創作物において何よりご都合主義だと思うもの
こんばんは。管理人です。
今回は「ご都合主義」について私見を述べます。
ご都合主義とは
(1)その時々の状況や流れによって方針や行いを変えるあり方、その場その場で都合を合わせるさまを意味する表現。往々にして悪い意味で用いられる。
(2)主に創作物において、考えにくい偶然や新しい設定の登場によりストーリーが都合よく進んでいくさまを意味する表現。出典:Weblio辞書
例えば、
ボスがいる手前の部屋の宝箱に、ボスによく効く剣が入っている
めちゃくちゃご都合主義ですよね。
最終的に上手くいくなら、極端なことを言えばご都合主義でないものなど存在しないわけですが、これをいかに「ご都合主義っぽく見えないようにするか」が腕の見せどころです。
上の例でも、
宝箱の位置を隠し部屋にする(物理的・時間的に間を空ける)
とか、
力及ばず一度退却して、よく効く攻撃手段を探す(イベントを挟む)
と改めれば、ご都合主義度が下がります。
とは言え最近は、
「ご都合主義全開でさくさく進んでくれたほうが安心感があって良い」
と評価する人が増えているようです。
ソースは特にありませんが、まとめ作業をしていて体感でそんな気がします。
創作物において何よりご都合主義だと思うもの
以前からずっと思っていたのですが、特に最近、
原宿に中高生が集結「正直、コロナで騒いでいるのって大人だけじゃないですか」
とか、
せんだみつお「熱が出るまで自粛しない!」「それが団塊の世代なんです!」→炎上して謝罪
を見ていて、「人心のコントロールこそ作り話みたいにうまくいくわけがない」と感じています。
主人公の感動的なスピーチで全国民が外出を自粛して感染が収束する
これ、リアリティありますか?
①全国民が外出を自粛する
②感染が収束する
このように分けて考えてみましょう。
「結局②がご都合主義なんだから①もご都合主義でいいじゃん」
そんな批判が飛んできそうです。
でも管理人は「②はいいけど①はご都合主義度が高過ぎる」と感じるわけです。
リアルに考えると
国王である主人公が感動的なスピーチで自粛を呼びかけたとします。
国民の民度が相当高く、自粛するムードがかなり出来上がっていても、たぶん10〜20%ぐらいは自粛しないでしょう。
※念の為言いますとリモートワークでは成立しない仕事が多々あることは理解しています。
そもそも「スピーチに感動する」ということ自体が「全員」に起こるとは考えにくいです。
せいぜい数百人の集団が肉声やマイクで聴いているなら「その場の雰囲気も相まって」ほぼ全員が感動するということもあり得るかもしれませんが、数千~数万以上が画面を通して聴いているとなると非現実的です。
スタンディングオベーションした:10%
わりと感動した:20%
良かったと思う:30%
普通:20%
気に入らない:5%
見てない・知らない・興味ない:15%
このあたりが関の山ではないでしょうか。
マスク2枚配布(・∀・)がコロナ対策のすべてではないように、リアリティが小説の良さのすべてではありません。
中にはリアリティがないほど良いとお考えの方もいるでしょう。
けれど、「リアリティのある小説を書きたい」とお考えの方は是非、人心コントロールの難しさに注目してみてください。
ディスカッション
コメント一覧
計画的な作戦に主人公にとって都合のいい偶然が重なって成功されるとご都合的だなと感じる
その偶然に主人公サイドが積極的に関わってくるほどご都合感は薄まりますね
これ逆もあるんだよな
主人公の境遇を悪くするために次々不幸な状況をだして
同情させようとするの
これも鼻につく
NHK連続テレビ小説「愛と純」の悪口はやめたまえ
主人公のもとに、魔王に街が襲撃され多くの被害が出たから魔王を退治してくれと依頼を受ける
よりも
魔王が街を襲撃
主人公は街の人を守りつつ反撃に出るも力負け(あるいは子どもと共に隠れる)
魔王が立ち去ったあと、街の被害に怒り魔王を倒すことを決意する
前者は過去におきた出来事を聞くだけ。
後者なんてご都合主義ですが、やはり事件にいあわせたほうが面白いです。
主人公だから助かったんじゃなくて
助かったから主人公になれたんやで
ヒトラーってそういうのが上手かったんでしょ
リアリティがないと断定はできんと思うな
ヒットラーは今聞いても鳥肌が立つは
ドイツ語はずるい
https://youtu.be/hHOBS1QUIak
ヒトラーに反抗する人もいたっていうのが
リアリティの有無に関するミソなんだろうな
むしろ世界中がコロナ感染してる中で自分だけは感染しないと思ってる方がご都合主義に冒されてると思うけど
ご都合主義やるにしても拮抗するか同じクラスのご都合主義いれるのが僕は好き
9割同意できるけど少し引っかかるところがある
というのも、リアリティのある物語ってご都合主義がない物語じゃなくてご都合主義に説得力を持たせている物語だと思う。主人公の感動的なスピーチで全国民が外出を自粛して感染が収束するなんてあり得ないけど、だからこそそれを成し遂げれば主人公の偉大さはこれ以上ないほど強調される。それをどう読者に納得させるよう描けるかが腕の見せ所だと思う
舞台背景で説得力を盛ることはいくらでもできる。「99.9%あり得ないけどこの主人公なら実現するかも」って思わせられるだけのハッタリを用意できればリアリティのあるご都合主義な物語だって成立する、ような気がする
(上記は管理人さんがリアリティの話をしたからこその意見で、「リアリティ」でなく「リアル」な物語を描きたいという場合はまた別の話。この辺は人によって考え方が違うからあくまで一つの意見ということでお願いします)
まぁ、所詮は物語だからな。
物事にいかに説得力を持たせるかって話だから、本物同然に作る必要は無いんだろう。
設定厨的には前触れなく新設定生やしてくるとご都合主義感凄い
そういう作品の大半は新設定を加味して一から見ていくとそこかしこが破綻しはじめて色々察する
後付け設定は、作家の上手い下手の問題で、ちょっと話が変わってくるような?
