1: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 22:49:28.22
309: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 23:05:29.96
>>1
なんやこのラノベ作家みたいな読みづらさは
6: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 22:50:44.55
ただこれって小説はセーフなんか?という疑問も…
小説の発展したものがアニメやゲームやろうに
46: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 22:54:01.08
>>6
ほんとな
学者とか文化人が言うならまだしも似たもの同士な作家が言う筋合い無いわな
大半のオタカルチャーが低俗なのは同意だが
8: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 22:50:49.97
ゲームは許して
civ4やめられへんねん
9: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 22:51:00.49
でもいい年こいて仮面ライダー見てるやつはキモいよね
13: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 22:51:43.11
>>9
いつも通りの時間に起きてしまった日曜朝にボケっと見てるだけならええけど
グッズ買うぐらいのめり込んでる奴はキショイな
15: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 22:51:59.97
>>9
仮面ライダーはアウトなのにドラえもんはセーフみたいなところあるよな
27: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 22:52:55.18
>>15
ワイはドラえもん大好きや
許されたか
56: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 22:54:23.13
>>15
どっちも好きなワイは?アウトよりのアウトか?
321: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 23:05:48.54
>>9
見るだけならいいけどなんJとかで語ってたり自分用におもちゃ買ってるやつはキモいわ
676: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 23:20:54.88
>>9
仮面ライダーだけならセーフやろ
あれは大人でも見れる
戦隊もの見てる奴はやべーがw
710: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 23:21:57.00
>>676
ルパパトが全てを変えたぞ
762: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 23:23:39.68
>>710
ルパパトは見たけどその後はまたゴミになったな
800: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 23:24:56.53
>>762
キラメイで持ち直しつつある
だからまだ分からんよ
847: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 23:26:10.25
>>800
三話で切ったわ
一話からきつかった
ライダーも戦隊みたいになったから三話で切った
三話までみたワイは忍耐強い
どちらも一話目からきつかった
875: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 23:27:27.29
>>847
そりゃ切るのが早すぎる
ってかそれじゃ批評できんやろ、中身全部見てないなら
754: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 23:23:23.13
>>676
こうやって線引きしてる自分がやべー奴だと思ってないのが今回の本質
世の中にいくらでもいるんだな自分の価値観を盲目的に信じて考えを絶対に改めない人
807: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 23:25:07.37
>>754
線引きは必要だろ
線引きが不要な理屈あるの?
少しは頭使えwwww
11: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 22:51:24.51
正論
14: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 22:51:57.78
これはその通りやん
16: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 22:52:01.10
>>自立や自律とはいっさい無縁な、不気味極まりない子ども大人
ニキら・・・・・・・・うせやろ・・・・・・・おこなの???
18: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 22:52:20.56
分からんでもないが言い過ぎやろ
21: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 22:52:30.96
利口ぶった馬鹿の琴線にふれたんやな
35: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 22:53:29.19
>>21
はい誤用
お琴の弦ポロンとして怒るんか?笑
24: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 22:52:40.45
昔は小説が読むと馬鹿になる害悪コンテンツ扱いされてたらしいじゃん
42: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 22:53:44.54
>>24
テレビも見ると馬鹿になるって言われてたと親が言うてた
88: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 22:55:57.72
>>42
白痴箱やぞ
現代のスマホは白痴板やが
481: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 23:13:22.97
>>24
それは太宰治の自己卑下を間に受けた人が信じてる嘘
もしくは江戸時代の戯作のこと
坪内逍遥から始まった近代文学(小説)は一貫して高尚なものとして扱われてる
703: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 23:21:45.56
>>481
阿刀田高も自分の子供時代は小説は女子供の趣味扱いって言ってたけど?
770: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 23:24:00.64
>>703
一方でそういう大衆文学が存在したことは否定しない
28: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 22:53:01.69
SFやファンタジー小説なら良いのか?
166: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 22:59:51.57
>>28
そこらへんも二流以下として見られてるよねぶっちゃけ
文学賞ってSFは除外だし
29: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 22:53:05.88
でもワイは良い歳してゲームやアニメにまだ熱中してる人の方がなんか魅力的にも見える
いい歳になると何も熱中してないという大人が増え過ぎだし
30: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 22:53:10.08
能書きだけの利口ぶった幼稚馬鹿がえらそうにしてるのがおかしい
現実みろ
36: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 22:53:34.20
客に対してすごい強気なことを言うのなw
40: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 22:53:42.32
大人は映画やドラマや小説も卒業しなきゃいけないのか…エンタメ業界壊れる
54: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 22:54:21.01
>>40
昔のおっさんはそうだよ。
72: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 22:55:21.10
>>40
昔の男はさっさと結婚して趣味は家族サービスに還元できるものにするもんやしな
41: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 22:53:43.51
小説が高尚なものだと思ってる典型例やな
43: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 22:53:49.60
非現実に逃避しなきゃいけないくらいストレスフルな社会が悪い
44: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 22:53:53.14
小説はええんかと
あとアニメやゲームなかった昔は平和な世界やったんやろなあ
45: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 22:53:57.29
一理はあるな
上からモノ言える立場やないけど
49: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 22:54:03.66
この理屈だと小説もアウトなのは作家ならさすがにわかって言ってるやろ
58: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 22:54:27.15
言わんとすることは分かるけど小説家がそれ言うてええんか?
