ワイはなろう系の特徴を挙げているだけで叩いてはいない
転生ものはやたらと、現地の住人が驚いて評価してくれる描写があるのが特徴かな
そしてなぜか、ゲームのようにステータスやスキルが閲覧可能で、他人も目にすることができて
その内容は絶対的。つまり勝敗は始まる前にだいたいわかってしまう
予想通りに楽勝して、涼しい顔で「こんなもんか」 これがお決まり。中学生があこがれる
理想の「ケンカが強い自分」にそっくりなんだ

昔はキャラクターの格付けと同時に、主人公に対して数値的に勝る相手にパワーアップで勝つ、みたいなのが基本パターンじゃないか?
今は逆に、ステータスが高いので余裕で勝てます、のパターンが基本になっているように見える
強さの数値って昔は悪役側が使ったんだよ。キン肉マンもドラゴボも
つまり能力値で全て決まるわけがない、ってことのアンチテーゼというのがあった
(主人公側が不利だけど何らかの工夫でそれを覆すというのが鉄板だった。無理な理屈でも)
転生ものは、転生の代償として主人公の能力が最初から備わってる、一般住人にも
レベルだのスキルの概念が浸透してる というのが特徴かな。ドラゴボとゲームを足した感じやね
つまりゲームだったらゲーム制作者が支配して設定してるように、なんらかの人知を越えた存在が
支配して設定してるという形を取っている。これは、一般的なお話作りでは禁じ手みたいなもの
素人小説だから出てきたモノだと思う。主人公は何らかの不利や弱点や葛藤を背負っている
というのを転生という代償(当人はさして気にしてない)で全て排除したわけやね。ここが大きな違い
でも強くなったかどうかはそのままではわからないから(戦わずに一生終る可能性もある)
ステータス式にしてるわけやね
下地に修行してたってのがあっても結局謎パワーアップやん
圧倒的格上な主人公な作品なんて昔から多々ありますやん
昔なら無粋なこと言わずに読んだり辞めたりしてたのに
今は叩かずにはいられない人達が増えたよね
次に見つけたターゲットがなろう
そんだけ
押入れにある漫画読んでたらよくこんなもん買ったなとか思うの結構あるわw
売れてる漫画だって設定無理やりだなーてのも多いけど
そういう世界だから~○○理論だから~で許されてる
結末まで読みたいけど描き切る人少ない
ワイは特徴を挙げてるだけで叩いてはいない。
にもかかわらず、なろう系に何らかの引け目を感じる人は
どこかで後ろめたさがあるって事やね。
前にも書いたけど、能力解放なんてのは昔からよくあるが
その代償がある程度は必要だった。クリリンとかね そういうのは
最近は「気分が悪いから」って好まれないのかもしれない
修行も代償の一つ。昔は、修行さえすれば報われるというのが通用した
今は頑張っても報われない時代なんだ。成功してる人は生まれつき天才で運がいい人でしょ、となる
ごちゃごちゃ考えずに楽しいから読む、つまらないから読まない
これでいいのに肯定批判するのに結論ありきで理由を並べ連ねるのは見てる側からしてもちょっとって感じ
いやいずれにせよだけどいちいち攻撃的になってるのがダメだな、単純な考察ならアリだけど
某アニメ監督も言ったそうだが、ファンタジーってのがアヘンになってるのよ
訳もわからず大量投入して陶酔するだけ。まあ別に読者が死にはしないけど、発展もないかなって
ラノベ主流の時だってラノベが叩かれたし
反応してしまう辺りID:JuYOgeILの言葉を借りるなら どこかで後ろめたさがあるって事やね なんだろうな
内心でなろうを見下してるのは自分なんじゃないの?
ジャンル問わず好きなもの叩かれたら良い気分せんやろw
それが「後ろめたさ」でしょ
わいは転生系を全否定はしてない。むしろ昔みたいな努力型の主人公が通用しなくなったと
言ってるんだよ。平凡な主人公がいきなり無双する話が流行るのはなぜか?
これはやはり世相の裏返しだと考えられる。昔は努力が何より絶対だったから、それがもっとも説得力があった
今はそうではなくなったということなんだ
>>90
それこそ高度成長期には会社に尽くせばそれ以上の報酬で報われるという社会的な認識があったからな
昔のバトル漫画なんかはその考え方の延長線上にあるというのはよく言われる
今だと、成功者ってなんらかのパラダイムシフトやイノベーションをもたらした人物がよく挙げられるから、
そういう意味でよそ者(foreigner)としての転生者が求められているのかもしれない
>>92
なろうだと連綿と続く血統とかより、ある日突然ってパターンのほうが主流じゃない?
つまりこれは日本社会全体として安定や継続といったものの価値が薄れたということなのでは
転生した先でもそれなりの地位権力武力を持つ者の庇護下や子供からのスタート多いのでは?