作者目線では唐突な新設定でも、「そういえば、あの時……」なんて一文を入れるだけでも、読者目線では伏線を敷かれた流れに思えるから。
前触れなく、という前提があるから
作者の技量の問題には違いあるまいよ
鼻につくのが個人差が出て来るってだけさ
技量不足故の応急処置的な後付けだから物語全体の整合性にも影響が出てくるわけだしな
ご都合主義とかいうケチつけたいだけにあるような言葉嫌い
主人公の感動的なスピーチで全国民が外出を自粛して感染が収束する←リアリティがあると感じる必要は別にないし、これはご都合とは言わないだろ。リアルに考えると起こらないはずの事が起こるぐらい素晴らしいスピーチだったというだけ
内容によるんじゃないかな
ただ外出はやめようみたいな説得力のないのを、実績も役職も経験も無い人間がスピーチして、それを聞いた側が納得するならご都合だし
コロナで亡くなった人や、今も奮闘する医療関係者のために出来ることをしよう、外出を控え、必要な物を互いに分けあおうというスピーチを遺族や医者がして、それを受けた側が納得したならご都合ではないと思う
そういう見方であるなら『「リアルに考えると起こらないはずの事が起こるぐらい素晴らしいスピーチ」とやらをやれてしまう事』がご都合主義なんじゃないかなって。
つか「リア(ry)素晴らしいスピーチ」って概念自体がご都合主義の塊みたいなものな気がする。「覚醒」とかのあたりに並ぶようなね。
全員っていうのがポイントでは?
大半の人が自粛して、その結果収束することはあっても、
日本で言えば1億人以上の人間全員が同じ気持ちになるというのは不自然だと思うし、洗脳とか怪電波とかじゃなくて「演説が素晴らしいから」っていう一点だけ説得力を持たせるには限界がある範囲だと思う。
受け手の問題ってのがあるからね。混沌秩序善悪といろんなタイプがいるのに、同じ内容のスピーチを叩きつけてみんなが同じように動いてくれるってのは、スピーチどうこうじゃなくて受け手側がみんな似通った精神パターンしてるって事になる。逆に、どんな精神パターンの相手でも感動させて同じ行動をとらせるなんて魔法の域だよ。凄く素晴らしいスピーチで済む次元じゃない。
ぶっちゃけご都合展開許せるかどうかってリアリティどうこうより作中のキャラにどれだけ好感を持てて応援したくなるかだと思う
多少のご都合展開はあってもいいから幸せになって欲しい、努力が報われて欲しい、生き残って欲しいとか色々あるけどそういった気持ちがあるからこそご都合展開が受け入れられるんじゃないだろうか
逆に言えばキャラを好きになれなければどれだけリアリティのある展開があろうと気に入らないし、重箱の隅をつついて批判したくなってしまう
俺もこれかな
悟空が突然スーパーサイヤ人に覚醒して全然歯が立たなかったフリーザと互角に渡り合えるようになったのも悟空が好きだったから素直に応援できたし
管理人さんが言う「主人公が演説して全国民が納得して自粛した」っていう展開も、主人公が大好きなら「おーすげー!」ってなるけど、主人公があまりいけ好かないやつだったらどんなに屁理屈をこねられても「でも、なんかなぁ……」って納得いかないと思う
論点ずらすようで悪いけど、結局その人物を好きになれるかどうかなのかなって
物質的なご都合主義なら許せるとは言わないけど、人の心のご都合主義は見てられないよね。「生物学的には人間でも心があまりにも異質なのでバケモノ扱いされる」「種族や姿形はともかく心が人間らしいかどうかで判断する」という事がフィクションにもたびたびあるように、作中人物の考え方や心があまりにもおかしいとそれは人の皮を被ったバケモノか、リモコンで動くお人形かのように見えてくるという事があるよねーって
セカイ系要素の強い作品に顕著だよな
主人公や作者にとって都合がいいようにキャラが動いてて、「そういう展開を描きたかったんだな」って自己満足が透けて見える
デビルマンとかは終盤にもろ人の皮を被ったバケモノみたいな人達が出てくるけど、あれはあれで作品の描写そのものに圧倒されて作者のニヤついた顔が透けて見えたりしないかなー……と、個人的には
結局どんなものでも「どのくらい上手く騙せるか」「どのくらい受け手の視線をどっぷり作品そのものに惹きつけられるか」が大事になってくるんじゃないかと
ご都合主義って分類できそうだな。
例えば
・偶然系
幸運な出来事が立て続けに起こったり、極めて稀な出来事が起きたりするもの。
・非合理系
都合の良い出来事が、行動主の目的に合致しない、または合理的、常識的ではない判断に基づいて行われた結果であるもの。
他にあるとしたらどういうやつだろう。
・矛盾・破綻系
新たに起こった出来事が、過去に起こった出来事を不成立にしてしまうもの
もしくはその逆(回想シーンで明かされた設定が現在進行に影響するなど)
はありそうだ