ノンフィクション作家なんか?
59: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 22:54:30.95
まあ人の趣味は人それぞれやし否定するもんやないやろ
60: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 22:54:31.20
こういう人ってなんで活字は高尚なものだと思うんやろか
結局暇潰しには代わり無いやん
79: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 22:55:39.96
>>60
自分の視点や趣味が高尚だと勘違いしてるのが中年ヲタだぞ
65: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 22:55:01.77
結局言わんとしとるのは年不相応のものはほどほどにせえよって事やないの
微塵も読み取れんけど
121: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 22:57:36.04
>>65
不思議だけど子供向けのものを大人が好むとどうもねぇとなるが
大人向けのものを子供が好むと分かってるみたいに扱われるよな
後者は年不相応でも程々にしろとはならん
80: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 22:55:46.16
実写もアニメーションも漫画も小説もそれぞれが得意な表現方法が違うしなあ
どれか一つでなくそれぞれの良さ生かしたもの作れならともかくジャンル攻撃はよくわからんわ
まして本人が小説家なら猶更
年取ってワイが一生捧げてきた仕事は無意味やったって自虐なんかな
86: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 22:55:54.39
純文学はセーフやと思ってそう
142: 名無しの読者さん 2020/12/02(水) 22:58:32.74
>>97
アニメも考察しながら見るならセーフやろ
考察もオナニーみたいなんやったら意味ないけど
出典:https://swallow.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1606916968/

もうご高齢ですからね……(1943年生まれ)
ディスカッション
コメント一覧
努力しても無駄だからチート授かるしかないと思い込んでいるキチとどっこいな意見やな
0か1しか考えられない極端思考
人類の発展に与しない趣味は全て低俗だぞ(暴論)
工学とか薬学とか、そういうのを趣味にしてる奴だけが高尚だと誇っていいと思います
誇りたかったら勝手に誇ってればいいけど・・・
自分以外を見下してる輩は高慢以外の何物でもないよ
先生ー、自分以外を見下してる輩を見下すのは高慢に入りますかー?
状況次第じゃね?
あまあネタだとは思いますが……
本当に(暴論)じゃないですかー!?
その理屈で行くと歴史とか考古学とか一体どうなってしまうんですかい?
寧ろ人類が発展させるほどの価値があるのかとか、発展てどう言う事を指すのかとか、そう言う部分からなのでは?
ちょっとこの人のツイートを見てみたが……
まあ一言で言うなら、お歳を差し引いても昨今ではそうそう見掛けない硬骨漢(敢えて悪い言い方をするなら「頑固爺」)といった印象。
まあこういう人ならああ云う事を言うだろうなぁとは思うし
(大概の純文学作家はアニメ・ゲームに限らずエンタメ全般に関して似たような見解だろうし。)
個人的には一周どころか十周くらい回ってむしろ妙な好感すら持ててしまったわ。
しかし、耄碌すると碌な思考にならんのな
麒麟も老いぬれば駑馬に劣るってか?
いや~、こういうおじいちゃんって得てして若い頃から今で言う「意識高い系」だったりするよ。いやマジで。
アニメの世界からなら宮崎駿監督とか富野由悠季監督とか昔っからあんな風だったもの……
むしろ「三つ子の魂百まで」という感じだと思う。
意識が高い人と意識高い系とを雑に混同させようとするの止めんか?
富野さんなんかは自分のそう言う側面と社会問題に対する問題意識としての対応を調整取ろう(前者側を減らそう)としてる意識高い人で、
巷で言われる意志が伴わず実質衒学趣味なだけの「意識高い系」とはまたちょっと違うよ
宮崎氏も時代の関係で知識の偏りに伴う不足はあっても意識高い人よりじゃないかね?