作品に対する評価をしている当人も同時に批評されている、的外れかそうでないか、その中に偏りは無いか
言葉はちゃんと選べてるか、これらができてなければ当然人間性も的にされる つまるところそういう事だとまず理解しなきゃ
わい自身の意見にどこがどうおかしいのか指摘してくれないと議論にならないし
それこそ外野から石投げてるのと変らない。
それは、単に反論できないけど気分としては否定したからかみついた
ということなんだよ。否定されたと思い込んでるのね。それもなろう系読者の特徴かな
なろう物でもテンプレなぞるだけのは出だしだけ人気出て後失速してるでしょ
俺は評価自身はほとんど読んでないから指摘もそうできんよ、強いて言うなら昔と様式がちょっと変わっただけで
基本は同じだというレスがあるからそれなんじゃない
で俺のはID:JuYOgeILに対する評価、自分は別になろうやその愛好者を批判はしていないと言いつつ
レスの端々に不快と捉えられる言葉をちりばめていること、それに自覚が無いのかぼけてけるだけなのかはわからないけど
自身に向けられた敵意だけは正確に感じ取っていること、作品の批評以前の問題だよねという部分が俺の指摘してるとこだよ
あそう、話がかみ合わないようだ。わいも読まないことにする わりいね
悟空もサイヤ人編の最初は落ちこぼれ扱いだったけど、ある意味修行の天才ということになって
連載が進むとその子供も展開上出てくるけど、当然強いだろう、ということになる。しかしゴハンは主人公に
なりきれなかった。
バキなんてもっとひどい。連載当初は小柄で不利って設定があったがそんなのお構いなし
理由も無く巨漢を瞬殺。血筋だから、で終わり。主人公の闘いが一番人気がないマンガも珍しいしなw
ジョジョは単純な戦力というよりは高潔な精神が受け継がれるという形にしてるから、まだ納得できるけどね
>>98
バキは烈さんがいなくなった時点でまともに見るのやめたなぁ
一番の癒し&ネタキャラだったのに
武蔵が昔の骨からクローンできるんなら
武蔵編で武蔵に殺されたキャラ全員復活させてもいいぐらいだったのに
俺も作品自身が乱造されてる事にはちょっと と思ってる、けど別にそれをどうこう言う事じゃないよねって話でもある
つまり それもなろう系読者の特徴かな のレスはID:JuYOgeILの都合によって出た言葉だね、叩く側に叩かれた理由が必要と
ハルヒが流行ったらみんなセカイ系書いてくるようになったように
その頃と違うのは出版社自体がそれを推してる部分もあるってとこだろ
流行りものにフォロアーがいるだけなのに、したり顔で社会批評やら読者の分析やらはじめちゃうヤツが池沼ってだけ
無料で読めて頭空っぽで流し読みで終わる、暇潰しにはちょうどいいコンテンツ程度にしか考えてなかったわ
頭が良いやつは色々考える事があって大変だな
ワイは自覚のあるオタでいたいんだ。スターウォーズってレンズマンのパクリだよねー
ウソ乙wレンズマンは後発の日本のアニメだよバーカw みたいな間抜けなオタにはなりたくないんだ
その点からして転生系というのがどういう経緯で出てきたのかは興味があるんだよ それだけだよ
なんとなくわかる
オタクなんだからせめてそーゆーイタイオタクでありたいって願望はある
努力が報われない時代ってよく言いますけど、やり方間違えてるだけの可能性ありますよね。
参考:大学教授「努力や根性や我慢でどうにかしようとしても、ムリはムリ」
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・心理カウンセラー「ラノベ・アニメは中高生向けという建前とは裏腹に、30代がメインターゲットとなっています」
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コメント一覧
これは許されざる事実陳列罪
自分の好きなものの非を一切認めない奴ってさぁ…
こことこことここがクソだけどこういった部分が自分好みだから好きだよって言えるようになれよ
同意
リツイートといいねボタンが押せないのが惜しいくらい正論
是を認めないのがアンチで非を認めないのが信者だよな
最近はアンチと信者が多すぎる
そうだよ(便乗)
どこがおかしいか指摘してないってしたり顔してる方がなにも指摘してないやん
なろう系は「異世界だから」で全部片付けられてるのがちょっとな
ネタとしては面白いけど作品としては独りよがりの矛盾で埋め尽くされた欠陥品なのが特徴
努力が報われない時代なんじゃなくて、適切な努力をしなければいけない時代なんだよなぁ……
