時折、矢鱈と漢字を多用する人が居ますが、此れは御勧め出来ません。
時折、矢鱈と漢字を多用する人が居ますが、此れは御勧め出来ません。何故なら一般的に日本語の文章は適度に平仮名を織り交ぜた方が読み易い為です
また、カタカナ語や略語の濫用もアグリーできません。ステークホルダーにオーソライズされていないテクニカルタームをMTGで使うのはASAPでやめましょう
— トヨマネ|パワポ芸人 (@toyomane) January 2, 2021
みんなの反応
御意
— むく。 (@muku_0402) January 2, 2021
あー 読みヅラw🤣 https://t.co/WH27lOjl7z
— お尻からバチコリ🍑(ily3t eW (@osilikala_pon) January 2, 2021
前半林檎で、後半ルー https://t.co/GMB2dAVuz7
— Ryoco (@mendokusai_wake) January 2, 2021
取捨選択が大事ですね。
ディスカッション
コメント一覧
中二病は許してやれ
慣れと知識の問題だと思うけどね。
記事の文章なら上は全く読み辛くない(むしろ読み易い)。
下の方はわけわかめのなので読みにくい(というより単にわからない)。
明治から昭和中期?頃(ちょっと具体例が思いつかない)までに書かれたものなら矢鱈と漢字にするのが有るし、そういうのに触れてさえいれば別に読みにくくはないんだけどなあ。
変換ソフトが勝手に漢字化しちゃったりするし(それで結果的に誤字るのもままある話)。
それは戦前の文学者とエリート層にはその方が楽だっただけ。
古典は女流日記以外の大半が漢文だし、公文書も慣習で全部漢文とカタカナの訓読文だった。要はそれらの読み書きが日常的な奴らは漢文の方が楽で、漢文苦手な奴のために送り仮名と助詞を補足してやってたようなもん。
まあ確かに文法的には捻りが少ないから漢字さえわかれば大まかな意味がすぐわかるって意味で慣れたら読みやすい面はあったけど、敷居高いから知る権利的な理屈で戦後に公文書も漢文やめて、文学も大衆向け路線と表現多様化の中で自然と廃れた。
その手の読み慣れてても今風の文体で中途半端に不要な漢字使うのはルールが違うから読みにくいよ。
例えば矢鱈は、まあ手書きの費用対効果もあるだろうが副詞なのに他の副詞と違って字面が名詞っぽいから漢字にすると現代の文章のバランスやリズムを崩す。あえて漢字にしないものにはちゃんと理由がある。
疑問を感じたので質問いいですか?
〉まあ確かに文法的には捻りが少ないから漢字さえわかれば大まかな意味がすぐわかる
ここの文章が全く意味不明で、文法と、漢字を使用するか否かって、なんの関連性も無いと思うんですけど、どういう意味でしょうか。そもそも文法に捻りがあるってどういう状況?
〉敷居高いから知る権利的な理屈で戦後に公文書も漢文やめて、文学も大衆向け路線と表現多様化の中で自然と廃れた。
この辺はもう出鱈目ですね。公文書は明治の時点で和文です。漢文の意味を間違えて覚えていませんか? 文語と漢文は別ですよ。
(おまけ:「敷居が高い」は、現代では「気軽には行きにくい」などの意味で使われることが多くなっていますが、伝統的には「不義理・不面目なことなどがあって、その人の家に行きにくい」(『大辞林第3版』)という意味で使われる語です。)
〉その手の読み慣れてても今風の文体で中途半端に不要な漢字使うのはルールが違うから読みにくいよ。
ルールとは? 常用漢字の事を言っているのでしょうか? 常用漢字は公的な文書における漢字使用の目安であって、制限ではありませんし、読み易さを決める基準たり得ないので、常用漢字の事を言っているのではないと思いますが……。
〉例えば矢鱈は、まあ手書きの費用対効果もあるだろうが
手書きの費用対効果とは? 専門用語の不適切な使用は文章を曖昧模糊にします。背伸びをせず、自分が正確に把握している言葉を使いましょう。
〉副詞なのに他の副詞と違って字面が名詞っぽいから
ただの個人の感想で草。
〉漢字にすると現代の文章のバランスやリズムを崩す。
文章のバランスって何ですか? この場合は文章の視覚的な密度の事を言っているのでしょうか? 「矢鱈」と表記したくらいで緊密な印象を与えるなら、熟語を使えないのではないでしょうか?