高畑さんの方がその辺マジかつ見えてる組だと思ってはいるけど
権威が欲しいだけの反差別組とほんまクソ真面目なだけの反差別組を両方一緒に扱うとかもよく見かけるけどさ
昔の発言とか知っててその思索の道を評価してるだけに
「ここまでレベルの低い発言はして欲しくなかった」と言う気持ちから出てしまった、
と言うなら、まぁ、理解はできますけどね…
「昔は麒麟だったのに」的な話だと最近の発言全般程度が低すぎて(劣化が酷すぎて)きついって話ですから、この発言以外も知っててきついって話になりますけどね
(尊敬してた人が認知症で、みたいな話と同じストレスですね)
まぁフィクションの非現実性ってのは本来、子供に現実(世界)の厳しさや怖さを伝える上で適度に濁すためのもの(要は一種のオブラート)だから、少年期過ぎたならそんなもの要らないだろって理屈なら分からないでもなかったが、あくまで以降の主張を導くためのものだとすると色々怪しいな
「少年期を過ぎたら活字メディアという非現実の世界からは完全に手を引かなければならない」
「少年期を過ぎたらマスコミという非現実の世界からは完全に手を引かなければならない」
「少年期を過ぎたら商業主義という非現実の世界からは完全に手を引かなければならない」
いくらでも応用が効きますね、使わないけど。
ツイートが「年寄りの繰り言」で一貫してるのが為人を表してる。
少女期を含められないところが底
ゲーム漫画アニメの非現実世界を好む女性をなかったことにしてるの
男性優位で女は社会を形成しないと言ってるのと同義
フェミは怒った方がいいぞ。割と本気で
少女は少年の女子という意味
少年という言葉は年若い人という意味でそもそも性別を指定していない
一般に特に男子を指すけど、男子に限った意味ではない
「少年法」とか言うでしょ
今頃滅茶苦茶キメハラされてそう。
まあ、芥川賞といっても〝小説〟やしな。
所詮はなんの役にも立たん空想でしかないんや。
娯楽に役に立つことを求めてる奴がアホやんだろ
小説が漫画やアニメより高尚なものと勘違いしてる馬鹿も同類
欧州住みだけど
昔(15〜20歳ぐらい)は>>1みたいな考えを持っていて、実際試したけど、
テレビドラマが大人向けかと言うと…漫画原作も多いし、大根役者揃い
個人的には大学以降は古典芸能・教養番組・ニュースしか観てなかった
外国に行くと日本のアニメやゲームは高評価・高知名度なのにドラマは知名度ゼロ
漫画やアニメに「なろう系」みたいなゴミがあるのは事実だが中には秀作もある。
逆に役者のやってる映画でも黒澤や伊丹や北野は高く評価されてる。
要するに「小説」とか「アニメ」とかフォーマットだけで良し悪しは判断できない
そんな事言う奴ぁ孤島でインフラ無しで暮らせやって、倒れた木の音でもさせとけって
どんな創作も所詮はエンターテインメント、エゴの産物、自覚しないのは怖いね
経営者が従業員に求める最も貴重なスキルは、評価や定量化はもちろんのこと、定義することさえ難しい場合が多い。すなわち、自制心や自己認識力、創造的な問題解決能力、共感力、ラーニングアジリティ(学習機敏性)、順応性、柔軟性、前向きな姿勢、理性的に判断する能力、寛容さ、親切心などだ。
未来の従業員がこのようなスキルを持っているかどうか、どうすればわかるだろうか。そして、いまの自分のチームにこのようなスキルが欠けている場合、どう教えればいいだろうか。
最近の神経科学の研究によると、その答えは図書館で見つかるという。文芸小説を読むことは、人々が共感力や心の理論、クリティカル・シンキングを養うのに役立つというのである。
我々は本を読むときに、いわば認識のために必要な筋肉に磨きをかけ、強化している。そのような筋肉はEQ(心の知能指数)の根本となる。言い換えれば、読書という行動そのものが適切に行われると、組織が採用や長期雇用を望むような、従業員の品性や習性、特徴を発達させるのに役立つのである。
中略
読書となると、知識を得るための行為とつい考えがちだ。しかし研究によれば、フィクションはノンフィクションよりもはるかに重要な恩恵をもたらす。たとえば、フィクションを読むと社会に対してより鋭敏になり、他人の動機を理解する能力が磨かれる。
たしかに、ノンフィクションを読むことは知識を得るのに役立つが、EQの開発という、とらえどころのない目標の達成には、あまり役に立たない。
フィクションが職場で役立つ理由の一つは、異質な世界の登場人物や筋書き、設定だからこそ、難しい議論をすることが可能になることだ。物語のおかげで、参加者たちは寛容かつ正直な態度で、気遣いを要する微妙な問題について話し合える。