作者が設定忘れてたりとかして、矛盾するやつ、あるなあ。
ジョジョのツェペリさんが「私には妻も子もいない」と言い切っていたのに子孫が登場したりとか。
キン肉マンでロビンマスクが二度とリングに立てない体になったのに試合に出まくったりとか。
前者だとアニメのゆゆゆとかまさにそうだね
あれは「何でもいいから幸せになってくれ」と思いながら見てたから素直に応援できたけど
後者だとひぐらしとかリゼロみたいなループものだと顕著な気がする
「なんでそうなっちゃうのー!?」っていうね
アニメじゃ奥さん勝手に死なされちゃったしなw
・依怙贔屓系
主人公やメインキャラのすることが作品世界内で何でも好意的な解釈・反応を招くもの
主人公に味方しないキャラのすることへの批判的な解釈・反応をしばしば伴う
その解釈や反応の合理性の有無を問わない点で偶然系、非合理系、矛盾・破綻系と異なる
難しい漢字使ってるね
なんて読むの?
依怙贔屓(えこひいき)やろ
口語で稀に使うやつや
作者が贔屓するやつも昔からある気はするなあ
死亡した人気の敵キャラが実は死んでなくて
主人公の仲間になるやつとかさ
土壇場で秘められた力に目覚める系だとか
目的は違うんだけど一時的に利害が一致とかイケるんだけど
大勢の思考と行動がシンクロってのだけはないな
これは見ていて退屈だよね
「世界の危機になったから皆で一丸となって対処だ!〇〇は何なにをする!△△は何なにを!」みたいな流れ作業で話が進んでいくとテンポはいいんだけどなんか白けてしまう
別にマヴラブオルタほど内乱しろとまでは言わないけど、個々人でトラブルに対してどう受け止めてどうするべきか
小さな問題(好きなキャラに別の好きな人がいるとか、味方に気に食わないやつがいる)よりも大きな問題(世界の危機、味方が全員死ぬかも)が大事だから、一旦は大きな問題を解決するために行動するけど、ちょっとした節目で自分の中で我慢していた小さな問題が膨れ上がって離叛する……みたいな話を書いたほうがリアリティもあるし、物語としても起伏が出来て面白いと思う
まぁ、これも個人の一意見でしかないんだけどね
モンスターと戦わないでシェルターの中で殺し合い始めるのアサイラムだけにしてほしい
むしろ年金払う負担が少なくなるから歳よりは積極的に出ろというのが正解
逆張り意識が強い老害ほど正論は聞かず反対の行動をするから
国が守ってやるって前提で言うから誰も聞かんのよ
じゃあ今は老人が積極的に外に出てくれてるからいいじゃない
あなたの言う通り、いっぱい死んでくれることを願って政府は自粛を促してるのかもよ?
キャラに魅力がないのに称賛されるのと、設定を後出しにする話はご都合主義を感じる。
作者は屁理屈並べて説明した!読者も納得!とか思ってるみたいなのがなあ。
読者の心は、作者の思う通りにならないのにな。
それはそれで笑いものになるから面白いと思うけどなあ
スマホ太郎で人心を見透かせる設定のロリ姫が太郎自身に「人間のよく出来た人」と言ったり、ワンピースで序盤に出てくる海王類がシャンクスの腕を噛みちぎったので案の定最強議論スレでの地位が面白いことになったり
作者が意図してる面白さとは違うのかもしれないけど、それはそれで「シリアスな笑い」として受け入れられてるから悪いとは思わないかな
自己の認識と他者のそれが乖離している話って、本当はファンタジーよりコメディと相性がいいんだな。
古くはドン・キホーテや、「26世紀青年」なんてアホな邦題がついている映画「 Idiocracy」みたいに。
ちなみに、26世紀~は、人類が超絶アホになった500年後のアメリカに、コールドスリーブから復活した主人公(こいつもアホ)が目覚める。
主人公も元の世界ではアホ扱いだが、なにせ500年後の世界は畑にスポーツ飲料撒いているような超絶アホばかりなので、相対的に「天才」扱いされるというコメディ。
「なろう系」のくだらないことで天才扱い、無双チーレムが馬鹿にされるのも本、当はコメディ的プロットだからなのかも・・・。
なろう系だと
・転生女神が抜けている(そう装っている)
・弱い敵から順に、行儀よく襲ってくる
・10万字で決着がつくように出待ちしていた魔物群が襲来
このあたりは、既に様式美ですね。
小学校低学年向けの童話レベルです。
その年代向けの偉人伝なども、史実を無視して
適当に何かを成し遂げたりします。
演説の件、自分ならどうするかというと
・皆が外出を自粛することによって利益を得る第三者が同調した
(感染が収束すると利益を得る、ではない)
……これくらいしか思いつきません。
なろう系はそういうのとは真逆のアンチ王道だと思うんだけど……
少年漫画でよく語られる「なんで主人公はぎりぎり勝てる敵としか戦わないの?」に対して生まれたのがなろうみたいな「最初から絶対に負けないし力でねじ伏せる主人公」なのだから、批判すべきはジャンプのような少年漫画では?
