ハツカネズミと人間
カバー装幀=沢田としき/訳=大浦暁生/発行所=新潮社

1937年発表、カリフォルニアの農場を転々とする労働者たちの物語です。ほとんどの男たちが一人で生きているのに対し、主人公のジョージとレニーはコンビで渡り歩いています。
頭の回転の速い小男ジョージと、頭は弱いけれど怪力の大男レニーは、決して「支え合っている」わけではありません。ジョージはおそらく一人でも生きていけますが、レニーは無理です。「お前さえいなければ俺は気楽に生きていける」と、ジョージからレニーにまくしたてる場面もあります。しかし、ジョージは間違いなく、レニーを必要としています。そのことだけが大切で、対等である必要なんかないわけです。



本作は6つの章に分かれています。※以下、ネタバレです。

①レニーとジョージは新しい農場へ向かう途中、バスの運転手に騙されて野宿します。二人の関係性が示され、また、二人の「夢」が語られます。かいつまんで言えば、日雇いを脱して自作農になりたいという夢です。

レニーは「手触りのいいもの」が大好きなのですが、怪力ゆえ、小動物を「かわいがって」いるうちにすぐ死なせてしまいます。そんなことが今までにも何度もあったようです。

②農場に着いて、仕事が始まります。ケンカ自慢のカーリーと、高飛車な美女の奥さんが「別々に」登場します。この二人は何をやっているんだか、夫婦なのにほとんど一緒にいないのです。

③この農場の良心とも言うべきスリムという男からレニーが子イヌを分けてもらいます。ジョージがレニーの勤勉さをスリムに語るところは、全編を通して唯一心の温まるシーンです。

昔の事故で片手を失ったキャンディという老人が、ジョージとレニーの「夢」の仲間に加わります。キャンディじいさんは事故の補償で、それなりにまとまった額のお金を持っていたのです。絵空事に近かった夢がこれで途端に現実味を帯びてきます。

それから、キャンディじいさんのかわいがっていた老犬が男たちの手で「処分」されたり、カーリーがレニーにケンカをふっかけて返り討ちにあったりします。

④男たちが町へ遊びに行った夜、残された者たちが何故か黒人の馬屋係クルックスの部屋に集合して、非生産的な会話を繰り広げます。カーリーの妻が言い放つ一言には「夫婦」の絶望が凝縮されています。

あんなマッチ箱みたいな家にじっとしていて、カーリーがまず左を二度入れてリードをとり、それからいつもの右をななめに打ちこむ、なんて話すのを聞いていられると思う?
スタインベック『ハツカネズミと人間』p.108/訳=大浦暁生/発行所=新潮社

⑤案の定、レニーは子イヌを殺してしまいます。そして、カーリーの妻をも殺してしまします。カーリーの妻に促されて夢中でその髪をなでているうちに、もみ合いになって首を折ってしまったのです。レニーは以前ジョージから「困ったことがあったらここに隠れていろ」と指定された茂みに向かいます。カーリーの妻の遺体を発見した男たちは、銃を手に取り、レニーを探しに行きます。

⑥レニーのもとにジョージが一人で辿り着きます。先刻カーリーにはレニーを殺さないよう頼んでいたジョージでしたが、結局、ジョージがレニーの後頭部を銃で撃ち、すべてを終わりにします。



最後のジョージの決断をどう見るか――が、本作の核となる部分です。キャンディじいさんが老犬を殺された時、「自分で撃てばよかった」と漏らしたのをジョージは覚えていたのでしょう。しかし、それだけでは、理由としては不十分です。レニーがこれまで「やらかした」時、ジョージはいつでも庇い、一緒に逃げてきたのです。今回も一緒に逃げるという選択肢はあったはずです。

「ネズミ」でも「子イヌ」でもなく「人間」を殺してしまったからなのか、実はもう「我慢の限界」だったのか(愛しながら憎むということはいくらでもありますよね)、刑務所や洞穴に入るより今ここで終わりにしてやるのが「レニーのため」だと思ったのか――どれが最もジョージの真意に近いのか、僕にはわかりません。



また、この作品は、裁判や刑法への問題提起として読むこともできます。おそらく、現代の日本の裁判にかければ、レニーは「殺意なし」&「責任能力なし」ということで、無罪はさすがにないと思いますが、かなり軽い処罰になるのではないでしょうか。その場から逃走したのも「罪から逃れるため」でなく「ジョージから言われていた場所に行っただけ」だと弁護士は言うでしょう。ならば、レニーには寛大な処置がふさわしいのでしょうか?

個人的には、責任能力なし→賠償義務なしという考え方はおかしいと思っています。仮に「被告」が事の重大さを理解できていなくても、「遺族」のために断罪は必要です。



『ハツカネズミと人間』は1992年にゲイリー・シニーズとジョン・マルコヴィッチの主演で映画化されています。僕は観ていないんですが、原作が戯曲に近い形で書かれていることもあって、ほぼ忠実に作られているそうです。

ではここで、重商主義の日本の製作会社がもし『ハツカネズミと人間』を映画化したらどうなるか、想像してみましょう。

・レニーとジョージは「男と女」になり、今をときめく美男美女が演じる。
・レニーは「つい力が入りすぎて」ではなく、「ジョージを侮辱された怒りで」カーリーの妻を殺してしまう。
・ジョージがレニーを殺さない。
・カーリーがレニーを殺そうとしたところに、ジョージが割って入って死ぬ。

……うーん、いくらなんでもここまでひどくはならないですかね(・∀・)




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