読書感想文を書けない理由
読書感想文を書けない理由ってもう一つあって「本は読めてるんだけど感想は特にない」って子供が自分に正直にあろうとすると「感想なんてないから感想文は書けない」ってことになるんだよな。私がそれだったんで「読んだ本の紹介文を書いてください」って言われれば書けたのにって今になっては思う。
— ねえね ちゃかぽこ (@Doragonsyoten) 2020年3月23日
感想はわかないんだけど、読んだ本の要約なら出来るんだよな。
— ねえね ちゃかぽこ (@Doragonsyoten) 2020年3月23日
みんなの反応
僕もそうでしたね…
「ここが面白かった」で終わり、みたいな。
実体験混ぜて書くと良いなんてよく言われるけど、本に関連付けられる体験をしてた例がないし、「みんななんでそんなに都合よく経験豊富なん?」っていつも思ってました(^^;;— ゆたーなる/わかしらが (@uternal1213) 2020年3月23日
課題図書って、普段読んでる本よりもたいがいつまらなかったし、読書感想文って求めているものが先生の側にすでにあって、ある程度それに従って書かなきゃいけないと感じていたから(言ってみれば道徳チェック的な要素があると思っていて)苦痛だと思ってました。書いたけど。
— tomoko isobe(脱被曝に一票) (@sobtomk) 2020年3月23日
とても覚えがあります。
感想は無いけど課題だからって事で仕方なしに原稿用紙を埋めていました。
「あらすじしか書いてない、これは感想文だから」
って毎度先生にダメ出しされてた記憶。— そうでも@ないよ (@arukonaiko) 2020年3月23日
高校生のとき、とある男子が「老人と海」の感想を「とにかく何も感じなかった。」という事実を延々と原稿用紙の規定量ひたすら埋め尽くして提出し先生を絶句させたのを思い出しましたw読書感想文の義務は本を嫌いにさせる原因の一つになってると思います。
— カンコ! (@lovenino617) 2020年3月24日
文字数にノルマがあるのが嫌で書きにくかったなぁ、作文用紙2枚分とか。
数行でも良いなら強烈な感想だけスラスラ書けたのに。よけいな言葉を足したくなかったのを思い出した。— しーあ (@j7flrWtn9Lxdt7h) 2020年3月23日
> 文字数にノルマ
本当にこれ
ディスカッション
コメント一覧
読書感想文じゃないけど特別講習の感想とかもそうだわ
面白いって感じてもそれだけで特に何も書くことがなくなる
そんで講習中ずっと寝ていたやつが全部行埋めて出すというミステリーが発生する
あれなんなの?
読了後、なるほどなぁ、で終わる。今なら読書感想文という名の、小説内におけるギミック、構成、布石の巧拙を指摘する内容になりそう
その本を読んで何も感想が浮かばないなら、適当に心にもない当たり障りのないことを言葉を変えて書く
教師側の求める感想がわかってるならそれを書けばいい
たったそれだけのことを面倒だ、意味がない、できない、で俺って変わってるでしょ?アピールするやつのなんと多いことか
読書感想文の授業だけ真面目に受けるの不思議だわ
登場人物と同じ経験はほとんどしたことないから登場人物の心情と自分の経験こじつけて書いてたな
家族とか大切な人を失った場面があったら幼少期に祖父を亡くした自分の体験絡めたり
しょっちゅう読書感想文のダシに使っててごめんよ爺ちゃん
ガキの頃の読書感想文なんて「テクニック」。
要は「大人が何を求めているか」「どんなことを書いたら評価してくれるか」を考えられる子が得意なだけ。
それはある意味「賢い」のだが、感性とはまた別次元だと思う。
ある所で中学生の作文の審査をしたことがあるが、「賢い」子は読み手の反応を予想出来る感じ。
個人的には、大人が予想も出来ない突拍子もない事を書いている子の方が「作家向き」「アーティスト」としての才能はあると思うな。
「型にはまらない」というのはアートとして重要な事。
・・・それが「社会人」としての評価に結び付くかどうかは別問題だが、やっぱり世の中「賢い」子の方が生き易い。
ぶっちゃけそれなんだよなぁ。
あくまでも「学校で求められているレベルの読書感想文」が小説執筆のテクニックとかに結びついているって考えてる人もいるけど、ほとんど関係ない話だからね。
今はどうか知らないけど、昔の国語の教科書って戦時中の悲惨な生活を題材にしてた内容が多かったわけよ。
それを題材として読書感想文を求められたときに「でも僕は兵士になってたくさんの敵と戦ってみたいと思いました! 人を殺してみたいと思ってたし、戦争は楽しそうだからです!」なんて感想を書くやつを誰も求めちゃいないって話。
学校の読書感想文は「その場の雰囲気や、課題を提示する人間が何を求めているかを察して、それをお出しするために話をでっち上げる」っていうある意味「みんなが納得するウソを付くテクニック」に近いところがあるからなぁ。
