クリエイターの「褒められないとモチベ上がらない」は早めに捨てた方がいい
クリエイターの「褒められないとモチベ上がらない」は早めに捨てた方がいいですよ、、、。褒められたら嬉しい。それで終わり。褒められに自分の行動を決定されてはいけない。
— 西位 輝実 NlSHII Terumi (@NishiiTerumi) August 22, 2020
自分が自分の一番のファンであるべきで、自分の声を一番によく聞かないと、空っぽになってしまうよ。
— 西位 輝実 NlSHII Terumi (@NishiiTerumi) August 22, 2020
その価値観で作ると、ほんとにみんなが褒め出すくらい人気出たら今度はどうせアンチにメンタルやられるぞー。自分を手放さないことが唯一の防御。価値ある自分を守れ。
— 西位 輝実 NlSHII Terumi (@NishiiTerumi) August 22, 2020
みんなの反応
「ただ自分が創作したいから創作する!」が大事で、その上で「褒められた!嬉しい!はい終わり!」が理想ですよね。
あくまでも「自分の為」が重要ですね。— みずしま (@hate_twfemi) August 22, 2020
「褒められていると、モチベになる要素がそちらにシフトしてしまう」という罠だと思います。初めから褒められたくて作っている訳ではないはず。
— はりぽ@INGRESS (@haripo_co) August 22, 2020
自分は感想が無いとモチベーションが保てません。
感想や好評が欲しいわけではないのです。別に悪評や批評がついても構いませんし、承認欲求を満たしたいわけでもありません。
ただ、何一つ反応が無いと自分の作品が面白いか面白くないかが分からなくなるのです。そんな漠然とした不安が苦しいのです。— モノクロ (@MoNoKuRo1030) August 23, 2020
実はこれはクリエイターに限らない話で、外部の評価軸に依存していると主体性が死んで自分では何も決められなくなるんですよ。
会社の人事評価に依存していた人が定年退職後に何もできなくなる現象と同型です。
— カスタニア (@_castanea_) August 23, 2020
モチベーションになるから褒め合おうね! 的な呼びかけが多い中、重要な発信だと思いました。
ディスカッション
コメント一覧
「褒め合う」、要は互酬ですね。
互酬:文化人類学、経済学、社会学などにおいて用いられる概念。人類学においては、義務としての贈与関係や相互扶助関係を意味する。(wikiより)
それが理想よね
というか実際褒め言葉ってそんなにモチベになる? プレッシャーの方が大きくない?
どれだけ自信を持って作品を世に出しても、本当に世間の面白さと合致してるかは分からないじゃん?だから褒められる=作品が肯定される、っていうのは嬉しいものでしょ。まぁでもコンスタントにプラスの評価ばかり貰えるわけじゃないからプレッシャーもあるってのは分かる。
いや、俺もそこまではわかるんだ
でもほら、例えば「次回作も期待してます!」とか「次回更新が楽しみです!」とか言われちゃうとなんかこう、この人達にウケるものを書いて応えないといけないな、ってプレッシャーにならね?
アンダーマイニング効果っつってな
動機が外的要因になるとモチベーションが低下するんや
創作の動機はむしろ常に自発的動機にせなあかんのや
作家と読者の関係なんて建前はいろいろあるけども、本音として読者は「金やるから俺を面白がらせろ」作者は「俺の考えた面白い作品で楽しませてやるから金寄越せ」で良い
褒めてくれないと作者のモチベーションが下がるとか読者が請け負う責任の範疇にないわ
完結してるのをちょっとずつなろうとかにUPするならまだ分かるが
途中まで書いて上げ、反応をもらわないと進められない
みたいなタイプは小説書くんじゃなく他のことをして注目浴びた方がええんじゃないかと
作者同士の褒め合いの中で感想をいただくことが増えた。最初は嬉しかったけど、それってこっちが相手にも感想を送るから、ようは見返りありきの感想なのかとふと気づく。
それでもありがたいことなんだけど、時々無性にむなしくなる
この記事を読めて良かった。ノーリターンで褒めてくれる相手は自分だけだ。大切なことに気づけた
完全に趣味でやっているだけならいいんだけど
それが生活費の一部になるようなものだと
見てもらった数とかどうしても気になってしまうと思うわ
きわめて重要な話だ 称賛に支配されているようでは褒め殺しの対象となるわ それが無くなれば枯れる依存症患者になるわで碌な事は無い(あくまで「人の声が聞きたい」という方針ならまったくおかしい事はないので 肥大した承認欲求の類でないなら感想を期待するのは是 寧ろ精神の健康のためによいだろう)
他方で「客観性」に基づいて自身の記しているものがどのように機能しているかを検討する事自体は一定の範囲で有意義だろう(尤もその場合に必要なのは称賛の声ではない)…無論 自分本位が過ぎて空中分解しないための安全弁であって それに依存する事は目的には含まれない もし「検討している筈が強迫観念に嵌ってしまうようなメンタル持ち」なら己を信じているほうがマシだろう