ちなみに、「全然」という言葉は副詞ですが、漢字表記が一般的です。
それと文章のリスムというのも何でしょう。リズムというのは音に対して使われる言葉ですから、ここでは文章の音韻か何かについて言及しているのだと思いますが、漢字で書こうが平仮名で書こうが、読みは変わりませんよね?
質問は以上です。無論、回答の義務はございませんので、無視してくださって構いません。
書きぶりから意図は質問じゃあないんだろうがね
1つ目、中国語は日本語や英語のように活用や時制の変形もなく漢字のみで意味を伝えるから漢文の構文は特に規則性が厳格でシンプル。
2つ目、細かい前後関係は知らんが和文がちゃんと徹底されたのは戦後。大審院の判例とか見ればわかるよね。
まあいずれにせよ公文書の話なんかついでで書き手=古典読みって話してんだからそこに意気揚々と突っ込まれてもな。
3つ目、シンプルな構文を重視してりゃ読みやすいって利点を前提にしてなければ、単に難しい漢字知ってますアピールで多用するだけの文章なんか相対的に読みにくいだろ。論点整理すると、記事元の趣旨が先にあって、漢字多用で読みやすいケースって例外にご挨拶しただけな。
4つ目、費用対効果くらい今時どっかしらで聞くだろ、字面の通り書く手間に見合わないってだけ。
そりゃあ別に禁止されてるわけじゃないから平均的にこれを漢字にしない奴が多いって結果論ありきだからな、複合的な理由になるだろうし読書好き向けの場所として私的な文章論も入ってるよ。いけなかったか?
ちなみに全然は別に名詞に見えないし見慣れてるって前提もある、少なくとも矢鱈と比べたら例として微妙すぎるよ。別に漢字二文字だからってだけで言ったのではない。
矢鱈は鱈が読めればそのままで「やたら」と読めはするが、知識として知らなければ鱈の種類とかなのかもって可能性も考慮することになる。そういう意味で名詞に見えやすいと述べた。
例えば「矢鱈と強い男」って書いたとき、パッと見でこれが強いの修飾なのか、鱈と強い男を並べてるのかって迷いが出る。
もちろん前後の意味とか踏まえて結局わかるだろうが、そういう判断を遅らせる要因が何度も挟まれば全体では相対的に読みにくい文章だなって印象になりやすくなる。
まあ全然にしても全くとか言い換えが出来るんだから、一文に漢字が多かったら俺は避けるかもだが。
何をそんなにシュバってんのかわからんがそんな感じです
まず回答ありがとうございます。
〉中国語は日本語や英語のように活用や時制の変形もなく漢字のみで意味を伝えるから漢文の構文は特に規則性が厳格でシンプル。
理解しました。ありがとうございます。
〉大審院の判例とか見ればわかるよね。
国立国会図書館デジタルコレクションにて大審院判決録を見てみましたが、明治八年のもので、民事も刑事も和文体乃至候文(併用?この辺は私の知識不足です)で記されていましたよ。私の見ている資料がおかしいのでしょうか?
〉古典読み
これはピカチュウさんの造語だと思うのですが、なんのことを指しているのでしょう? 文語? 漢文の読み下し? 上の事とあわせて鑑みるに、やはり漢文と文語体を混同していませんか?(いや、まあ確かに広い意味で漢文も文語体なんですけど、そうではなくてね……)
〉シンプルな構文を重視してりゃ読みやすいって利点を前提にしてなければ、単に難しい漢字知ってますアピールで多用するだけの文章なんか相対的に読みにくいだろ。論点整理すると、記事元の趣旨が先にあって、漢字多用で読みやすいケースって例外にご挨拶しただけな。
論点を整理しますと、記事元においては、「漢字の多用は読み難い、何故なら日本語は適度に平仮名が織り交ぜられている方が読み易いから」という主張が為されました。その主張を受けて、銀天さんから「慣れていれば別に読み難くない」という感想が出ました。その感想に対し、ピカチュウさんから「その手の読み慣れてても今風の文体で中途半端に不要な漢字使うのはルールが違うから読みにくいよ」という主張が為されました。その主張に対し、私は「ルールって何?(なんのこと?)」という質問をしました。
ピカチュウさんの回答は、このルールがなんであるかの明確な回答になっていません。これは「シンプルな構文」がそのルールである、ということでよろしいでしょうか?
