大人になって初めてラノベを読んだけど文章がw

意外と巧くて感心したし下手な新人作家の純文学よりマシ
テンプレやコピペになってるのは恣意的に悪文を出してるんだな
読んだのはガンゲイルオンラインです
中学生の頃にキノを読んで面白かった印象がある
それと時雨沢の文章は読みにくいと感じなかったのから
※追記 2020/05/03 19:18:19
具体的な評論は長くなるから
アド機能で追加していくよ
たくさんいすぎて羅列するのが面倒だが
一例は新潮から出たバクテーの作者
又吉は忖度や商戦で上がってきたろうけど文章自体は巧い
読んでいて気になったのが
句点で区切る一文が異様に長いところが多い
読点で区切る一文が異様に長いところもある
接続詞がとても少ない
人物描写が普通の小説に比べて極めて少ない
凝ったレトリックや回りくどい表現がほぼない
総じて子どもでも読みやすい文章になってる
普通に巧いですよ
文春の新人賞審査で東浩紀が
純文学の応募作はエンタメのそれより文章力が高いけどサービス精神に欠ける
と言った意味が分かった
サービス精神が分かるんですな!add
凝ったレトリックないのはええな
大抵のなろうは文章とかストーリーとかにあってないくどい表現使いがちやからそれだけで好感持てるわ
ワイの文章力がどうこうもな
こんなところでガチに練った文載せるわけないしスピード重視なんで
なんか草
キッツイんだわ
アラサーの男やで
小説は主に昭和文学とロシア文学が守備範囲や
それでその文章力ねぇ..?
読んだことはないけど
句点で区切る一文が異様に長いところが多い
この一文はセンテンスというんだけど
国語の教科書的にはセンテンスが長いのは悪文なんだよね
接続詞を使って区切ったほうが普通の大人には読みやすいから
あと会話文もセンテンスは50文字までがいい
NHK報道部のマニュアルでも50文字で一旦止まれとある
そうしないとシンゴジラの会話みたいなマシンガントークになってしまうからや
でも一文一義が重要という考え方もあるんや
ひとつのセンテンスに一義を集約しろってメソッド
センテンス長くてもいいから一文に主張をまとめろという考えね
時雨沢の文章は一文一義を重視してるって分かる
ちょっと活字読んでる程度の人でも
なんでここで区切らないんだ
ここで区切って接続詞で別センテンスに繋げたほうが読みやすい
そう思うかもしれんがそりゃ活字慣れした大人の考えや
活字慣れしてない
ましてや接続詞なんか学校で習ったばかりの中学生なら
一文一義にまとめてくれたほうがいいし接続詞多用されるより読みやすい
!add
有名所でも今の純文学はひどいからね
キノは読後感いいけど
僕は勉強が出来ないは気分悪くなったわ
こんな高校生いたらウゼエよみたいな
山田詠美はセンター試験の問題に出るくらい大御所純文作家だけどワイの中では時雨沢以下
デジタル時計しか見なくなった子供が
アナログ時計読めなくなったの思い出したわ
実際どうなんだろうね
「子供向けの小説」と割りきるのわ
>>24
アマ作家の方が難解な表現を使いがちだからね
今はパソコンの変換機能があるから昭和文学より難読漢字を多用する人もいる
もちろん出版社の新人賞なんかでは
そういうの読みにくいから足切りしてるし
恐らく難読漢字対策だろうが新潮社の公募では手書きのみ受け付けになった
>>28
これはモバイル機器の普及もあるだろうね
デジモノの時計はほとんどデジタルだから
最近では子供用の本格的アナログ時計も売ってるよ
読点で区切る一文が異様に長いところもある
これは集中させる為に意図的にやってるんやろうな
ワイだって句読点を使えば文体診断ロゴーンで
とても読みやすいA評価を常時出せるんやけど
掲示板だと面倒くさいから句読点使わない
だから文章力ないって批判来るのは承知なんや
注目させたい箇所だけで使ってるから
ここ注視して印象に残してという目的でやってるんやろうな
村上龍が句点なしの長文を書きまくるけど
あれはシンゴジラと同じくマシンガントークの表現なんや
落ち着いた作風の作品ではそういうのやらんからね
接続詞がとても少ない
これは先に答え書いちゃってるけど
