すでに相手も読者も知っていることを繰り返しているだけのようですが、よく見ると巧妙な一文です。言外に「修行をすれば欲をすてることができる」そして「欲をすてれば魔術はつかえる」ということを伝えているのです。このミスラくんの言葉によって、『魔術』は「欲をかくと失敗するぞというただの訓話」になることを回避し、「広大な世界の一面を切り取った物語」という印象を残しています。



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