優れた文学作品にはしばしば、どちらも正しいが相反する見解を持つ登場人物が出てくる。ビジネス書はその性質上、こちらが正しくてあちらは間違いだと、問題を二分できるようになるまで煮詰める。かたや文学作品は、たとえば国への忠誠心を誓うセリオンと家族や道義に献身するアンティゴネが等しく正当な見解を持っているという具合に、バダラッコのもとで学ぶ学生たちに、簡単に解決できない状況を提示する。
中略
研究によると、文学作品を読むことは、情報を処理する際、脳が先入観を抱かないようにする能力を高めるのに有効な方法である。これは、効果的に意思決定するために必要なスキルだ。
研究者たちは2013年、認知的完結欲求と呼ばれるもの、つまり「意思決定をするときに、すぐに結論を出したいという欲求で、あいまいさや混乱への嫌気」について調べた。
認知的完結欲求の高い人は、「情報に関して早期に出てくる手がかり」に依拠することが多い。そのため新しい情報が入ってきても、考えをなかなか変えられない。また、代替的な説明として思いつく仮説の数が少ないため、自分の最初の(なおかつ不備があるかもしれない)所信に対して、強い自信を持てる。
認知的完結欲求の高い人は、わずかな情報や少数の観点に自然に引きつけられる人でもある。かたや認知的完結欲求に抵抗する人は、より思慮深く創造的で、ストーリーが相反していても苦痛を感じずにいられる。これらはすべて、EQが高い人の特徴である。
トロント大学の研究者たちは、被験者のうちで短編(随筆ではなく)を読む人は、認知的完結欲求が低いことを発見した。この結論は驚きに値しない。文学作品を読むためには、落ち着いて大量の情報を吸収し、読み進めるにつれて考えを変えることが求められるからである。
文学に簡単な答えはない。読み手にできるのは、視点を受け入れることのみである。読者としての我々は、ほとんど確実に『ロリータ』の語り手であるハンバート・ハンバートを不愉快だと感じるだろうが、彼の考え方を経験することを強いられる。これは、認知的完結欲求を下げるのに有益な訓練である。
こういうのも立派な中二病の一種
恥ずかしちー (*ノωノ)
この人は革命という嘘偽りの夢から自立する事が出来なかったおじいちゃん
丸山健二大先生の現在
「今秋、いぬわし書房から出す新刊小説『ブラック・ハイビスカス』は、手製本でヤギ革の装丁という豪華な作りだ。全4巻で2400ページ超、値段は10万円(税抜)。
「もちろん、外側だけじゃなくて内容に自信がある」長崎への原爆投下後、ある戦争孤児がたどった戦後を描く。
「今書かなきゃいけない。(日本は)右傾化して、元の時代に戻ろうとしている」
とのことです。
長野県の山奥に独り引き籠って、教養を拗らせながら生きて老いた昔気質の左翼作家の晩年という感じ。
ただ、健康的に痩せた体型や農業中心の生活、自分が最も崇高な教養人であるという精神衛生上でも長寿タイプの方なので白寿過ぎまで生きるだろうと推察されますね。
持病もなく武漢ウイルスにも罹患し辛そう。
ここのコメント見てると単に嫌いな相手を見下したいだけやんみたいなコメントが多くて草不可避
自分の方が至極真っ当でまともなんだって意識が透けて見えると言う点は、
論理がしっかりして無きゃ同じ穴の狢なんですけどね…
>ここのコメント見てると単に嫌いな相手を見下したいだけやんみたいなコメントが多くて草不可避
>コメントが多くて草不可避
綺麗なブーメランですね
それな
民主党からオファーが来るレベル
その論の問題点を指摘するとか、根本的な思考パターンの問題点を指摘する意見は最初の方の意見は別に含んでないけど、
頑固叔父だからとかその辺になると単なるレッテル以外の何でもないだろってだけよ
研究で鬱病の方が世界を正確に見てる可能性が高いって話が最近出てるけど、
どの意見も「でもお前鬱病じゃん」で黙殺してた様な奴がちょこちょこいるって話よ
「いや、非現実ってだけなら小説もじゃ?」とか、そもそも現実の価値ってなんだよって話は
「妥当な批判」だから含んでないからね
そのコメントを最初に打てばいいのに
最初に打ったコメントで全部台無しだよ
「論理がしっかりしてなきゃ」って言うてるし、寧ろ貴方の書き込みは
>>しかし、耄碌すると碌な思考にならんのな
>>麒麟も老いぬれば駑馬に劣るってか?
と言う、個別に思考を批判する内容ではないので、
どっちかって言うと私が「同じ穴」と言った方ですよ?
自分はここ数年一回も間違えた事ない凄い自分って言う自己評価なのかもしれんけど
真面目に話してる相手に「耄碌したな、もうそう言う活動やめたら?」とか言ってるような物だからね?
