「投稿しても評価されない」「自分より上手とは言えない人が評価されていると憤ってしまう」
今朝の読売。絵描きさんの
「Twitterに絵を投稿しても評価されない。自分より上手とは言えない人の絵が評価されていると憤ってしまう」
「絵を描くのは楽しいことではなく、自分に価値を見出すための手段になってしまった」
という相談。身につまされる。 pic.twitter.com/O6jcWyALXx— 猫太💪 (@nekonekota) November 5, 2020
みんなの反応
文字書きでもあるあるな内容ですね……。
評価≫好き、楽しい になってる今日この頃です。— 石ノ森椿@亀更新(確信)# (@t1411225) November 6, 2020
「ただ好きな作品を作りたい」がいつしか「承認欲求のため」に変わってしまうと自分がつらい。承認欲求は大切ではあるけれど、点数が付けられる場所だと人気のある人を余計に意識して心の余裕が無くなってしまう。
— チェスト (@chest01) November 6, 2020
私より上手といえない人の絵が評価されて憤りを感じるってのは程度にもよるけど個人的には他人の創作に敬意を出せないのはちょっと間違ってる気がします。
— 風魔ER武士11/29家宝欠席 (@DFJAZZ_fm7) November 6, 2020
Twitterはただの呟きそこを忘れてはならない。
タダの広告塔と考えると安いモノだが……— ギッチョン暴 (@gittyonbou) November 5, 2020
まあ最後は作品愛が感じられるかですよね
ツイッターではその性質上上げられることはまずないが、未就学児の描いた不器用な(プリキュア)イラストでも、私は見かけたらRTしますよ— プリキュ (@nekolovercat) November 6, 2020
インセプションのアーサー約であるジョセフゴードンさんが過去にTEDで同じような題材でスピーチしてるのでぜひ見てみてください。結構クリエイターに対する見方が変わります。https://t.co/6tLLk8ec8n
— XXZ”P2K3MOL (@MKOPL232) November 6, 2020
そう😭
他者評価に依存すると
好きなことさえ楽しめなくなる頭の中はいいねの数でいっぱい
いいねが少ないと自分を否定されたと感じるそんな他者評価に溺れて絵をやめる人を見てきた
どんなに素晴らしい絵が描けても
他者評価に溺れてしまったらおしまいせっかく才能があるのにもったいない😤 https://t.co/44ZeUo9R5i
— 舟木りこ@イラスト (@RikoColor220436) November 6, 2020
この相談内容と同等の悩みを10代のころに持ち、最近ようやく回答の「他人がどう言おうと私は私🖕」「他人じゃなくて自分の目標を作る」が心でわかってきたけれど、そこにたどり着くまでにマジで長い時間と努力と苦悩と運の良さがあったので、ほんと難しいよね。安定した自尊感情の確立。 https://t.co/VQPl3XUzwp
— 三森みさ@書籍販売中『だらしない夫じゃなくて依存症でした』 (@mimorimisa) November 6, 2020
SNSが生んだ闇ですね。
ディスカッション
コメント一覧
「私より上手とは言えない人の絵が評価されていると憤りを感じる」
→
「下を見ずに上を見ろ」
「じゃあお前は上手いんか?ん?」
なろうよな
本気で日本の義務教育を受けたのか?という怪しい日本語の人が評価高かったりするとね
さすがにね思うところは出てくるよね芸術面として見てはいけないものなんだよAKBと同じ
歌でもダンスでもなく魅力は会いに行けるアイドルってのがコンセプトなんだし
なろうの売り出し方が小説ではないものだから小説として判断すること自体が間違い
書きたいものを書き続けて見返しという気概でやればいいだけ
AKBと同じ
すげーしっくりくる
世間からは馬鹿にされて豚にだけ持て囃されるとか
本当に貴方のほうが上手いんですかネェ(ニチャァ
特にそれだけの価値もないのに自身の評価軸に沿った評価をしてほしいという不満をただ垂れ流すの、クリエイターとして終わってる気がする。
※ここでいう価値とは、あえてその評価軸で評価することの価値であり、作品そのものの価値ではありません。
仮にその評価軸において評価したとして、既存の作品の出来が良すぎて、結局は低い評価(自己評価)しか得られないんじゃないだろうか。
ゆえ、その不満を軸と対象を変えることで誤魔化しているだけなのでは。
追記
表現には受け手が必須だが(表現者そのものを受け手とするケースも踏まえ)、
その文脈を無視してある評価軸における出来や技術を高めるのは、
もはや表現というより、その評価軸における競技や学術になってしまうのでは?(もちろんそれらも表現の一種だが)
そう言う意味では受け手にある種寄り添った表現として、AKBは無茶苦茶優秀な一面があると言えそうだが。
小説とは・・・論についてはまたそれと違う話で、大抵は自身の表現の方針の話であって、小説とはなんぞやという話ではない気がするんよな。
でも、そう言わないと自身のコンプレックスを誤魔化せなくて。・・・・・・子供かっ!
その高ポイント作品を、自分はつまらない・下手と感じている気持ちに関してはどうしたって嘘はつけんしね。気持ちの折り合いはつけないといけないが、高ポイント稼いでいるんだから敬意を払えってのはちょっと。まあ、折り合いをつけきれず作品ではなくツイッターとか暴れて気持ちを晴らそうとする連中にまで気を使ってやる必要はないけどねもちろん
承認欲求自体は誰でも持っているもので悪いとは一切思わないな
本当に好きなだけでやれるならローカルにでも保存して一人でニヤニヤしていればいい訳だし
問題はその欲求との付き合い方であって嫉妬や羨望だって人として当たり前の感情だから醜いと思ってはいけない
評価されたいなら注目度の高いものを題材とすればいい
閲覧者が増えて批評される機会があれば評価されることもあるだろう。下手だった場合は批判もされるが
他人の絵が不当に評価されていると思うのであれば、まず、自分の見立てについて疑問に思うことだ
自分の方が上手なのではなく相手が上手なのだとすれば
上手な方が評価されるわけだからなんら不条理な事はない
明らかに相手が下手なのであればそれは相手が有名な人物であるという事だ
適当な落書きでもピカソが描いたとか言っておけば分かってない人だって評価する。世の中そんなものだ
いっそのことSNSから離れるのも手かもしれない
自分の描きたい作品=他人に評価される作品では決してないのだから
評価されないのが辛いなら離れるのも悪くない
ただ、絵は描き続けた方がいい
継続は力なりじゃあないけど、描く、描かないじゃあ描いた方が絶対上手くなれる。それだけは言える