昔どこかで目にしたものを自分で考えた新規性のあるものだと勘違いして発表してしまう可能性
クリエイターの人々,「昔どこかで目にしたものを自分で考えた新規性のある物だと勘違いして発表してしまう」可能性をどうやって払拭しているのかが非常に気になるのです。
— ゆかたゆ (@yukata_yu) October 11, 2020
因みに以前これをDTM勢の同級生に話したところ、急に神妙な顔をして「今作っている曲に聞き覚えがないかどうか、一応確認してくれ」と言われました。
— ゆかたゆ (@yukata_yu) October 11, 2020
みんなの反応
どなたかの作曲家が言っておりましたが「家族に聞いて確かめる」は有効だと思います
— ojiman隊長 (@ojiman_Alice) October 12, 2020
払拭せずに発表しているのが実情かと存じます。
— 下田 紀之|モトシモダ (@noshimoda) October 12, 2020
関係ないかもだけどネタツイが既出だった時の「パクツイ」が死ぬほど辛い
— はるとん 数強になります (@Haruton_CR) October 12, 2020
建築・内装デザインやってます
既存デザイン手法、歴史、トレンドなどを組み合わせてどう新しく見えるように纏めるか、が肝です。
そもそも完全に新しいものはもう概念自体を大幅に覆す技術が出ない限りは生み出せません。デザイン=新しい物を生み出すことと考える方が多いですが、それは間違いです。— 小岩井名無し (@tobr2nd) October 12, 2020
「1つから影響を受けると盗作になるが100から影響を受ければオリジナルになる」というぐらいなので、たくさん見て作りまた見て作って自分のものに落とし込むんです。近年の「似てる作風」って好き嫌いで選りすぐった結果コピーになってしまった人だと思います。
— ノンブル (@U79Ja) October 12, 2020
音楽はながらで聴くことも多いし、触れる数も多いので、自分も気になります。
物語、絵、ゲームなどは記憶に残りやすいので、ほぼ同じ内容になった時には「これあの作品と同じになってるな」と気付けると思います。また、記憶に残るような作品でなければ、自分の創ったものと被ることもないかなと。— よわの (@yowano_k) October 12, 2020
パクツイの件で気付きましたが、ガチで偶然かぶったパターンも有り得るんですよね。
ディスカッション
コメント一覧
自分が好きなネタを書いたり作ればいいと思う
そのネタが現実にないから自家発電しようとして生まれたものだし、例え被ってたとしても好きって感情に基づくものなら独自性が出てくるでしょ
音楽は特にこのパターン多いね
まあ依拠性(要するに故意)がなかったら裁判になっても負けないし、そもそも似てる程度なら元からセーフ。今時過去に類を見ない独創性だらけの作品みたいなものは作りようがない
パクりだなんだと風評被害は出るけど、これはまあどのみち出るから気にする意味がないし
物語なんかは特によく誤解されてるがあらすじや設定や構成はアイデアであって表現じゃないから著作権の問題にならない。
セリフとか文章とか、漫画なら構図やデザインとかの方にこそ個性が出るし一番重要ってのが専門家の方々の理解なんだが、素人オタクはそうじてそこら辺を見ていないってのがね…
嘘喰いの「この世には悪も正義もねえ、ただそれぞれの我儘があるだけだ」っていうセリフが大好きで人生観の一部になってるんだけど、そのせいで何か創作しようとするとだいたいテーマの根っこがそんな感じになってしまう
でも『西遊記をパロディした、7つ集めると願いが叶う玉を集める旅』というアイデアで百万人が創作してもドラゴンボールは一生書かれないだろうし、多分そういう個人個人の無意識に滲み出てくるエッセンスこそがオリジナリティってやつなんだと思う
そしてそのオリジナリティを他人に委ねる(引用・剽窃する)と薄っぺらなパクり作品になる
要するに元ネタを忘れるくらいに自分の血肉として馴染んだ言葉や展開なら、何も恥じる必要はないと思うのだ
影響を受けたことを認めるか、受けざるを得ないと開き直るしかないのでは?
現代社会じゃボケっと生きてても過去の何かしらの哲学を勝手に習得する
他の人の作品と100%同じものは避けられても70%とか肝の部分だけとかで似てしまう事はもはや避けられんでしょ
自分の描いた絵とあり得んぐらい似ている絵を発見してビビった事があるが(どちらが古いかは不明、っていうか接点の無い分野)、多分自分は過去に何処かで見たメジャーな絵を無意識に踏襲していて、この作者も同じ絵をオマージュにしたんだと思って納得する事にした。