それに気づいてない奴が努力は報われないと、生まれや才能を言い訳に何もせず勝手に絶望して破滅していくという魔の時代になりつつある。
これはまあなろう系が流行る訳ですわ。
適切な努力を求めるのは別に今に始まったことじゃない太古の昔からそう言ってる
理解力のない人がそれに気づけず騙されたと勘違いしているだけで
エジソンの「天才は1%のひらめきと99%の努力」が、ひらめきよりもとにかく努力が大事と誤解されたからな
努力を否定する奴は、努力をしたことがない人間か努力の仕方が間違っているボンクラ位だと思ってるわ
努力してない奴ほど努力を語りたがる
見え見えなんだよ気持ち悪い魂胆が
身の程を知れよ、上を向くな下を向け
自分には才能がない、努力しても無理だと諦めるのは仕方がない
だが世の中は才能が全てで努力しても無駄と考えるのは誤りなんだよなあ…
前者の結論を出した人間はこう考えたがる傾向があるようだ
頭を空っぽにしたら~っていうの、こんなゴミみたいな本しか読めないぼくだけど本当は頭がいいんだ、中身が詰まってるんだっていう言い訳にしか聞こえない
やっぱ後ろめたいんだろうな
頭空っぽの方が夢詰め込めると言うが、別のものを詰め込んでしまったようだ
一応付け加えておくと俺がなろう作品すべてをゴミだと思っているんじゃなくて
頭空っぽにしてくんこそ、なろう小説を心の底では馬鹿にしてんじゃないのってことです
まぁそもそも読む人が自主的に頭空っぽにしないと楽しめないって娯楽としては相当欠陥だよなぁ
コイツはなろう系叩いて悦にはいっとるだけやぞ
で「読まない」とか逃げうってる
列挙してる内容も「だからなんやねん」レベルだし…分析と言いつつ嫌いな内容しかいってない
ワイはなろう系の特徴を挙げているだけで叩いてはいない
だと俺は思うんだが叩いているとする理由はなに?
もちろん私見でかまわないからその辺りを教えてくれないか?
こう言ってはなんだが「コイツはなろう系叩いて悦にはいっとるだけやぞ」とただ気に喰わないから反発してるだけだぞそれこそ「だからなんやねん」ってこと言ってるだけ
横レスだけどこの人は叩きたい気持ちを隠しきれてないぞ
>中学生があこがれる
>理想の「ケンカが強い自分」にそっくりなんだ
こういう言い回しとかね
別に間違ってるとも思わないけどさ
間違ってるとも思わないし言い回しもおかしくないだろ
おかしいと言うならなんて言いかえればよかったんだ?
言いかえるも何も特徴自体はその前の文で挙げ終わっているんだから、皮肉げにこんな感想を付けたす必要が無いと思うよ
捉え方の違いか皮肉とは俺は感じないから
予想通りに楽勝して、涼しい顔で「こんなもんか」 これがお決まり。
を
中学生があこがれる理想の「ケンカが強い自分」にそっくりなんだ
と分り易く一言に要約または一例を示しただけで皮肉ではないと思うけどな
文法や論法としても説明によく用いられるものだしな
仮に皮肉だったとしても叩いているとはならんだろ
皮肉を言ったら叩いてるも同義ってそれはいくらなんでも暴論過ぎだしな
極論かもしれんが叩きって罵詈雑言で作品を批難することではないかな(主観ではあるが)
横レスだけどこの人は叩きたい気持ちを隠しきれてないぞ
と言ってるならそれは叩きではないしな
叩きたい気持ちを隠しきれてないだけで実際には叩いてないわけだからでなければこのような言い回しにはならないし
暴論もなにも皮肉なら結局叩いてると同義だろ、叩いてない=中立的な分析でしょ?そこに皮肉の入る余地はないし、まともな読解力のある人ならスレ元の口振りが中立だとは思わないよ。だってその皮肉言うために必要な部分しか事実分析してないんだから。ジャンルもターゲットも違う少年漫画引き合いに出したり理屈も雑だし。
返信元の人が気に入らないってのは、実際に内心的に叩いてるの丸わかりの文章なのに、そう感じるのは後ろめたいからだっていう詭弁で煽るようなスタンスでしょ。
文章ちゃんと読め
予想通りに楽勝して、涼しい顔で「こんなもんか」 これがお決まり。
を
中学生があこがれる理想の「ケンカが強い自分」にそっくりなんだ
と分り易く一言に要約または一例を示しただけで皮肉ではないと思うけどな
文法や論法としても説明によく用いられるものだしな
皮肉ではないと言ってるじゃん
それに
仮に皮肉だったとしても叩いているとはならんだろ
とも言ってる
皮肉だと言いたいんだろけど
返信元の人が気に入らないってのは、実際に内心的に叩いてるの丸わかりの文章
他人の内心なのに実際ってなにそれ?勝手そう思い込んで決めつけるだけじゃん
理屈が雑?それお前じゃん
客観的中立的分析とその結果だって言いたいんでしょ?