まあ、少年漫画は少年漫画で、「面白いからそういうテンプレが普及している」って言う回答があるから、結局は純粋に面白いものを求める読者かちょっと捻ったものが見たいお年頃な読者で好みが変わるところであるんだけどね
あと、「10万字辺りで決着がつくように押し寄せてくる魔物の大軍~」に関して
一般的に字数で10万字とか12万字が区切りになっているのはネットで字数制限のないなろうではなく賞に応募することが前提のラノベだと思うから、その批判もなろうではなくラノベに向ける言葉だと思うよ
ラノベの場合は1巻を基準とした最後の方で読者に「面白かった!次も読みたい!」と思わせることが大事だからどうしても10万字とか12万字の最後の方で読者を感動させたり物語として一区切り付ける必要があるからね
当てはまんねえなあと思ったらなるほど
少年漫画や公募のラノベとかか
たしかにそっちのが当てはまるな
そしてアンチは相変わらず妄想がすごいな
感動的なスピーチで一気に変わるんじゃなくて、徐々に変わるように大衆の一人か二人を描写しておけばご都合感は無くなっていくと思う
ヒトラーだっていきなり出てきて演説で民衆を動かした訳ではないし、賛同する人間全員が心の底から彼に心酔した訳でもない
それでも人間は空気や恐怖に流されるっていうのを大衆の一人に焦点を当てて書ければそれはフィクションとして成り立つと思う
問題が大きければ小分けにすること。その上で順を追ってエスカレートさせること。っていう基本ですな
そしてリアル志向に流れる前の基本の基本として、「これはどこに書く価値があるのか、読む価値があるのか」を考えましょうってこったね
ご都合主義でも、作品内の様式美、お約束として成立しているならいいと思うよ。でもご都合主義って主人公が上手くいきすぎるより上手くいかなすぎるっていう負のご都合主義の方が嫌なんだよな。盾の勇者とかSAOのアリシ編とかそれ。
わかる
盾とか他の勇者が馬鹿すぎてもうちょっと頑張れよって何度思ったことか
主人公を活躍させるために仕方ないとはいえ、三勇者も主人公と立場上は同等のはずなんだから、もっとカッコイイところが見たかった
負のご都合主義も見せ方さえうまかったらガンソードみたいにいい意味で気持ちの悪い悪役を作れるんだけどな
負のご都合主義がひどいと、ラスボスに色々としわ寄せがきて
(人道的にじゃなく)作中の設定的にやっちゃいけないこととか
逆にやってないとおかしいことをやってないとか、色々積もって
事情説明とか伏線回収っていう本来なら山場といえるところが
「は?」の連続になったりする
ってか、ご都合主義やリアリティをゲームと小説で比べられても困るからなぁ……
ゲームなんて「プレイして面白いかどうか」っていうのを前提にする必要があるし。
食料もランプオイルも水も必要、荷物にも大量の重さがあるっていうなら、戦闘ではお荷物になるが補給のために必要な輸送部隊要員が必要になるけど、そんなもんゲームで入れられても面白くはないんだよな。
それこそ、足にちょっと手傷を負ったら、次の街まで歩くことも難しいとか、クリティカルで即死するなんていうのはゲームバランスとして無茶苦茶なわけだし。
主人公と一緒に戦ってるパーティーでも、無理な命令をしたら腹を立てて主人公を後ろから刺すみたいな仲間なんてゲームバランスを崩壊させるしね。
なろう系ってそういう意味でもゲームをベースにしすぎてるところがあるから、小説のエンタテイメント性を引き立てるリアリティの方向性とは相性悪すぎんだよなぁ。
なろう系を書いてる人って「現実のような世界と人間たちがいる中にファンタジー要素を織り交ぜた世界はどうなるだろう?」じゃなく「ゲームっぽい裏表のない世界にゲームっぽい裏表のないキャラを配置して、自分の意図した方向に無理に動かす」っていう中でつじつま合わせる設定を組んで展開しちゃうから不自然さが際立つんだよね。
単純に彼らはリアリティっていうのを理解してないんじゃなくて、それを利用した上でおもしろい話っていうのを書くだけのスキルがないから、楽かつ人気取りができる方向に流れてるだけだと思うよ。
もしその条件で面白いのが書けるならそれこそプロとしてやっていけるわけだからね……
シムシティである条例を設定したら速攻で反対派が文句言いにくるの思い出したよ
イライラはするけど妙にリアリティがあるせいかつまらないゲームだとは思わなかったけど
まあ、シムシティは反対派が文句を言いに来るにしても、それで市長がリコールされてゲームオーバーになるとか、次の選挙で落選するとかそういうのはなかったはずだから……(震え声)
そもそも、シムシティは市長の権限が強すぎるからなぁ……