〉4つ目、費用対効果くらい今時どっかしらで聞くだろ、字面の通り書く手間に見合わないってだけ。
言いたいことは分かりました。ありがとうございます。(ちなみに費用対効果には良い場合と悪い場合があって、費用対効果と書いただけではどちらかわかりません。また、前までの文脈では、読み難さが問題になっているのであって、いきなり手書きの手間の話を持ち出されても、文脈から意味を判断する事が出来ません。故に“専門用語の不適切な使用は文章を曖昧模糊にします。背伸びをせず、自分が正確に把握している言葉を使いましょう”となります)
〉漢字にすると現代の文章のバランスやリズムを崩す。
・文章のバランスって ~ 読みは変わりませんよね?
個人的にはこの部分が一番気になったのですが、この部分への質問には回答いただけませんでした。(無論、回答の義務はございませんので、無視してくださって構いません。)
以上、わざわざ回答にお手間を割いていただいたこと、重ねてお礼申し上げます。
またこの返信にも質問が付いてしまっていますが、こちらの心情的には凡そ解決が付きましたので、回答を要求するものではない事を、ここに付しておきます。
・公文書
何を誤解してんのか理解した。はじめからこっちも漢文の書き下し文として漢文とは言ってないだろ、漢文か和文かって意味ならそりゃずっと和文だよ。ちなみに候文も別に丁寧語にしてるだけな。単に文法が漢文を前提にしてるっていう話。
・書き手が古典読み
造語つーか、書き手の文学連中は古典読みまくから、漢文の方が読みやすいくらいだって話を最初にしてるんだからそれ念頭に置けばわかるだろ。
さっさと全文引用だけしてあら探しするばかりの君が文脈把握の努力を怠ってるだけだ。掲示板だぞ、そんな厳密なコミュニケーションがいると思うのか?
全文引用で多大なスペースをとることもまたマナーに欠けている。俺がしたのは既に触れた内容として文章を少なくするための努力であって、君はある種手を抜いているだけ。
・費用対効果
“手書きの費用対効果もあるだろうが、”
この文が位置と書きぶりで傍論なのはわかるだろうし、結論が漢字を避けることに向けた文章なのだから、費用対効果が良いか悪いかの二択で良いの方に捉える余地もない。なら省略して構わないだろ。
まあ「手書きだとひらがなより手間がかかりすぎるから」とでも書けばよかったのかもしれないが長いし、こちらとしても背伸びというよりスマホの予測変換で出るから楽だっただけだ。
よく使う概念だし字面そのままの意味だし予測変換でも楽だから、社会人には結構普及もして日常で使う奴も多いと思うんだがな。
・文章のバランス
個人的な見解だが、文章における漢字量の最適な配分っていうのは、明確に答えがあるのでなく平均に近付けつつ意図に適切なリズムをもたせる事だと思う。
文章も言語コミュニケーションなのだから、詩的な意図を考慮しなければ一番重要なのは伝わりやすさだし、伝わりやすさは平均のような親しみやすい文章ほど一番読み心地がよくなるはず。
ツイッターでの言い分のように一文中に漢字の密度が高くなると大半の人が一見してうんざりする。
特段今回の様な長文の遣り取りに於いて二文字三文字以上の漢字連続が頻発すれば視覚的印象も悪く、其が更に平均的常識的に漢字表記の必要性も希薄な単語すら敢えて漢字表記にしていれば其の書き手の幼稚な精神構造も際立つ。
↑こんな風に突然漢字の密度が増えた文章が来ると気持ち悪いだろ?
この不快感は、文章全体では漢字の密度が一定だったとしても、結局は日常で目にする平均的な文章との差でも生じる。
小説のジャンルによっては雰囲気作りとして良い時もあるが、そういう意図もない日常の場面で予想外に漢字過多な文章を出されたら不快になる。
だから、思い遣りのある書き手は文中の漢字の配分とかも気を遣ってる。工夫は人によるが、参考書によっては「全然」は避けて一貫して「まったく」にしていたりする。必然的に漢字が続きやすい分ひらがなに出来るところを極力ひらがなにしていたりする。
漢字を多用するような文章はそういう人達の平均的で良識的な文章から特別かけ離れることになる。だから尚のこと読みにくい。
〉はじめからこっちも漢文の書き下し文として漢文とは言ってないだろ
ピカチュウさんから書き下し文とは一言も出ていません。
〉漢文か和文かって意味ならそりゃずっと和文だよ。
これについても、先に「公文書は明治の時点で和文です。漢文の意味を間違えて覚えていませんか? 文語と漢文は別ですよ。」とコメントがありました。そのうえでピカチュウさんは漢文と主張を繰り返しています。
またピカチュウさんご自身、「古典は女流日記以外の大半が漢文だし、公文書も慣習で全部漢文とカタカナの訓読文だった。」とコメントされています。ここでは、漢文と訓読文が区別されています(訓読文=書き下し文でもありませんが)。ですので、文脈から判断するのも不可能です。
漢文の書き下し文は和訳であって、これのみを指して漢文というのは不適切(現に誤解させた)です。
例えば、文章そのものの話をしている時に、英文は難しいと言われれば、大半の人が英語のことを言っていると思い、まさか日本語訳された文章のことを言っているとは思わないでしょう。
〉ちなみに候文も別に丁寧語にしてるだけな。単に文法が漢文を前提にしてるっていう話。
なにを以てして前提と仰っているのかわかりませんが、候文は日本語の文法で書かれています。よって日本語の文法が前提です。返し読みが混ざってはいますが、それらは定型であるうえ、文章全体の割合から考えても、漢文を前提にした文法とは到底言えません。
〉書き手の文学連中は古典読みまくから、
古典読み→古典を読んでいる人ということで理解しました。
〉掲示板だぞ、そんな厳密なコミュニケーションがいると思うのか?