接続詞って活字慣れしてない人や習いたての人にはハードルだからね
逆説だけでも
だが
しかし
とはいえ
ところが
けれど
と何種類もあるけど中には逆接以外で使える品詞もあるんだが
そういうの完璧にマスターしてる人って人気ウェブ作家なんかでも少ない
接続詞が不適切だったり種類が少なかったり
アマとはいえ書き手がこれなんだから読み手は推して知るべし
人物描写が普通の小説に比べて極めて少ない
これは簡単な話でキャラ絵が設定されて可視化されてるからだよ
ロシア文学も同じ
ラスコーリニコフの外見なんかほとんど描かれてない
ドストとラノベ比べるなって文学オタは怒るかもしれんが
あれは新聞の挿絵付連載小説で今だとラノベに近いものだから
凝ったレトリックや回りくどい表現がほぼない
村上春樹とか三島由紀夫なんか比喩多用と長文による描写がウリだけど
文学ファンの中でも豪華な美文か冗長な悪文か評価わかれるからな
ラノベの読者層を考えたら長い説明文いらないだろうよ
村上春樹は美少女キャラ・ふかえりの人物描写に
原稿用紙数枚分は使ってるけど読んでてクドイと思い
それから胸の形とか具体的に書きすぎててキモイとまで思った
総じて子どもでも読みやすい文章になってる
これを良いと思うか悪いと思うかは人それぞれだろうね
一般文芸を読めるならソッチ読めという大人も多いだろう
読解力って天性のものもあるし
成長には個人差がかなりあるのよ
中学生で金閣寺やカラマーゾフを読んで評論書ける子もいれば
新聞どころかマンガもまともに読めない子もいるんだわ
読者層は子どもと想定してますと時雨沢本人が公言してるけど
まあ巧く有言実行してます
そうか
これでも誰でも知ってるような大手まとめに何十回は載せてもらってるし
読みやすいという定評はいただいてるんだけどな
お前さぁ…
なんでもうちょいまともなもん選ばないんや
電子書籍で試し読みできる時雨沢作品が
ガンゲイルだったからだよ
あー…時雨沢信者か…
ならしゃーないな
ネットで読んだのも含めれば異世界居酒屋は読んでるかな
> サービス精神
なるほどなあ
ディスカッション
コメント一覧
外見描写と人物描写は別物だと思うけどな
外見はそのままだけど人物描写って内面とかの人柄を表すものじゃないの
と俺は思ってるんだけど
内面については心理描写とか心情描写とか呼ぶこともあるしなあ。
まあ総合的なのを人物描写として外見・内面とか、肖像・行動・心理とかで分けるのが一般的な気はするが、人や考え方によって呼び方違いそうだし。純粋な客観的三人称だと外見と行動で人物像匂わせるしかないし。
ただ少なくとも外見描写とかって言葉使ってないし、明らかに一貫して外見の話としてしか使ってないとわかるからいいんじゃないかと。
何だかんだ簡潔で分かりやすい文章が一番書きづらいし一番読みやすい
文章厨って便所の落書きにまで高潔さ求めてんの?
やっぱり無意味か
作者にしても読者にしても、畏まった文体かとか一文の長短とかレトリックの多さとか会話の分量とか、単純な特徴だけで文章評価してる人がたまにいるよね。
でも文章は情報伝達手段や表現の方法であって、表現目的に対して適切・効果的かどうかで評価されるべき。本質は読者と作者のコミュニケーション。
どんだけレトリック多用したり工夫を利かせても、児童文学で主要読者の理解を阻害するレベルなら表現として失敗してる。作者に文章技術があるとは言えても、表現力が高い人とは言えない。
主人公が大雑把な性格として描かれているのに、一人称でやたら描写や文体が凝っていればかえって違和感になる。
臨場感やスピード感を出したいシーンなら短文を句点で区切って視覚情報をシンプルに羅列するとか、思考スピードや切迫感としてマシンガントークみたいに句読点を減らすとか、場面によって効果的な緩急やリズムも異なる。
ただ漠然と読んでるとあんまりわからないものだし、ジャンルや場面によっても違うから特定の基準では一概に評価できない。文法のミスとかは別だけどね。
それな
意図しない文法ミスと雑な崩しと考えられた崩しと意図してないけど秀逸な文法ミスと既に一般化しているが故にそちらに合わせた文法もそれぞれ別物だしね
