『恋文の技術』の感想と、作家が作品中に登場することについて
森見登美彦さんの『恋文の技術』を読みました。
森見登美彦さんの作品は確か3作品ぐらい読んでいて、『四畳半神話体系』は原作未読ですがアニメは大好きです。『ペンギン・ハイウェイ』は原作読んだ上で映画も観ました。ファンとにわかの中間地点あたりでしょうか。
こんなことを言ってはおこがましいですが、森見さんは確実に自分より語彙があって頭の回転が早いので、読んでいて安心感と快感があります。本作もそうでした。読書でも何でも、作品に触れる時は自分が持っていない何かを浴びたいと考えていて、森見さんは確実にそれを与えてくれる人です。
『恋文の技術』の感想
本作は全編、書簡体で書かれています。あとがきには「夏目漱石の書簡集がおもしろかったので、とにかく真似してみようと思っただけなのです」とありました。そんな些細な動機から一本書き上げられるのはさすがという他ありません。
一番面白かったのは第一話で、「現場に居ないのに、手紙だけでここまで臨場感を出せるものか」と感心しました。しかもその出来事を報告する側でなく報告を受ける側からの返信なのに、ありありと情景が浮かんできます。文字表現にはまだまだ無限の可能性があるなあと思いました。
一つの出来事について複数の人物とやりとりするので、第二話以降は若干の足踏み感がありました。ただ、話す相手によって言い回しや細部が違うので、手紙の主は主人公一人なのに複数の視点から見ているようで、出来事が立体的になっていくのが面白いです。また、言い回しや細部がどう違うのかによって、主人公と相手との関係性が見えてきます。
管理人は根が善良なので例の部分は素直に騙されました。そして、「なるほどー」と思いながらラストまで気持ち良く読み終えることができました。
作家が作品中に登場することについて
本作には作家の「森見登美彦」という人物が登場します。目次に「第四話 偏屈作家・森見登美彦先生へ」とあるのを見て、正直最初は「うっ」と思いました。
作家が自ら作品に出て何が悪いのでしょうか? うまく言語化できないのですが、抵抗感があります。誰とは言いませんが某人気ミステリーシリーズもただその一点が気持ち悪くて一冊だけ読んでやめてしまいました。
漫画内キャラ「おい作者!」←こういうの
という記事では、「現実に引き戻される感じがある」とコメントしました。作品中のキャラが話しかけたり言及したりしているのでなく、最初から人物として存在するので「引き戻される」というのとはちょっと違いますが、「興覚めする」という意味では同じです。
なお、作品に作者と同姓同名の人物が出たからと言ってそれが作者であるとは限りません。単なる同姓同名という可能性は残されています。ただ、本作に登場する「森見登美彦」は、京都のことばかり書いていやがるという超面白い自虐と、あとがきのニュアンスから、これはご本人であろうと判断できます。
作者本人が登場しない作品でも、何か「主張」めいたものがあると、それは作者自身の主張なのかあくまでも登場人物の主張なのか、議論になることがありますよね。偶然にも、『恋文の技術』の次に読んでいる本にも作者自身(としか思えない人物)が出てきているので、この件はまた改めて考えてみたいと思います。
【追伸】読書メーターをざっと見た感じだと、本人が出ることに抵抗を感じている人はほとんどいないみたいですね……(・∀・)
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その今読んでいる本の感想を書いてから、ご推薦いただいた『塩の町』を再読してみます。
ディスカッション
コメント一覧
管理人さんのいう作者が登場するというのは、あまり気にならない派なのですが、色んな意見を読んでいると興ざめするという感覚もまたわかります。ただ恋文の技術は、逆にそれが現実感になってきたというイメージがあり、また何より自虐が堪らなく面白かった記憶があります。
自虐面白いですよね! 振り切っているので卑屈さが感じられず、笑顔になれます。
作家の自己主張が激しすぎると作品まで嫌いになることがよくあるから作家はできるだけでてこないでほしいわ。もちろん作家と作品は分けて楽しむってものだって分かってるんだが、どうもバイアスがかかっちゃうんだよな。その点、西尾維新とか鎌池和馬は安心できる。ここで紹介されてる森見登美彦のは作品の中で違和感なく溶け込んでるから別に何とも感じなかったな。
四畳半やらなんやら、主人公=作者と思って見てたな。作者を全く知らんけど。
四畳半のアニメは主人公=作者とまでは思いませんでしたが、作者はきっとすごくいい大学生活を送ったんだろうなあと思いました。
目次で抵抗感がありましたが、おっしゃる通り作品の中では溶け込んでいたので、本文では気になりませんでした。でも一般論として自己主張は考えものですよね。
90年代の富士見ファンタジアでは登場人物が作者殴るのがあとがきの定番定期
そういうのくっっっそ嫌い
たとえ本文が九十点でもそのあとがきだけでマイナス五十点するくらい大嫌い
あとがきは少しでも嫌な予感がしたら読まないようにしています……
大亜門は逆に読者から許されてる
芸風が確立すれば許されるんでしょうね
くぅ~疲れましたw
これにて完結です!