でもその論点を欠点的部分に絞ってそれを欠点のままと捉えるなら非難だし、その「比喩」を欠点のように表現するなら「皮肉」でしょ。
それでこれを欠点だと判断したのは「判断した側の後ろめたさだ」っていうんでしょ?でも少なくとも一般的には、「ワンパターン」とか「禁じ手」とか「中学生みたい」なんてのは欠点って呼ばれるのも事実でしょ。
比較対象・論点選びにも非難的印象・結論が前提にあるのは明らか。変遷的な客観分析するなら最良は同人とか非商業系、せめて層や内容が類似するラノベ。これを自分が知ってる商業少年漫画ベースだけなんだから、そういう手頃な分析ってのは結論ありきの時になされるものだよ。無双・ステータスといった自分が気になる部分が起点。中立的な分析方法じゃないよ。
内心なんてわからないと言うけど、少なくとも一般的に欠点らしき部分にしか言及してなくて、欠点らしい言い方しかしてないのに、それが非難じゃないって方が強引でしょ。
決めつけもなにも、それこそ「叩いてると感じたならそれは後ろめたさだ」って言えるのは、少なくとも自分の言い分が非難的に見えることも自覚してるからこそ出る言葉だよね。仮にこれが非難でないとすれば、「まるで中学生の妄想、ただそれを個人的には悪いと感じてはいない」ってことだけど、一般的に欠点と扱われそうな特徴を挙げて自分のスタンスを示さず、これを批判だと判断した相手に「それを悪いと判断したのはあなただよ」っていうのは詭弁だし、後出しマウントでしょ。じゃあ結局何が言いたかったのっていう、そういう話だよ。
俺もなろう作品なんざ大抵「中学生の妄想」だと思うし、そう思わせる物を大人が書いてるならしょうもないでしょ。素直に質が低いって言えばいいじゃんっていう、そりゃあそういう層が書き手になりやすい場所なんだから言うまでもなく当たり前だけど。
>>1が>>1で言ってる内容すっぽり抜かすとワンパンマンになるな
同じ俺tueee系なのにこれだけでこんなに面白さ変わるんだから、なろう作者も真似すればいいのに
もしかしてなろう読者の大半がJ民なのでは
昔は数値で押さえつけるのは悪役のする事だった
って部分は感心した
ステータスほど安っぽくないけど、冴羽獠やゴルゴの何メートルの距離から狙撃、コブラの100メートル5秒で走る、仮面ライダーのパンチ力何トンとかも割と似たようなもんと言う気もする
キン肉マンの95万パワーで1億パワーの邪悪神5体分が憑依したフェニックスに勝ったのって一体何だったんですかね…
復活した火事場のクソ力を加算しても7000万パワーだし
それを考えると負けた側は何でこんな力の差があって負けたのって方向になるなあ
やっぱり圧倒的な強さの根拠や数値を誇示するってのは敵の役割だわ
というか戦闘力とかが単にそういう具体的な凄さ表現を省略するツールってだけだけだよね。
作り手側には戦闘シーンを介さなくてもキャラの戦力を読者に伝えられる。ワンピの懸賞金も機能としては同じ。少年漫画が敵に使うのが多いってのは単に敵の方がその省略に需要があるから。主人公は成長・覚醒・工夫で結果勝つなら明確に数値化する必要ないし展開的に戦闘回数も多い、対して敵は前の敵よりも強いことを示しにくいしボス敵は戦う前に超強いってことを読者に伝えておかなきゃいけない。
なろうでの使い方は単にRPG的な世界だからっていうオリゲープレイ実況的性格が先にある。無双系の場合はどれだけ主人公がチート性能を持っているのか伝えるためそこにぶっ飛んだ数値を入れるってだけ。
スレ元は話がズレてる、無双系であることとステータスを使うことに直接の関係はない。ステータスがなくても別に無双系は無双してるし、ステータスは魔法習得とか戦闘力成長プロセスを「ゲーム的世界だから」と単純化してるだけ。
これは目からスケイルだったわ
なろうもピンキリあるけど特に必要性も無く転生する作品が非常に多く感じる
>流行りが移っただけで面白さが変わった訳ではないからなぁ
>俺は評価自身はほとんど読んでないから指摘もそうできんよ、強いて言うなら昔と様式がちょっと変わっただけで
>基本は同じだというレスがあるからそれなんじゃない
力を手に入れたクズがいい気になってるだけの話なんて、昔はあまり見なかったがな
クズが絶対負けない相手を痛めつける姿から見出される面白さなんて、過去の何と「同じ」なんだ?