市会議員の賛成や合意も取れずに政策通せるわけないし。
市の予算の使い方に、県や国からのイチャモンもないわけだしね。
古いゲームであれだけど邪聖剣ネクロマンサーは、ラスボスにダメージが通るのが、神々が魔王との戦いで使った武器であるネクロマンサーのみであり、主人公はその探索及び魔王討伐を依頼されているっていう設定があるから、魔王のところに大群で攻め込む無意味さをしっかりと描いてる。
それでいて、ネクロマンサーの伝説がそんなに有名なのに、いまだに発見されていない理由として、神々がそのあまりある威力を恐れて別な形に変えてしまった、っていう設定があるわけなんだけど……
でも、そんな感じでゲームとして面白い部分を強調つつも、シナリオのつじつまを合わせたゲームってのはあるわけだけど、それでもリアリティのある小説を書くという教養としては不十分なところがあるからね。
やっぱり、しっかりと現実に沿ったリアリティとゲームとしての面白さっていうのを共に理解しないと、RPGファンタジー的な作品を作るのは難しいよ。
そういう意味では、くっそ昔の電撃文庫の幸田佳子さんが執筆した「ダンジョンマスター」みたいな実際のゲームのノベライズは勉強になると思うわ。
そのリアリティを重視しすぎてゲームとして面白くなくなったどこぞの小島ゲー
なろう作家にもこいつにも言えることだけど自分の作ってる創作の分野が何なのかきちんと理解した上で取り組んでほしいわ
戦争ゲーで、
リロード不可というかそもそもリロードするほど射ちまくる機会が無い
前線に出ている時間より基地でゴロゴロしている時間の方が長い
敵が出てこなくて延々と移動ばかり
・・・・これで「どやリアルやろ?」って言われてもハァ・・・となるな。
古代ギリシヤ人は演劇大好き、特に悲劇が好きで、悲劇を見て涙を流すことで心の浄化をしていた(カタルシス)
悲劇作家達も、大衆の求めに応じて「悲劇マシマシチョモランマ」をエスカレートさせてゆき、ついには不幸、試練だらけでどうにもストーリーとして伏線回収できない状態まできてしまった。
そこで流行り出したのが「デウス・エクス・マキナ」(機械仕掛けの舞台装置から現れる神)という演劇手法。
主人公が不幸の欲張りセットでどうにもならなくなった時に、舞台装置から紅白の小林幸子みたいに神様が現れて、
「じゃ~ん、神だよ~、神のパワーで全てを解決してあげるよ~」と強引にハッピーエンドにしてしまう手法。
これぞ、究極のご都合主義、当時もアリストテレスなんかは批判しているのだが・・・。
今、小説でこれやっちゃうと炎上モノだな、やっぱり古代ギリシヤ人はスゲー、俺達の二千年先を行ってる。
現代のループものとそっくりだな……
主人公の周りのキャラが全員死んで主人公も惨たらしく死ぬのに次の話ではのうのうと生きてる
普段創作をかじってない人間だと何が起きてるかちんぷんかんぷんで、「ループ」という独自のシステムを理解してる一部の読者だけが楽しめる全くリアリティのない話
リアリティ派に迎合するか非リアルなエンターテインメントに走るか
どっちも好きなんだけどね
イラクやフィリピンではおしんやボルテスをテレビで流したら町中から人が消えたとか犯罪発生率が激減したって話しあったな
演説よりもテレビやネットで時間限定で皆が楽しめる何かのやった方は外出自粛しそう
ご都合主義を排除すれば面白くなるってもんでもないから結局作者の力量次第だな
上手い作者はご都合主義的をお約束の熱い展開として描ける
逆に大したことのない作家が描く逆張りまみれの非ご都合主義作品はほとんど場合ゴミ
逆張りが目的化した作品けっこうあるけど面白かったためしがない
逆張りは「描きたいものを書いてる」んじゃないからね
作者自身に熱量がないのにそれを読む読者がどう熱中しろと、っていう話
逆張り作品って単純に反転して作ってるせいか
元の作品はここがおもしろい、巧妙である、などを
微塵も理解していない作者がいたりするよな
そのせいか、おもしろい部分までごっそり削っちゃってるときあるから
逆張り作品はホンマに残念なやつが多いんよね
どうしたって収まりのつかない不可思議な出来事が大量に投下放置・人々がパニック・世界が闇に包まれる(どうするの、これ?)→ラスト10頁でいきなり大地震→小悪人どもが地割れに呑み込まれ→空から光に包まれたUFO系が現れて人類救済→めでたしめでたし、って平気でやってた昔の貸本漫画で育った世代だから、たいがいの事はへっちゃら
*今回ばかりは、嘘みたいなご都合主義(BCG)が現実であって欲しいと、ひっそり願っていたり
幽遊白書の仙水編で、魔界に行った仙水が唐突に雷禅に殺されるの思い出したw