まあ、もちろん小説執筆の際も作品を通して、読者が求めているものを察して作家の本心と反した嘘をつくことは少々あるから、そういうテクニックも必要っちゃ必要なんだよね。
エロ漫画なんて自分の嫌いな性癖でも、その性癖を持っている読者が何を求めているのかっていうのを理解して作るわけなんだから。
型にはまらない気持ちを持っていながらも好き放題に相手の求める嘘をつける、アンパンマンやプリキュアの気持ちだけじゃなくジョーカーや猟奇殺人鬼の気持ちすら理解してなりきれる、っていう人なら絶対作家に向いてると思うわ。
昔、出版社の人事やっていた人の本の中で、入社試験で感想文を課題にしたら、
何故、特に何も感想がないのかを書いた人がいて、それがとても論理的に書けていたから、合格にした、
というエピソードがあったな。
まぁ「つまらなかった」「感想がない(何も感じなかった)」も感想ではあるしな
その理由を作品の内容引き合いに出しながら飛躍なく書ければ十分感想文
青少年読書感想文全国コンクール
https://www.j-sla.or.jp/contest/youngr/
右に「過去の課題図書」がある。
読んだような気がするのが結構あるけど、
中身はほとんど覚えていない。
まともに行数埋めようかすると本に書いてある内容を淡々と書くしかないのがな…
読者感想文苦手な人って手の抜き所を知らないというか要領悪そう
感想を書け→面白かった
何処が面白かったか書け→特に面白かったところを頑張って捻り出す
それは感想じゃねえ要約だ→詰む
読書感想文って本当に書けなかったなぁ
なんというか、そもそも感想が湧く対象ではなかったんだよ
当時は「国語の授業」の影響・印象が強くて、どんな物語が展開されていようとも『文章形式の課題』の認識でしかなかった
設問も何もない状態では、どう扱えばいいのか、どう向き合えばいいのかすらサッパリ分からなかった
(朝の読書も、課題を自分で選ばされている感覚)
何年か経って、娯楽として小説を読むようになってから
ようやく感想が思い浮かぶようになってきた
今なら色々書けると思うけど、当時は本当に無理
課題図書の最後にあとがきではなく解説が載ってたときのこれで勝てる感
校内で書けってのはむしろ楽だったかな、単純に思ったことを書いてればいつのまにか課題文字数が埋まってるタイプだったこら
親がいわゆる教育ママだったせいで宿題の時は添削添削で7回くらい書き直しさせられたのが苦痛だった。最終形は完全に俺の感想じゃなくなってたし
俺みたいなケースで感想文が苦手になった人も割といるんじゃないだろうか
心にも無いこと書いてたけど、何故かほぼ毎年賞もらってたわ
好きに書けと言われてその通りにしたら添削される
本当の感想文だったら「つまらなかった」でケチつけられる筋合いないのにね
ぶっちゃけ感想文の授業の中に、習ってもいない文章の書き方と情操的な感想をごっちゃにしてるのは構造的欠陥だと思う
「感想」だから実際そのとおりだな
走れメロス読んで「メロスはアホじゃね?簡単に人を信用し過ぎだろ」って書いたら絶対にいい点はもらえない。
教師が求めている模範解答は「人を信じる心は大切だと思いました」だから。
まあ世の中、本音と建て前は使い分ける必要があるし、実際読書感想文ってその為の「訓練」なんじゃないかと思う。
採用試験の時の面接と同じだな・・・・。
みんな隙見せすぎ。自分語り増えてるよ。
感想はあるけど感想文となるとフォーカスあてる所どこにするかで悩む
一つのテーマに終始してる作品なんてまずないからちゃんと絞らないと
このシーンに対してはこう思った、この部分には共感したみたいな列挙になる。
あと感想文に自分の経験捏造は必須
読書感想文別に得意じゃなかったけど苦手でもなかったな
というか課題図書を強制された記憶がないんだが忘れてるだけかね?
上のコメントであった課題図書一覧見てきたけどやっぱりほとんど読んだ記憶なかった
読書感想文自体はあったけど好きな本選べたし添削されて嫌になった経験も特にない
そういうスタンスの小学校だったのかな
帯書くつもりで考えるとええで>読感
読書感想文の課題図書の傾向を見れば、何を書かせたいのかがわかるよ
多様性人権反戦平和ここらへんばっかだから
マジレスするとそういう場合は、感想がなかった理由を徹底的に書けば成立する
「へぇー」としか思わなかった理由とかね
本の批判になっちゃうけど、別に悪いことではないし
>「読んだ本の紹介文を書いてください」って言われれば書けたのに
主旨を理解できないのは今も昔も変わってねえな
親切にもお前の心を豊かにするって善意でやってくれてたことだぞ
義務とかうまくこなすとかそういう問題じゃねえんだよ
「特に感想はありませんでした」であってもお前の問題点を探す手がかりにはなったはず
これくらいのことは10歳くらいから分かってたわ