なろうアンチでも「俺何かやっちゃいました?」ネタにネチネチケチ付けてる人は寧ろ理解出来てないんだなと思うしね
キンキンキンだって文学や詩的価値を持ち出さなければ別に問題ないからな
孫の気持ち悪さはありふれの「俺とあいつに差なんてないのでは?」「そんな事ない」の下りの気味悪さが基本だからね
作品としては作者のナルチシズムや主人公ageにしか見えないからな
似たような流れにダイの大冒険のクロコダインとバダックのやり取りがあるが、
あれはあくまでバダックのフォローと将来に対する信頼(応援)だって共有されてるからツッコミも激しくならないだけ
(突っ込む事自体がコメディにしかならない)
ありふれのは今までの流れやあの場面の流れ、どっちもハジメageの流れなんで、
「ファッション苦悩で女にヨイショさせる面倒くさい奴=作者」になってる
孫も問題の根っこは同じで「主人公自体と主人公が絡んだ時のキャラの書き方が下手過ぎてこれをこう言う評価の奴と思ってそうな作者」になってて「キモキツ」ってなってるだけなんだよね
で、そう言う評価の結果「俺何かやっちゃいました?」も坊主憎けりゃとか遡及的意味の変化でウザくなってるだけだが、あれ自体は描写を見てけば「持ちネタギャグ」なの分かるからな…
春日の「格好いいだろう?」と同じ
かなり話が広くなったが、まあ概ね表現全てに言えることだね。作者の意図や読者需要ありきで見ないといけない。
それに下手なら下手で、なろう系のその気持ち悪さも作者のナルシズムより借り物の展開を下手に組み合わせたせいってこともあり得る。
ありふれはむしろ序盤だと主人公の価値観が変わった事の良し悪しに対立軸も見えたのに、途中から急に欲望全肯定に向かった。あれは多分感想欄の毒者に媚び過ぎておかしくなったんじゃなかろうか。途中から急にキャラがおかしくなる。
「またなんかやっちゃいました?」で言えば、作者の意図としては単なるお笑いのつもりでやらせてる事くらい普通に察する事が出来るわけで、滑ってるとは思うが古典的な型だしそんなに叩くほどのとこでもないね。
ただあの手の天然ボケと詠唱小バカにするとかの高二病スタンスは相性が悪いから、全体として見るとキャラデザが雑だなとは思う。作者の意図以上に幼稚に見える失敗キャラだから、作中の主人公アゲが余計不自然に見える。
キンキンキンは、バトルをメインにしていたり真剣なシーンだったりとしては流石に手抜きが過ぎるかな…。擬音として挟む事自体はいいが、あれは客観描写が少な過ぎで擬音に丸投げだから流石にギャグに見える。ただまあ軽く読んだ感じやたらサクサク進むしライトな世界観だから、需要とか込みで考えればそんなに問題ないかも。多分キンの回数が半分で一文でも剣戟に客観描写が挟まれてたらそこまでいじられてなかった。
それよりあのギャグっぽい出だしとワンパターンなゲーム世界メタ戦法をクール型現地主人公で真面目にやり続けるコンセプトの方が理解できない。
コメディ8割以上かメタ的短編とかならわかるんだが、あのノリを長編でやるのは流石に「ただ何か書いてるだけ」って感じ。まあゲーム実況みたいなもんなんだろうが。
なろうの場合は作者の問題は意図より構成力で、意図の問題はそれを「そのままに」好む読者の方が強いかね…
(まぁ、さらっと食べれるところだけつまみ食いしてる層が多いのかもしれんが)
作者側だと現状だと楽に金稼ぎたいは根本的に批判される様な欲望じゃないくて、
そう言う作品選択はあくまで「ウケ狙い」だとすると、
差別ネタYouTuberとかレイシスト政治家と同じで、そこに票を入れる奴の方が問題かね
(賭け事で勝てば責められないが失敗したら責められる=賭け事自体は悪くない)
ありふれはコメディ全振りの日常は楽しめた
あと零はアイデアだけ出したのか、キャラが立っててシリアスでもイライラしなかったな
本編の事考えるとストレス溜まるが…
ミレディキャラ崩壊してね?(本編で)と言う
文章力の話題は荒れる(確信)
その為にコメントの仕様変更したから大丈夫、、、なはず
文章力という無駄な知識を唯一活かせる場がレスバだなんて(小説を書くも話が面白くないので手段が無駄になり、批評という明後日の方向でしか活かせない)