新しい脅威が出てくるからワクワク感は半端ないんだけど、仙水の最後としては惨めすぎるねw
本人はそれで満足だし下手すりゃ戸愚呂弟のが惨めになるとこだったんだからw
アマプラで無料だったので、81年からジャンプで連載が始まった漫画「ブラックエンジェルズ」読んでいるが、ご都合主義なんて生易しいものじゃないぞ。
最初、必殺仕事人みたいな主人公が途中から北斗の拳みたいになったりもうカオス・・・・いきなりマッドマックス2のヒューマンガスみたいなヤツが出てきたり、松田はマシンガンで撃たれまくっても死なないし。
ただ、ご都合主義と「外連味」(けれんみ=派手で大袈裟な様子)は表裏一体なんだな。
キン肉マンやローランド・エメリッヒ監督の映画もそうだが、勢いがあれば世界観的にはそれでよい場合もある。
最悪なのは、作る側に「照れ」が「戸惑い」が残っていて、チマチマと小さい嘘をつき続ける場合なんだな、これは読んでいる方が恥ずかしくなるパターン。
どうせやるならデッカクやった方がいいのがご都合主義や大風呂敷。
大衆が一斉に賛同してると
作者はこれが名案・名台詞と思ってて賛同してほしいんだろうな
ってのが透けて見えそうで没入感がなくなるなあ
モブは大手を上げて賛同してるけど敵対勢力(この場合はレジスタンスとか?)はテレビの前でグチグチ文句言ってるくらいの塩梅はほしいね
剣士たちからの賛同は多めだったけど
魔法使いは懐疑的な人が多かったでもいいね
「まあいいや」って程度の層をふやして
共存の可能性を引き出せれば充分ってケースもいいね
浮動層を取り込む活動は選挙の基本だしな
ロックマンエグゼ5ではチーム活動において課題が発生する度に、その課題を解決する能力のあるキャラクターが加入するという流れになっています。
マシンガンが設置してあって突破が難しい。→防御力のある仲間(マグネットマン、ナイトマン)の加入
普通のナビがいけないような場所に侵入できるようになりたい。→偵察能力のある仲間(ジャイロマン、シャドーマン)の加入
めちゃくちゃ固い壁があり、パワーのある仲間が欲しい。→攻撃力のある仲間(ナパームマン、トマホークマン)の加入
めちゃくちゃ複雑なパスワードを解除する能力が欲しい。→ブレイン系の仲間(サーチマン、ナンバーマン)の加入
闇を浄化する癒しの力が欲しい。→サポート系の仲間(メディ、トードマン)の加入
こんな感じなのですが、物語内に出てくる障害を取り除くためのキャラクターが順番に配置されていると考えると、これはご都合主義にあたり、仲間の加入の順番が少し変わるだけでこのバランスは崩壊します。
例えば、最初のマシンガンの課題があるときに攻撃担当のトマホークマンが加入してもハチの巣にされるのが関の山です。加入する順番までもが主人公サイドにとって都合よくなっているのです。
おまけにこれらの障害は、このキャラたちを有効活用してくれと言わんばかりにラストダンジョンにも配置されています。一度破られているにもかかわらずです。
それでも当時の私はこのゲームを楽しみましたし、今やっても楽しいと思います。仲間が増えていくのもワクワクしましたし、ラストダンジョンも仲間と力を合わせていく感じが好きでした。
つまり、何が言いたいかと言うと『ご都合主義』自体は必要なものだと思うのです。もし、『ご都合主義』と批判されるものがあるとしたら、本質的に別の問題を抱えている可能性があります。ゲームとして、漫画として、小説として、『面白み』がそこにあればご都合主義と呼ばれるような何かは自然と無視されるのです。
それでもなぜ『ご都合主義』と言うのか。これは私の推論ですが、つまんないと批判すると個人的な意見、すなわちワガママっぽくなるから『ご都合主義』という言葉を使うことで自分の意見に客観性を持たせようとしているのではないかと思っています。
そうすることで『自分のつまんないという意見は周りに共感してもらえて当然のものだ』と遠回しに主張したいがための隠れ蓑として便利な言葉になるため、浸透していったのではないでしょうか。
まとめると、『ご都合主義』というのは『作品を批判することにおいて最も低次元な言葉』と私は認識しています。
長文失礼しました。
ぶっちゃけ、特定の有名作品を引き合いに出しても「その作品は上手にやったんだよ」で終わるんだよな。有名作品が同じ事をやっていても他の所でカバーしたり補助しているのが実態で、その部分だけではダメである事もままあるわけで。
しかも、反論根拠が論理的にどうこうじゃなくて「自分は楽しめた。だからご都合主義は必要なんだ」ってのはどうかと。文句を言ってる人は「自分は楽しめなかった」から言ってるんだから反論にならないよね。