「俺が本当の小説の書き方を教えてやるぜ」っつって人気作を書いてみせればかっこいいのに
それが“出来れば”誰も苦労してないよただその気概では書いているけどな
総理大臣経験者以外、安倍晋三を批判してはならないよね。
政治のトップをほぼ誰も批判できないって独裁国家かよwwww
これさ
「力を振るい、敵を出し抜いて打ち倒すので、社会から認められて幸せになる」
というテーマに注目すると、潮目は変わってないんだよな。努力が足りないとか認められ方がおかしいとかは枝葉
同じパラダイムの住人による勢力争いだ
「戦っても社会を変えられないので、恋人と二人の居場所を作ることで救われる」とか
「他人の目から自由になり、本当の自分を見つけることが幸せにつながる」とか
そういうのが人気だったこともあるんだが、今やっても難しいなって気がするでしょ
それが時代の変化だと思うね
それはただの形式主義的な見方でしかない
>社会から認められて幸せになる
ここは大きく変わった点のように思う。これまではその力を以って自分の進みたい道、進むべき道を歩むことが主人公達にとっての「成功」「勝利」だったんだよ。
彼等には何かしらの夢や恒常的に果たすべき役割があって、それらを達成することが精神的にも、ストーリー上でもゴールとされてる。例えばワンピは海賊王、NARUTOでいえば火影になることが「夢」。シティーハンターやゴルゴは依頼を完遂することが「果たすべき役割」。
つまり、外的な承認ではなく本質的には内的な自己実現が、彼等にとっての「幸せ」として設定されてた。
今は、というかなろうは、なのかな?自己実現ではなく他者からの承認を成功とする方向にシフトしているように見える。
欲求五段階説における最も高次の五段階目「自己実現欲求」ではなく、四・三段階目の「尊厳欲求」や「社会的欲求」を満たすことが主人公の「幸せ」として描かれてる。高い能力による他者への圧倒、ハーレム、他者からの賛美や高い評価などは全部それらを満たすモノ。
NARUTOとゴルゴは全く読んでいないが、ワンピースは敵を倒して大物になっていくし、テーマ的にはなろうファンタジーと明らかな差は感じられないね。分かりやすく賞金額という指標もある。
シティハンターの1話完結エピソードのテーマは、ざっくり「主人公は暴力においても悪人より強いので正義が勝利する」にとどまるだろう。勧善懲悪。
2019年5月18日 6:02 PMに補足だけど、今気付いた
テーマが健全・高尚でなければいけない、と信じる人にとっては不快なことを言っているように見えるのか
そんなことは全く思ってないから、宗派の違う人は気にしないでね
なろうにはその「テーマ」がそもそも設定されてないのよ。
ほとんどのなろう主人公達は大きな力を与えられて放り出されただけだから、そうなると彼等には自己実現の目標が無い。敵を倒すのも、目標に向かう道程ではなくただ目の前に敵として現れたから。
繰り返しになるが、多大な賛美やハーレムに見られるように、彼等が精神的にもストーリー的にも辿り着いているのは社会的欲求や承認欲求であって、「○○に俺はなる!」「俺は○○だ!」という自己実現欲求や自己超越欲求ではないんだよね。
前者に挙げられたいわゆる一般的な作品群では、敵を倒すのも、他者からの評価も、主人公達が自己実現=最終目標に向かう途中で直面、あるいは生み出された、言ってしまえば副次的な産物でしかない。(もちろんここが物語の面白さの根幹ではあるが)
ルフィの自己実現目標は「ひとつなぎの大秘宝を見つけて海賊王になる」冴羽の場合は「プロのスイーパー、シティーハンター」。「自分より上の人間を全員ぶちのめす」「悪人を皆殺しにする」ではないよね。
そして主人公たちを認めるのは社会ではなく、究極的には目標を達成した自分自身。しかしながら、自己実現という最高位の達成・挑戦は、人間の本能的な面から言っても、第三者から評価されるのは極自然なことなわけ。
主人公が精神的にかっこよくないに尽きる、なろう系
どこまでも小さな部分に拘っていて矮小さやエゴが垣間見えるからダサいんだよな
追放ザマァとか特にチートスキル持ってんのに追い出されたのはお前の性格にも問題あるだろとしか
そりゃ成功したりや絶望まではしてない大衆にはアニメ化しても受けんわ
持ってる力に対して精神性が全然比例してないのが一番萎えるポイントだよな
例えるなら宝くじに当たった破産者。
結果に至る過程がすっぽ抜けてるから尊敬もできないし、憧れもしない。
好き勝手にふるまえる力とその境遇に憧れはするけど
それを人間的に尊敬できるかって言ったら全く別の話
「なりたいとは思えるが立派だとは思えない」っていうのが適切な表現かな
だから結局自己投影かそれに近いものが必要になって溝が生まれる
普通にかっこいい主人公書けばいいのにね
もしかして作者はなろう系主人公の内面がかっこいいと思ってるのか?