元発言の方に繋げてしまいましたが、一応好意的に受け取ると、
「昔は凄かった、尊敬してた、だから止めてくれ」って言う悲嘆なら、
まぁ、仕方ないかな?と言う気はしますけどね…
言葉通りに受け取れば本来そっちなので、ネット世界に染まり過ぎて悪い先入観で判断誤った可能性はありますね
(麒麟を皮肉や単なる権威ではなく、率直に評しての物とすればそう言う意味になる)
自分コメントを10回ほど声に出して読んでみてください。それで分からないならもう結構ですので。
コメントをしっかり読んだ方が良いのはroger1519さんの方だと思いますよ。
アイゲスさんの最初のコメントは、「論理がしっかりして」いることを前提にしたもので、加えて後のコメントでもそれを強調しています。
論理が示されない批評は、批評ではなく、悪意のあるレッテル貼りです。
2020年12月7日 7:18 AM さんのコメントは、意図的にか読解力がないためかは分かりませんが、「論理がしっかりしてなきゃ」の部分を抜かし、歪んだ引用をしています。これは「ストローマン手法」と呼ばれる典型的な詭弁です。
他人を批評をする際には、なぜそうなのかをはっきり示すべきです。そうでなければ、悪意のあるレッテル貼りと変わりありません。
草不可避なんてコメントを打つような人間とまともに議論する気はありませんので
最初に追記のコメントさえ打っておけばと書いたのはそのためですよ?
まぁ、同じ穴の狢なのはお前もだろうって言うのは良いとして、
貉な事にどう言う向き合い方しようか?って感じがしますけど
皆貉なのは仕方ないよ、赦し合う方が大切!赦せない事も含めて赦して行こう!ってなら分からないでもないですが…
どのポジションなのか…
怒ってると見下してると哀しんでるの区別が付いてなさそうですね
下手したら平時から
>草不可避なんてコメントを打つような人間とまともに議論する気はありませんので
草不可避というのはネットにおける常套句ですし、このコメント一つで人間性を判断するのは短絡的で、思慮が足りていません。それに、人間性の話をするなら、roger1519さんの
>それな 民主党からオファーが来るレベル
というコメントは明らかに相手を煽っています。他人のことは言えませんよ。
まぁ、草不可避って書き方をしてしまったのが誤解を与えやすいのは確かでしたね
馬鹿にすると言うより空笑いの方でしたけど、余りそう言う使い方しないと言われれば、
確かに一般的使い方ではないとも思いますしね
トラブル起きて頭抱えて「マジかよー」って言う時に顔が笑ってしまうような感じでしたけど、
それが正確に伝わる言葉選びかと言うと、と言うのは確かにありますしね
意図が伝わったようなので先の発言は撤回します。お騒がせしました。
この人の小説って一見さんお断り小説なのかなって類の
ダメな意味でのハードルの高さを感じちゃった、未読なのに
>>こういうのも立派な中二病の一種
と言う人はどうなんですかね?
どう言う思考部分が中二病で私はこの相手も他の人もこう扱ってるからそうじゃない、って言える人なのか、
それとも人類なんか基本中二病って話なのかどっちかな?とかね
すいません、誤爆しました
少年期を過ぎたならば、アニメやゲームという非現実の世界からは完全に手を引かなければならず、さもなければ、自立や自律とはいっさい無縁な、不気味極まりない子ども大人として異様にして異常な人生を送るだけならまだしも、社会全体と国家全体を尋常ではない集団に仕立て上げ、暴力の狂気を迎える。
前提としてtwitterは個人の所感を垂れ流すためのツールで、議論のためのツールではない。だから、高度な文章であっても述語をいちいち定義する義理はない。でも、十分に思考しない人はそれぞれの述語がなにを意味するのか考えもしないで理解も不十分なまま結論を出してしまうから、おかしなことになる。
例えば話題になっているツイートでは、小説も非現実ではないのか、という点を訴えている人が散見されるが、これは述語の意味を考えればどういうことか分かる。
文章の運びと丸山氏の経歴や年齢を鑑みれば、小説をほとんど文学と同様の意味で使っていることは想像に難くない(ラノベとかなろう系は眼中にない)し、それと対照的なものとしてアニメやゲームが挙げられている。この時点で、小説や文学 対 アニメやゲーム、という構図が発生していると知れる。そして、アニメやゲームは非現実のものとされるので、それに対する小説や文学が、現実のものとされているのも知れる。
それでは、現実や非現実という述語がどういう意味で使われているかというと、仮にノンフィクションとフィクションの意味で使われているとすれば丸山氏の職業から自虐の意味になってしまうので、そういう意味ではないことが分かる(思考力のない人はここで思考が止まる)。ではどのような意味が考えられるかというと、小説や文学が現実と同じ位置におかれているのだから、現実そのもののことではなく、現実の問題や現実の対象を取り扱ったもの、そのようなテーマやテーマを持つものを「現実」の述語が指す意味内容として措定し、そうではないもの、現実的な問題やそのようなテーマを無視したものを「非現実」として表現していると分かる。回りくどい説明になってしまったので簡単に纏めると、ここで言われている非現実とは、人生とか人間とか社会とか倫理道徳とか、そういうものの問題や大切さを無視したもの、或いは重視しないものを指している。