そして、2020年4月5日 10:54 AMで言ってる人いるけどゲームと小説は違う。ゲームとしてプレイして面白い事、物語としてのリアリティや面白さは全く別次元。ゲームの場合はゲームとしての演出や調整がリアルに考えるとおかしいなんてことはよくあるし、逆に小説や漫画で気にされるようなリアリティをゲームに持ち込んでも面白くないからカットされるんだ、な事は昔からよく言われてる。ご都合主義とかそういう狭い次元の話ではなくてね。
つまり「小説としてこれおかしいね」って言われる事を「ゲームならおかしくない」で反論するのはかなりトンチキな話。そして「ゲームならおかしくない」ことを思考停止して小説に持ち込んでるのが駄目なんだというのが2020年4月5日 10:54 AMのお話。
ゲームでも小説でも『面白さがあるならばいわゆるご都合主義とされる要素は無視されるのは同じことだ』と私は言いたいだけです。
楽しめなかったというならそこには必ず原因があるはずです。それをうまく説明できないため『ご都合主義』という単語が使われることだと私は分析しています。
私の意見が論理的でない部分は認めますが、逆につまらないという意見も非論理的なものです。それを無理矢理論理づけようとした結果生まれたのが『ご都合主義』という言葉なのではというのが私の見解です。
あと、別に私は誰かの意見に反論しているわけではなく、自分の思ったことを言っているだけだということは伝えさせてください。
ただ、確かに文芸関係を取り扱ったサイトでゲームの例え話をするのは不適切かもしれませんね。
小説だと湊かなえ女史の『告白』でウェルテルが森口の後任者だったとか、その出会い方とかがご都合主義ととらえることもできるなと思いました。この点は気になる人は気になると思います。
そもそも物語の働きがロックマンの例そっくりだと思うなあ。
プロップは民話で起こる出来事を31の機能に分類したわけだけど、例えばその中で敵対者が策略を企んだり加害をもたらしたりする出来事は、主人公がそれらに対抗する何かを獲得する出来事よりも、常に先に起こる。
物語のイベントは機能に沿って順番に起こるわけ。その意味でゲームのステージ進行と変わらないっすよ。
そうですね。都合を合わせないと物語にならないわけで。
逆に現実に生きる私たちの身に物語になるような面白いことが中々起こらないのもまた、『ご都合主義』と呼ばれうるような何かが周りにないからだと思います。
SFで遥か数万光年から来た地球外生命体がいきなり日本語喋るのも実は「ご都合主義」なのだが、突っ込むのも野暮なので言わないだけだ。
そういうパターンのご都合主義に真面目な批判はあまりないよな
おそらくストーリーの重要部分に関わるかどうかも関係あるんだろう
日本語を操れることは他の侵略に使われる技術に比べれば些細なことだからどうでもいいと読者に思われる
考察の余地があるならむしろ優秀
宇宙の彼方から来る科学力持ってる奴らが言語の分析出来ないとは思えんけどな
ご都合主義なんて古今東西腐るほどあるからなあ
行き過ぎるとデウスエクスマキナみたいなことになるからいかんけどな
御都合はリアリティの問題で、話が現実に則っているかどうかということより、物語としての整合性があるかどうかの問題だと思う
自分が御都合主義だなと感じるのは、話の展開として無茶、強引、不自然、違和感を感じるとき
ただ、ここら辺はまぁ仕方ない、物語なんだから多少そんなんもあるさ、ですむけど、許せないパターンは、物語の問題解決の方法として、それがあるなら最初からそれ使えばよかっただろ、それやっとけば最初から問題起きなかっただろみたいな解決法を、なんの伏線もなくだされたときで、もう少し話の流れや見せ方をうまく考えられなかったのかと感じて冷める
演説のパターンでいうと、主人公が色々あって紆余曲折の末に演説にこぎつけたり、主人公の様々な活動の末に聴衆が納得して一致団結するなら、それが現実的でなくとも、そういう物語として読める
でも、物語の収拾がつかない状況でどうしよう、どうしよう、ってなってるときに、とりあえず主人公が演説しました、満場一致で解決しましただと、今までの描写はなんだったの?ってなるし、こういうの御都合主義、御都合展開だなぁって思う
主人公に都合がいいのは赦されるべき。
真の悪は、作者の(演出のための)ご都合だ。
人、それをテコ入れと呼ぶ。
主人公をあと一歩まで追い詰めておきながら思わせぶりなこと言って帰奴~はテコ入れ?
コレをやられるとあーぁってなるんだが…
話の中の都合じゃなくて、そんな話にした作者や編集の都合のことを皮肉ってるんじゃね?