人に対して無礼な振る舞いをしたり、敬意を払わないのは普通に考えればただのDQNだけど
人によっては「そういう事ができるくらいの実力と自信がある」
「相手がどんなに偉かろうと人に媚びないのは格好いい」
っていう風に認識する人間が予想以上に多いって事でしょう
また俺何かやっちゃいました?とか弱すぎって意味だよな?も普通に考えて非常識な人間なんだけど
ああいうのが格好いい、絶対強者だけに許された思想や行為、って願望があるんだろうなあ
なろうのイキリ主人公ってヤンキー系のマンガに通ずるものがあるんよな
1年の新米ヤンキーがラスボスのはずな3年の極悪ヤンキーをいきなり倒すとかあるからな
魔王だの最強だったのインパクトのためにいきなり天井からスタートするって意味では確かに似ている
階級に従いたくないというか、現実でのコンプレックスから逆張り思考で作られている点はなろうで多く見受けられる
ただ革命までして本当にいい世界を作りたい志もないから罰せられない小悪党(なろう主)を中心に動く歪な世界観ができあがってしまうんだよな
成り上がりモノって点では共通するとこあるけど、不良マンガだと自分の実力一本でのしあがるとか、実力が無いから持ち前のハッタリでのしあがるとか、とにかく自分の生得的な要素を最重要視するのに対して、なろう系の場合転生から始まってギフトだとかチートだとか、とにかく生得的な要素の否定から始まる点が対照的なんだよな。
大衆に自分を認めさせるって点ではヤンキーマンガと根底では同じだけど、ヤンキーマンガが「本当の自分が認められないのは周りがおかしい」構造を取るのに対して、なろう系の場合は「周りに認められないのは本当の自分じゃないから」って構造を取ってると言えそう
>強さの数値って昔は悪役側が使ったんだよ。
>つまり能力値で全て決まるわけがない、ってことのアンチテーゼというのがあった
アメコミの記事でも言われてたけど、これに限らずなろう主人公って基本悪役ムーヴなんだよな。
そもそもなろう系って言葉自体がふわっとしたナニカだからなんて言ったらいいのか
おそらくスマホとか孫のことを指したいのだろうけど、あれらってああいうギャグコメディ作品だからツッコミ入れるほうが無粋だぞ
あれがギャグコメディに見えるとかどういう見方してんねん。
どう見たって主人公投影型の精神ポルノじゃねーか
でもギャグコメディとしてもつまらなすぎるって言ったら怒って真面目な作品だ!って騒ぐんだろ?
ギャグコメディだ!って逃げないでこれが面白いんだ!尊敬できる主人公なんだ!って言えばいいのにw
基本的に信者のアンチに向けた反論というものは「つまらないなら読むな」「お前が代わりに面白い小説書け」「文句言いたいだけだろ」という三種の神器に落ち着く。そしてこの三種の神器も通用しなくなると黙る。
信者が提示するべきなのは「前の○○のところで伏線張られてたぞ見直してこい」とか「変わった表現だけど日本語として間違ってないよ(参考文献のURL添付)」とかそういうのだろうに。
これで叩いてると判断した返しを後ろめたさだっていうのは詭弁だな。批判ありきの分析なんだから。比較分析も結論ありきだから雑。
異世界転生・転移は単純にファンタジー書く上で楽だから。文化的特徴の説明は比較対象があるほど容易で、一人称で設定を説明するとき必要な部分だけ特定的にできる。処女作としてはご都合設定を作りやすいファンタジーが楽。これは多分以前なら最初にオリ主二次創作から書き初めてた層にゲーム的ファンタジーテンプレが与えられた結果。
ステータスも単純に強さを説明するのに楽だから。これは漫画の戦闘力とかも同じ。敵に使ってたのは戦う前から敵の強敵度合いをわかりやすく示せるからってだけ。漫画が敵中心に使うのは当然敵の強さ指標の方が必要性が高いから。
主人公無双は、これも結局作者側としては楽だから。結局成長主人公にしたって最後は勝つんだから、これ自体について自己投影とかは本質じゃない。さっさと俺tuee欲求を満たしたいからってのは勿論あるだろうけど、いわばこの手の作品は成長過程を転移・転生時にチートを与えて省略しきってるだけ。大半は読者のために苦戦させないわけじゃなく、無双の方が敵に戦う理由作るだけで済んで楽だから。
つまるところ、なろう異世界系の大半は処女作にありがちな妄想自己投影以外に書きたいものがないから、皆手抜きした結果似てるだけ。なろうのキモい作品の傾向は、主人公と他キャラの関わり方が敵対か信者・追従のほぼ二択であること。VRMMOだろうと成長系だろうと、そこで書き手の社会経験の希薄さと妄想感がモロに出てる。