それを踏まえて元のツイートを噛み砕くと「大人になっても人生とか社会の問題から逃避して、思考を停止しながら楽しめるコンテンツに没頭していると、思考力や忍耐力、独立心や社会を上手く渡っていく力も身に付かずに人生を送ることになるだろうし、それだけならまだしも、思考力や忍耐力、独立心などがないから、子供の癇癪のように、最終的には問題を暴力的な手段で解決しようとするだろうね。(暴力的っていうのは、物理的なものに限らず、言論的なものもそう。実際このツイートに向けられたコメントも、大半が論理性や思考を欠いた暴力的なもの)」という具合になる。
丸山氏の発言に責められる点があるとすれば、アニメやゲームも文学性を有し得るという視点を欠いて、非現実(人生とか人間とか社会とか倫理道徳とか、そういうものの問題や大切さを無視したもの、或いは重視しないもの)の側に置いてしまったこと。上のコメントにも“「小説」とか「アニメ」とかフォーマットだけで良し悪しは判断できない”とあったが、正にこれ。但し、念の為に重ねて言っておくと、問題なのは内容ではなく、述語。それも述語の意味内容ではなく、言辞の表面的なこと。
丸山氏の基本的方向はハンナ・アーレントの言ってる問題に近いけど、だからこそハンナ・アーレントの理解者でほぼ唯一断絶させずに友人を継続した人の言う一言が同時に刺さると思うわ
「人間に求める物差しとしては厳しすぎ」
もうちょっと言うと
「正しいだけでそのモチベーションを保てるほどに賢いか強いのが一般だと言うのが人間に対する傷付きやすい妄想に等しい
それは貴方の言う愚民こそが結局は歴史の大筋を決めて来たと言う事実を省みれば分かると思いますよ?」
そして
「スポーツ訓練で根性論が廃された様に、厳しいだけの躾が廃された様に、論としても、もっと奥、もっと前の部分を意識するしかない時は実は多いんですよ」って所ですね
「正しい事なのにやらない奴」ではなく、今は「正しい事を出来ない人」が「何故それを出来ないのか」って階層こそが問われる時代で、だからこそ「正しい」とはどう言う物の事なのか、「正しさ」の構成要素と構成要件はなんなのか、とかが再度問われる時代でもあるって事ですね
「優しい人が優しいのは何で?」とか「勇気ってどう出すの?」とか、そう言う部分が問われる時代って事ですね
〉「優しい人が優しいのは何で?」とか「勇気ってどう出すの?」とか、そう言う部分が問われる時代って事ですね
同意します。でも個人的な見解としては、この問いは現代的というよりも普遍的な問いで、古代から繰り返されてるんじゃないかな、とも思います。孔子や孟子の教えが形式主義に堕して文明の発展を阻害したり、プラトンが哲人王の育成に挫折したり、或いはキリスト教や仏教などの宗教的な理念もそうですが、正しいこと正しくを行えば善い結果が得られる、ということ単純なことを賢者聖者は説き続けているものの、それを実行できる人は少なく、また彼ら自身、それを痛感していることを示すテクストも多く存在します(子曰く、道は其れ行われざるかな)。
そして歴史上、経済や治安の面で実際的な効果を発揮したのは性悪説に立った法治主義であり、特に文明を発展させる切っ掛けになったのは偶発的に発生した収奪的な制度の崩壊です(ペストの流行によって大量の死者が出て、封建制の地盤が揺らぎ、後の民主主義への萌芽となる等)。
なので個人個人の徳化を目指すよりも、制度や構造をどうにかした方が合理的であるという考えも出てきますが、これは突き詰めれば、SFのような管理社会、ディストピアに行き当たってしまうでしょう。しかも、この場合は自明のことですが、その社会の頂点に立つのは、人々の徳化を無視した支配者となります。
この問題は有史以来、解決したことのない問題ですので、ここでこれ以上を語るのは遠慮しますが、結局のところは、一人一人が思考力とかコミュニケーション能力とか、そういった精神的、内面的な力を鍛えて、よい人間であれるよう努力するしかないのだと思います。
そして、「優しい人が優しいのは何で?」とか「勇気ってどう出すの?」という問いを発することが、その努力の始まりであり、その問いを諦めないことが哲学であり、その答えを実践していくことが道徳だと思います。
>>そして、「優しい人が優しいのは何で?」とか「勇気ってどう出すの?」という問いを発することが、その努力の始まりであり、その問いを諦めないことが哲学であり、その答えを実践していくことが道徳だと思います。
なるほど、すっきりする分類ですね
>>正しいこと正しくを行えば善い結果が得られる、ということ単純なことを賢者聖者は説き続けているものの、それを実行できる人は少なく、また彼ら自身、それを痛感していることを示すテクストも多く存在します
仏教とキリスト教はその辺一歩進んでて、(中国系は詳しくないので、同じ事を言ってる事は多いかもしれません)「何で?」と言う所はそれなりに見えてる感はあるんですが…
やり方は相手の性質とか状態を見抜く知る必要がある為、当の本人を別とすれば決まったやり方がないので結局「きつい」やり方しか残せてない、と言うのはありますね
「何で?」と言う事について一歩進んでるのが分かり易い例ですと、仏教の八正道で正見が特別な地位に置かれてる事ですね
「八正道は全て正見に納まる」と言っていて、人が認識から思考して思考から判断をして判断から行動をする(意識と無意識は自覚性の程度の差だけなので)
根本原因とされる「無明」と言う考えもそれを良く表しています
キリスト教も一見非常に神秘主義的に見えて、赦しの哲学や原罪を負う時の言葉などにその辺りは表れていて、