必要です、誤解を避けようと思う場合には。これについては、私の意見以上に、ピカチュウさんご自身の意見と行動がそれを証しています。
「文章も言語コミュニケーションなのだから、詩的な意図を考慮しなければ一番重要なのは伝わりやすさだし」これはピカチュウさんの意見です。ピカチュウさんの文章は厳密さに欠け、相手に伝わらない文章になっています。
そして私のコメントには、再三、私の質問にピカチュウさんは答えなくとも良い、という旨の強調があります。にも関わらずピカチュウさんは回答してくださっています。ですがその文章や回答の不親切さからして、これは私に対する親切心ではなく、誤解を避けようとしている為と見受けられます。故に、厳密なコミュニケーションが要求されます。
〉全文引用で多大なスペースをとることもまたマナーに欠けている。
申し訳ありません。こちらとしては、一問一答で解決が付くように配慮しています。ピカチュウさんのどの発言に対し質問しているのか誤解なきようその発言を引用し、加えて私の質問に私がどう思ったのか付け加えて書いているのはそのためです。例えば古典読みの質問では、「なんのことを指しているのでしょう?」という質問に、私がどう考え、分からないでいるかの文章を添えています。故に、私が「古典読み」のことを「古典を読む人のこと」と理解していないことが判然とし、一言、「古典を読む人のこと」と回答いただければ解決する質問でした。しかしながら、この他の質問含め、そのように直截簡明な回答は無く、質問と関係ない文章がぶら下がり、その度に指摘する箇所や疑問点が増え、或いは質問に対して回答をいただけないなどして、勢い、文章が長くなってしまいます。ご容赦ください。
〉結論が漢字を避けることに向けた文章なのだから、費用対効果が良いか悪いかの二択で良いの方に捉える余地もない。
この意見自体は正当だと思います。しかし、ピカチュウさんの元の文章を見直してほしいのですが(例えば矢鱈は、まあ手書きの費用対効果もあるだろうが副詞なのに他の副詞と違って字面が名詞っぽいから漢字にすると現代の文章のバランスやリズムを崩す。)、この一文では、結論である現代の文章のバランスやリズムを崩すという意見に、費用対効果の部分が結び付いています。そしてこの文章における「あるだろうが」の「が」は「けど」と同じ用法のものと思われます。そして「けど」は逆接です。つまり、前に述べた事柄と相反する内容を導く語から「崩す」という観念が導かれているのですから、この文章においては、費用対効果は良いものとして取り扱われていることになります。
〉・文章のバランス
なるほど、と思いました。
文章のリズムに対する質問は無回答であると受け入れます。ちなみに、「ルールとは?」「これは「シンプルな構文」がそのルールである、ということでよろしいでしょうか?」などの質問も、無回答であると受け入れます。
〉こんな風に突然漢字の密度が増えた文章が来ると気持ち悪いだろ?