より強い批判してて草www
いや、なろうが・異世界モノがっていうより単に特に書きたい物があるわけでもない・社会経験の乏しい人の処女作が書き手だから稚拙になるっていう話で、異世界テンプレとか関係なく中学生の妄想になる結果は説明できるよっていう話。
なろうテンプレはそういう人が書きやすい土台と場を与えた自然収束としてオリジナル長編がこれに偏るに過ぎず、問題の本質ではない。結局は素人の特徴が出てるってだけだもの。
この楽だから説は昔からあるけど、それはこの件への反論にはなってないよ。
反論というか論点分け・思考プロセスの否定しつつの持論展開かな。俺もいわゆるなろう系を叩いてはいる。
スレ元ではテンプレの内容・特徴から中学生の妄想だとしているけど、俺が言いたいのは中学生の妄想が一番実現されやすいパターンの結果がテンプレ化だという関係性。だからなろうの特徴が…っていうより、素人処女作にありがちな傾向が先にあって、その稚拙さが結果的にテンプレの使い方の特徴にも出ているだけ。極論商業ミステリ・ラノベ・少年漫画にもカテゴリーがある以上一定のテンプレやそれありきの型破りがあって、なろうのテンプレは中でも特に書きやすいテンプレだから処女作として書きやすく、中学生の妄想みたいな作品の量が圧倒的に多くなるのは当然という話。
楽(手抜き)と言っているがそれは手法を知っている前提の話
明らかに楽(手抜き)だからああいった作品(書き方)にならないのは明白
文章の書き方を知らないだけ禁則処理すらされていないのが良い証拠
ステータスとして強さを数値化することは良い
しかしその存在概念が説明されていないから指摘されている
ゲームシステムにも関わらずに小説にそのまま記載するから不自然さが際立つ
ギルドによる査定の結果などとしていればいいのだがステータスがあるものとして当然の如く登場しているのはおかしい
皆手抜きした結果似てるだけ
そんなことはない「なろうテンプレ」なんて言葉があるし当人たちもそれを既知したうえで書いているのは明白
「なろうテンプレ」と称して猿真似しているに過ぎない
小説として文章が成立しないのもこれが起因とも言える自ら学ぶことを放棄し他人のを真似るばかりだから似たものが溢れ返っている
ああ、もちろん大半は意図的に手抜きしているわけではないと思うよ。概ねあなたと同じ意見。
厳密には手抜き猿真似に自然収束的に一定のテンプレが発生し、「これなら自分でも書けるかも」という見切り発車処女作が実際にも割と楽に書き続けられてしまうから、基本設定も中身もほぼ同じどんぐり作品だらけになるループが出来るという話。
不自然なステータス設定に理由が付されていないのとかもさっさと自己投影妄想だけを書きたいだけの人が書いた結果であって、スレ主はツールとしての存在を問題視してるけど、ツールの存在とその使い方の稚拙さには直接関係がないという話。
ワイはジャンルは純文学が好きやけど、純文学をつまらないと批判されても、確かに物語に起伏なくて面白さはわかりにくいよなぁと相手の言い分も理解できるけど、なんでなろうとeスポーツの信者はこうも攻撃的なのか
憶測で言うけどあなたが相手の言い分を理解できて且つ攻撃的な態度を見せないのは、あなたが純文学を通して学ぶべき事柄を学んだからだと思う。一般文芸やライトノベル、果ては漫画やアニメのファンでさえ頭を動かす習慣がある人間はそのくらいの精神性を獲得できるんだよ。多分なろうしか読まない人でも地頭が良ければアホな信者みたいな言動はしないと思う。
ただ信者って呼ばれてる連中は、何だろうな……。脆い地盤の上で「良かったここには足場がある」っつって安心感を得てる印象が強い。加えて頭もよろしくないから作品の何が良いのかを説明できず、発言の軸が的外れな論点逸らしか個人攻撃に終始するのかな、と。
だから論理性を捨ててでも批判的意見を排除しようとするんでないの。俺個人からしてみればしょうもないにも程があるけど。
ありがとう。
よくわかる解説やね。
確かになろう信者は頭を動かしてないやろな。
その証拠に本人達のが頭を空っぽにして読めるって言ってるんやから。
そのうえ、心の拠り所がなろうしかないから、批判されると自分が否定されたようで攻撃的になるんやろね。
大抵どこでも信者は攻撃的になるとは思うよ。商業作品でも考察スレとかで作品中の矛盾指摘すると、こっちとしてもファンとして好きだから厳密に考察した結果なのに即アンチ扱いして非論理でくる人は一定数いる。単純に板に張り付いて自警活動してる暇な人に攻撃的な人が多いだけだと思うよ。