「主よお赦しください、彼らは自分が何をしているか分かっていないのです」と言う無知と赦しの関係や、
「全ての業には時がある」と言う、現代の心理学の「気付き」に相当する見解などが多く見られます
人が弱い生き物だと言うのも諸々のエピソードで前提としており赦しているので、
所謂無意識部分の制御の困難さも理解していたと読み取っています
なるほど。宗教は悪いイメージも多いですけど、伊達に世界的な支持を得ているわけではありませんね。考えてみれば仏教もキリスト教も、時代毎のエリートが真剣に取り組んできた、実践を伴う題材なわけで、現代にも通用するよく生きるためのヒントが、思っているよりも遥かに多く眠っていそうです。
勉強になります、ありがとうございました。
ワイは答えなどないと思うンゴね
正しさや優しさや勇気の定義は、その時々で変容していくンゴ
この方とその他の価値観が異なるように、
他人は自分と異なる生き物であるという視点が必要に思うンゴ
ワイと違うからと責めつけたところでお互い分かり合えないと思うンゴね
相互不理解がテーマのガンダムは文学になりえるンゴ…?
書かなくても問題ないと思ったけど
上に発言は作家先生にもあてはまるンゴね
理解を望むなら他者への寛容さも必要に思うンゴ
とげじろうの夏さんへ
これはあくまでも私の立場からの感想で、個人的な見解です。
〉ワイは答えなどないと思うンゴね
とげじろうの夏さんは、この「答えなどない」という意見が、とげじろうの夏さんにとっての「答え」になっていることにお気付きでしょうか。そしてその「答え」のために、「正しさとは○○だ」「優しさとは○○だ」「勇気とは○○だ」といった諸般の意見を否定していることにお気付きでしょうか。
私は、自分の意見のために、他人の意見を否定するのは自然なことであり、少なくとも悪いことではないと思っています。ですが、自分の意見の正当性を主張するからには、その根拠を提示するのが義務です。そして、その根拠に従って論理的な展開を行うからこそ、(十分な知性を持った)相手に意見が伝わり、その意見が伝わるからこそ、お互いの意見の長所短所が見えてきます(基本的に論理というのは人類共通なので、相手が論理的な思考のできる人物であれば、前提を共有する限り、結論も同じになります。そのような人にとって結論が異なるのは論理の出発点となる前提が異なるからで、その異なっている部分が分かれば、今度はその前提についてお互いが妥協できる部分を模索できます)。しかしこの時、相手に「答えなんてないから答えを出そうとしても無駄だよ」と言われてしまうとどうなるでしょうか。そして、その後に我々は、以前よりも有益な意見を持つ事ができるでしょうか。有意義な行為を取れるでしょうか。私は、思考を放棄することが、最も他者に不寛容だと感じます。理解とは考えることと不可分です。「答えなどない」という考えは、容易に思考放棄の態度に結び付いてしまいます。そのことを想像していただければ、正しさとか、優しさとか、勇気とか、そういったものの答えを出すことを諦めないことの大切さというのも、理解していただけると思います。
〉正しさや優しさや勇気の定義は、その時々で変容していくンゴ
表面的な言葉の意味は、特にこれら抽象概念を指す言葉の意味は、歴史的文化的に変容していくでしょう。ですがそれは、正しさや優しさや勇気といった概念が、より高度な形に発展していっているからだと考えることもできます。例えば、前の時代において勇気という言葉が意味していたものよりも、優れた勇気の発露の仕方が発見されれば、前の時代において勇気という言葉が意味していたものは、匹夫の勇などとして、先の時代において勇気が意味する言葉とは区別されるかも知れません。このような場合、正しさや優しさや勇気といった言葉の定義が変容していくのは善いことですよね。
でも、ここでは正しさや優しさや勇気といった概念が、より高度な形に発展しているという形で例えましたが、逆に悪くなるということも考えられます。例えば、現在は他人の物を盗むことは純粋に悪いことですが、勇気の定義が劣悪になって、他人の物を盗むことを勇気があるなどと言って、盗みを肯定してしまうようになるなどということも考えられます(スパルタ教育の名前で有名な古代の国スパルタは、実際に盗みを教育に取り入れていたらしいです)。
こう考えると、たとえ未来においてその定義が書き換えられてしまうとしても、今できるだけ、正しさや優しさや勇気といった観念のよりよい定義を求めることに、意味があるとは思えないでしょうか。
〉ワイと違うからと責めつけたところでお互い分かり合えないと思うンゴね
ここまでを理解して下されば、これ以上を述べる必要もないかも知れませんね。一応加えて述べておくと、自分と違うということを主張し表現しなければ、真の意味でお互いに理解し合えることはないでしょう。そして自分と違うということを主張され表現されるのは、そのされる人物にとっては常に不快になり得ます。ですが、不快になることを恐れて、自分や他人の主張や表現を禁じれば、誰も本当の自分自身や他人を承認することができませんし、それは強い鬱屈を生むと思います。私は誰かに傷付けと強制するつもりはありませんし、傷付くことを避けて自分の考えを主張しないというのも、別に構わないと思います。ですが、誰かに理解されたかったり、誰かを理解しようと思うのなら、傷付けたり傷付いたりする覚悟は絶対に必要だと思います。
〉相互不理解がテーマのガンダムは文学になりえるンゴ…?