普遍的にはジャンルによるかな、次いで対象がどの年齢層向けかにもよる
そうはならんだろ…と萎えることもあれば、それ必要か?って鬱陶しいときもあるが
その許され具合は最初に手に取るラベルになんて書いてあるかが決めると思っている
ただ、より多くの視聴者の心を掴む作品はやはり人心の描き方に重きを置いているね
対立と反発が生まれると緊張感が裏支えして話がぐっと面白くなる
>気に入らない:5%
この人たちにも気に入らないなりの納得できる理由があるとさらに面白くなる
どうやって問題を解決するのか?までセットで考えやすくなるし、受け手の興味も維持しやすい
代償とかなんとか設定散々並べておいて
主人公がちょっとうなっただけでノーリスクにしか見えんのは
ご都合主義に見えるなあ
作者が、主人公から何かを取り上げるのに慣れてないのか
設定の段階でいろいろとバランスがおかしいのか
甘やかしてるだけだけなのか知らんけど
ペンギン管理人が定義しているご都合展開だけど、ごく最近それをやらかしたプロの作品がある。モーニングで連載されているグラゼニ。なろう系じゃないけどなろう系を上回るすげえ展開があった。
登場人物のプロ野球選手(※主人公にあらず)が不調になっていてフォーム確認するもいまいち原因がわからない、もっと昔の、そう中学時代くらいの映像があったらなあと海岸で黄昏れていたら…
たまたま座っていた砂浜の側にビデオカメラ発掘!なんと亡くなった友人のだ!友人の妻で好きだった女の子(今はスポーツ記者)に見せたら本物!しかも映像データが生きている!おおお〜中学時代の映像だ!フォームを見たらたしかにいろいろ崩れている!原因わかったぞ!不調から回復!亡くなった友人が俺に送ってくれた天国からのプレゼントだ!ありがとう!
…どうして砂浜にビデオカメラあるんだよとか何年砂に埋まってたんだよとか雨とか潮風とか海水とかでやられなかったのかよとかなんで中学時代のデータが入ってたんだよetcetc、まあいろいろ整合性をかなぐり捨てた不自然という言葉にも失礼なレベルの無茶苦茶すぎるご都合展開で唖然とさせられたZO
この作品、カネとかプロの世界の厳しさ無情さにひたすら重点をおいた、いわゆる「リアル系」の作品で、主人公もこの作風の例外ではなくケガとか不調とかライバルの躍進のあおりを受けたりといった困難を乗り越えていて、対象年齢が40代くらいのおっちゃん向けの作品でこれをやらかしたわけである。それもコンビニで普通に置いているレベルの漫画雑誌で、十年以上連載を続けている看板作品で、作者も駆け出しどころか相応のキャリアを積んだプロであるにもかかわらず…このレベルのご都合展開があったらぜひとも教えてほしいところだよ…orz
ゲッベルスって名前の宣伝相出すだけでありそうな話になるで。
相変わらず亀レスの管理人ですm(_ _)m 皆さんコメントありがとうございます。全部興味深く読ませていただいております。
ゲーム、特にロックマンの話も面白いのですが、
> 全員っていうのがポイントでは?
> ヒトラーに反抗する人もいたっていうのが
> リアリティの有無に関するミソなんだろうな
> 物質的なご都合主義なら許せるとは言わないけど、人の心のご都合主義は見てられないよね。
> 土壇場で秘められた力に目覚める系だとか
> 目的は違うんだけど一時的に利害が一致とかイケるんだけど
> 大勢の思考と行動がシンクロってのだけはないな
管理人が言いたかったのはこのあたりのことです。一人の心情だってなかなか動かせないのに、大衆が全員こちらの思惑通りに感じてくれるはずなかろう……と。
> 対立と反発が生まれると緊張感が裏支えして話がぐっと面白くなる
> >気に入らない:5%
> この人たちにも気に入らないなりの納得できる理由があるとさらに面白くなる
すんなりいかないこと自体が面白さになりますよね。
> それでも人間は空気や恐怖に流されるっていうのを大衆の一人に焦点を当てて書ければそれはフィクションとして成り立つと思う
おっしゃる通りです。以前「ディテールを書こう」という記事を出しましたが、
http://yomisoku.com/archives/post-20778.html
大衆の心情も「寄りのカメラ」で描いたほうが説得力が出ると思います。
> 「99.9%あり得ないけどこの主人公なら実現するかも」って思わせられるだけのハッタリを用意できればリアリティのあるご都合主義な物語だって成立する、ような気がする
> ぶっちゃけご都合展開許せるかどうかってリアリティどうこうより作中のキャラにどれだけ好感を持てて応援したくなるかだと思う
キャラの印象は大きいですよね。これはご都合主義(と言われ得る部分)周辺の設定・経緯でどうにかなる話ではなく、第1話からの積み重ねが大事なんだと思います。
あと、「逆ご都合主義も嫌」というご意見が多いのも印象的でした。以前発表した管理人作品に「負のご都合主義が過ぎる」というご指摘がありましたが、
http://yomisoku.com/archives/post-19322.html
改めて肝に銘じておきます。
ご都合=作り手の都合な場合はそもそも語るにすら及ばないけど
正直運や偶然が許されるのは現実のみって思ってるくらいには娯楽におけるそういう要素は安易に使うべきじゃないとは思うわ
最低限その運を引き寄せたのはそれに値する過程や努力やお膳立てがあったからこそ、くらいの構成や演出をしてほしい
それこそ娯楽なんだからせめて娯楽としての体裁を守れやって話
わいはご都合主義は容認してる。
ご都合な状況になるのが主人公の能力と思ってる。それに主人公以外が気付く展開にしてる。
人や状況によってご都合と感じるポイントは異なるようですね。
話を読む上で何に重点を置いているかなどで分類できると面白そうですけどね。