文章を書くというのは
句読点の一つや二つ、どうでもいいとも思うのだが、編集者が勝手に私の原稿に手を入れて、句読点を一つ入れたり取ったりしたら、不思議とすぐに気づく。そして腹が立つ。文章を書くというのはそういうことだ。息をするようなもの。息づかいは人それそれ違う。
— Mitsuyoshi Numano (@MitsuNumano) June 29, 2020
みんなの反応
「入れてもいいけど、入れなくてもいいよね」という直しをしたがる校閲は間違いなく初心者。
— 新聞校閲 (@pAK6ww3wRXFOtEt) June 29, 2020
編集者ですが、句読点を勝手に打ったり取ったりするのは、著者に対する敬意が欠けていると思います。ゲラに鉛筆書きで入れて、著者に判断してもらえばいい。
— 風考 (@anarchist_08) June 30, 2020
句読点の位置で意味合いが変わることもありますし。
— サンサンカレー (@taifu_curry) June 30, 2020
編集者の井上です。勝手に手を加えるという行為は論外です。
句読点一つといえども必ず著者にお伺いをたてるべきですね。— 井上 芳郎 (@yinoue0910) June 30, 2020
①メロスは、村の牧人である。
②メロスは村の牧人である。
全然違いますね。
ディスカッション
コメント一覧
編集者に依頼する仕事内容は明確にしておかないとね
空気読んで雑用やっといて、という対応してたらそりゃ嫌がらせもされるわな
文章における句読点が呼吸のようなものという考え方はよく分かる。
ここの晒しとか、なろうとかで作品を、漁ってると、息切れしながら、書いてる人が、かなり、いるんだけど、めっちゃ、読みにくい
句読点を視覚的な情報整理だけで考えちゃってる人はよくいるけど、編集がそれってのはよくないね。誤字脱字とかはともかく句読点は勝手に変えるべきじゃない。
文章はあくまで言語コミュニケーションの一種で誰しも文より先に耳で覚えたものだから、読みやすい文章ってのも本質は耳心地の良さ。
自然に書いた文章は書き手にとっての心地好いリズムになってるから、自然体で書く人ほど他人が入れた句読点にはすぐ気付くだろうね。
句読点が少ない長文とかは必ずしも冗長ってことはなく、助詞を上手く使ってリズミカルに書かれたものなら読者もスラスラ読めるはず。
むしろ作者のリズム感を途切れさせる方が絶対読みにくくなる。