私はガンダム作品をちゃんと見た事はありませんが、このテーマがしっかりと描写されているのなら、成り得ると思います。
すまンゴ…物事の思考についてはまったく否定はしないけど
ワイはななしさんではないので
ワイが理解しやすいだろうなと思えるように要約して書いてもらえると嬉しいンゴ
優しさに答えをひねり出すなら他人への気遣いに思うンゴね…
どこがどう分からなかったかを伝えてくだされば、なんとか努力してみます。
それか「○○の部分は、△△のように理解したが、それで合っているか」、というように尋ねて下されば、適宜に修正や同意を為せると思います。
私もとげじろうの夏さんではないので、どういう形であればとげじろうの夏さんが理解しやすいのか分かりません。ご教示願います。
創作は引き算が重要みたいな話を見かけるンゴね
ななしさんが本当に言いたいことのみを箇条書きしてもらえれば
ワイにかぎっては読みやすくなると思うンゴ
まてまて、みんな。
これは誰彼構わず噛みつく暴力的なところを、自ら実証することによって自説を補強するという渾身のギャグだぞ。
自説というのは丸山氏のコメントのことですかね?
だとすればΣ(゚Д゚確かに! って感じです(笑)。
とげじろうの夏さんへ 返信欄が表示されないので、こちらから返信いたします。
①相互理解を望ましいものとするなら、とげじろうの夏さんの意見には誤りがある。
②意見を述べ、主張をする際には、必ずその根拠と論理を示すべきである。
③議論をし、相手がなにを考えているのか考えなければ、相手や相手の意見主張を理解できない。
④「答えなどない」という意見は、容易に思考放棄の態度に結び付く(また実際には、「答えなどない」という意見がその人にとっての答えとなっているので、矛盾している)。
⑤「思考放棄」の態度は、議論の余地を潰す、相手に最も不寛容な態度である。
⑥正しさや優しさや勇気など観念について、絶対的な定義を探求することには意味がある。
⑦これらの言葉の定義が、時代や個人によって変容していくのは事実である。
⑧しかしそれは、それらの言葉の定義が、より良いものに変わっていっている可能性もある。
⑨逆に、より悪い定義に変わっていっている可能性もある。
⑩そのため、これらの言葉の定義が、よりよいものに変わっていけるよう、これらの言葉のより定義、意味を探求した方がよい。
⑪自分と違うということを主張し表現しなければ、真の意味でお互いに理解し合えることはない。
⑫そして自分と違うということを主張され表現されるのは、そのされる人物にとっては常に不快になり得る。
⑬だが、不快になることを恐れて、自分や他人の主張や表現を禁じれば、誰も本当の自分自身や他人を承認することができず(また、より有益な意見を得ることもできず)、それは強い鬱屈を生むと思う。
⑭私は誰かに傷付けと強制するつもりはないし、傷付くことを避けて自分の考えを主張しないというのも、別に構わないと思う。
⑮だが、誰かに理解されたかったり、誰かを理解しようと思うのなら、傷付けたり傷付いたりする覚悟は絶対に必要だと思う。
とげじろうの夏さんの希望に沿うかは分かりませんが、これくらいが私の限界です。
細かい論理などは前の返信にある通りです。
お役に立てば幸いです。
脱字訂正
⑥正しさや優しさや勇気などの観念について、絶対的な定義を探求することには意味がある。
⑩そのため、これらの言葉の定義が、よりよいものに変わっていけるよう、これらの言葉のよりよい定義、意味を探求した方がよい。