主張ってほんと難しいよな
完全に登場人物の造形を突き詰めてそいつの主張にしたつもりでも、普段考えていることなどがちょっとずつ染み出てしまう
いっそまったく馴染みのない主張をするキャラの方が完璧に書けるまである
普段考えてることが出てもいいと思うんですが、読者に「小説じゃなくてエッセイでよくね?」って思われたら残念ですよね。
船乗りクプクプの冒険を思い出した。
Wikiで概要見てしまいましたが、キタ・モリオ氏が出てくるんですね。
対立煽り記事を定期的に連発する時点で善良ではなくね?(笑)
作者が出てくる某人気ミステリーシリーズのファンです。
作者のからをかぶったキャラだと理解してるので
気にならないかな。
手塚先生の作品におけるお茶ノ水博士とか、鼻の大きなキャラ、みたいな理解です。
作者そのものがでしゃばってくるのは、確かに気になるかな。匙加減によります。
あとがきでも同じ。作者とキャラって読者には踏み込めない世界の神と創造物なのに、そこであれこれやられると読者が完全に置き去りになるから不快感を抱くのかなあとは思います。
> 手塚先生の作品におけるお茶ノ水博士
良いたとえですね。
本作は「作者のからをかぶったキャラ」だと受け入れられたのですが、気になる派としては「じゃあなぜ自分の名前をそのまま使う……?」という疑問が拭えないわけです。
なるほど。
処女作を大学生の時に執筆されたとのことなので(うろ覚え)、等身大の自分が突っ込み役をやれるのは、書きやすかったのかもしれませんね。
一ファンとして持たなかった視点、新鮮でした。
作者が出てくる探偵シリーズ(管理人氏がぼかしてるからこちらもあえてぼかすんですが○○殺人事件てタイトル連ねてるアレですかね?)わたしも好きだった
確かに、作者出張りすぎwとは思ったけど
主人公がこの現実世界でも存在しているんだよというある種のリアリティ?地続き感?を持ってもらうためにそうしてるんだろうなぁと受け取っていた
しかし、いわゆる一般向けだったから抵抗感なかっただけなのかも
これがラノベだったり例のく〜とかいうコピペを知ってしまった今だったら結構鳥肌ものだったかもしれないな
PM7:24の者 追記
あ!管理人さんが言っているのは探偵シリーズじゃなくてミステリーシリーズか
じゃあ別のやつかとしれないな。失礼しました
探偵とミステリを意識して使い分けていないのでそれかもしれません。真相は闇の中ということで……
地続き感というのはわかります。実際の地名使うみたいなものですよね。
ミステリだと、本人が登場する作品はけっこうあるな
そういうのが苦手だと、読むものが減るからちょっと可哀想におもうわ
想像だけど、本人が探偵役として出るのが苦手とか、人によって違いがあるのかもしれないな
本作は結局大丈夫だったんですが、「ミステリで本人が探偵役」はやっぱり苦手です……
かいつまんで言えばナルシシズムを感じてしまうからでしょうね。