なろうなんてそもそもが大抵素人の処女作投稿なんだから、利用者が増えるほど中学生の妄想・稚拙な設定ばかりになって当たり前。なのにこれを過度に擁護する人も、質が低いだけでやたら非難する人も、両方大差ないかな。
信者はすべからく攻撃的なものだけどなろうの場合の大きな特徴は
「嫌なら見るな」という反論パターンが非常に多い事かな
信者というのは特に聞かれなくてもどこそこが素晴らしいとか、このキャラクターはこういう理由で良いんだ、と良さを理解させようと無暗に主張してくるもので
良くも悪くも自分の好きな作品に対するこれは名作なんだ、良さが理解されるはずっていう過剰な自信があるものなんだが
なろうの場合はあまりそういうのは感じないな
反論自体が面倒臭いのだろうか、やっても無駄と自己完結させているのか
だからそれこそが信者ってものだと思うよ、自分で好きな作品の良さを説明できない奴、嫌なら見るなを言ってくる奴はどこでもいる。
そして、なろう信者がそれしか言ってこないのは、まともな読者ほど「なろう小説は大抵ゴミ」ってことをわかってて暇潰しで読んでるだけだから。あえて反論する意味がない。
だって大抵は素人の処女作やそこらの見切り発車連載で、商業プロが作る創作物となんて比べるまでもなくて当然。期待して読む方がバカ。なろう読まない人を説得する材料なんて「無料の割にはたまに面白い」「暇潰しにはなる」くらいしかないよ。
その稀に面白い特定作品についてならまだしも、不特定作品のなろうテンプレの話されても、いちいち反論してくる人なんて信者か同じクソテンプレ書いてるクラスタの人くらいしかいないってだけだよ。
う~ん、何だか上から目線で話をまとめてるところ悪いが、単に純文学は高尚なものだと世間的にコンセンサスを得ているからじゃないかなぁ。
俺ならクラシック音楽が該当するけど、文句言われても「貴方には分からないんだね」って大人の余裕で流せるもの。
なろうは一部では人気だけど、このコメント欄を見れば分かる通り世間的には馬鹿にされている趣味だからね。
むかしのロックファンなんかが声が大きかったのと同じ現象でしょ。
そんな未来が来て欲しいとは思わないけど、今後なろうが世間にすごく認められたら信者も大人しくなると思うよ。
個人的になろうが叩かれているだろうポイント
・目に余るテンプレート感
・仲良しごっこで読者と物語を編集
・ランキングに蔓延する偏ったジャンル
・筆力のなさ
総合
小説の体を成していない雑記帳、もしくは未来日記
オマケでなろうに感謝したいポイント
・予め、観なくてもいい新作アニメが分かる
こういうのはヒネた物の見方かもしれないが
なろうを通じてなぜ王道が王道なのかという事がよく分かった気がする
昔から使い古されてきた愛や友情、絆、困難と苦悩の果てに自分の答えを掴む事
これがどうして昔から今もなお飽きられずに称賛されているのかなろうとその感想を見て逆説的に理解できた
作品に感動するって心を忘れずに抱いていたいって再認識する
ちょい焦点ずれるが
頑張ったら成果を得られる、というのが価値観の縛りというか呪いっぽくなってないかと思ったりする
たとえ結果は失敗だとしても本人にとっては満足だったって作品もあると思うけど
こんなに頑張ったのに報われないなんてひどい、こんなの許せない、
って自分に重ねちゃう読者視聴者もあるんかな
なろうの場合は現実でつらい生き方してきたんだから主人公(自分)は幸せになる権利がある、って感じだろうか
読者が自分と重ねたって言われたりするのは納得ではあるんだけど
一部納得いかないんだよねよくさ「嫌なら読むな」とか「ほならね自分で書いてみろよ」って奴
それこそ物語に納得いかないから感想で強要するくらいなら自分で書けばいいじゃんっていつも思うんだよね
いや~ホントさなんであんなにも自分本位なんだろうね?とね
カクヨムのほうが明らかにレベルが高い
なろうはもう暇つぶしにさえ耐える文章(敢えて作品とは言うまい…)すら探さないとない状況
粗製乱造と切り捨ててしまうのは簡単だけど、なるほど
どこが問題かって一度どっかで考えるのも必要なんかもな
ネット小説サイトなんて読者もまた作者に簡単になれるんだからね
なろうは、まともな小説の読めない転生好きに支配された、閉鎖的な場所になってしまった
これ以上の成長は見込めないだろう
色んな作品が読めて評価されそうな、LINEノベルに期待している
はたから見るとドングリの背比べだけどな
「なろう系だから」というだけで意味もわからず批判するーていうてる奴よく見かけるけど
いや理由は作品毎にどこが問題か指摘されてるやんておもう
のめりこんでるとやっぱ目が曇っちゃうんだろうなって