全然気持ち悪く有りません。
そもそも、twitterの意見自体が誤っているというか、間違った物言いによって、反対される意見になっていると思います。一般的に日本語は適度にひらがなを交ぜた方が読み易いということですが、そうではありません(と私は思います)。文字の見た目が読み易さを左右するという話で、且つ悪筆を前提としない場合、読み易さを決定するのは慣れであると考えます。慣れた文面であるほど読み易い。そして実際、twitterの例文に対しても、私はむしろ読み易いと感じましたし、ここの遣り取りでの発端にあたるコメントにも「読みにくくはない」とあり、またピカチュウさんご自身も、「戦前の文学者とエリート層にはその方が楽だった」「慣れたら読みやすい面はあった」と仰っています。つまりtwitterの意見は敢えてかどうかはさておき、「漢字の使用頻度が少ない文章を読み慣れた人にとっては」という前提が抜けています。
twitterの意見について賛同しそれを意見として反駁に用いるのであれば、ピカチュウさんは「現代では漢字と平仮名を一定程度の割合で織り交ぜたものが標準なので、それに合わせた方が読み易い」とでも言えば完璧でしたし、言うべきでした。
ところで、私が問題にし、質問しているのはピカチュウさんのこうした意見ではなく、文章そのものに含まれる誤りや不可解な点です。「人は一般的に読み慣れた形式の文章が読み易い」という前提が共有される限り、こうした意見に反対するものではないことを、付言しておきます。
ピカチュウさんのご指摘なさったように、文章が長くなりがちですので、これ以上の返信は控えさせていただきます。ここまでのご回答、ありがとうございました。
こちらも最後に少しだけ言葉を返すと、まず質問と言いつつ返さなくていいってのは矛盾だろ。君にコミュニケーションの正確性を語られるのは心外だ。
それに掲示板に過度な厳密さは要らんってのも、意図を踏まえた全体の趣旨や文脈から補完で解釈出来る範囲にいちいち突っ込んでいったらキリがないという話だ。君の求めるような基準が平均的でないのは周りを見れば明らかで、何ら俺の意見と矛盾はないと思うがね。
君の仕掛けるコミュニケーションは意図も不可解な上にどう見ても掲示板におけるやり取りの平均を逸脱していると思うよ。
すみません。返信は控えるとしましたが、やはり落ち着かないので、返信します。
〉質問と言いつつ返さなくていいってのは矛盾だろ
私の質問に対してピカチュウさんに回答の義務はありません。よって、ピカチュウさんは私の質問に回答する必要はありません。とても単純な話です(小学生でもわかる!)。ですので、質問と言いつつ返さなくていいということは矛盾しません。
〉意図を踏まえた全体の趣旨や文脈から補完で解釈出来る範囲にいちいち突っ込んでいったらキリがないという話だ
ピカチュウさんの構文は破綻すれすれで、文脈や論点がしばしば狂っています。また、言葉も正しく使われていません。補完で解釈出来る範囲を越えています(もっとも、ピカチュウさんの知性を信用しない、という選択肢を取れば、つまりそういうこととして解釈し、決着しますが)。
〉君の求めるような基準
私の求める基準(?)は、例えば、「古典読みってどういう意味だよ!」という質問に対し、「古典を読む人のことだよ」と「一言」返ってくれば達成される程度のものです。
確かに私は他の方よりも、疑問点や納得できないことを追究しようとするタチのようですが、これは相手に最低限の知性や理性があることを期待しているからです(今、その期待は打ち砕かれようとしています)。
〉何ら俺の意見と矛盾はない
? 私は「掲示板だぞ、そんな厳密なコミュニケーションがいると思うのか?」というピカチュウさんの質問に対して、「必要である」と答え、その論拠をピカチュウさんの意見と行動に求めました。そもそも矛盾を指摘していないので、矛盾はないと言われても、そうですかとしか……。
〉君の仕掛けるコミュニケーションは意図も不可解な上に
! ああ、なんということでしょう。「疑問を感じたので質問いいですか?」と真っ先に書いてあるのに。ピカチュウさんにとって、疑問を感じる時に質問をするというのは、不可解なことだったのですね。或いは、相手の誤りを指摘し、訂正を促すというのも、まったく理解不能のことだったのでしょう。或いはまた、感じたことを文章として表現する(感想を書く)ということも、想像の埒外にあった。
やんぬるかな、そのことにもっと早く気が付いていれば、こうもお手を煩わせることはありませんでした。私は、ピカチュウさんへのこれまでの質問をすべて撤回すると同時に、非礼をお詫び致します。たいへん申し訳ございませんでした。今後はピカチュウさんが正しいと言ったことが正しく、ピカチュウさんは何も間違えないということを念頭に置いていきたいと思います。そして、ピカチュウさんにとって、私の意見は全くの見当違いであり、私の疑問は全て私の読解力不足であり、私の感想はピカチュウさんにとって価値のないものであり、私のコメントはすべてピカチュウさんの常識から逸脱した全くもって無礼千万、恥知らずな文章であること(このコメント含め)を肝銘する所存でございます。
ピカチュウ様、これまでのご無礼、たいへん申し訳ございませんでした。そしてお時間を割いていただいたこと、誠にありがとうございます。
平身低頭して許しを乞う次第です。
Orz
意味を推測できない当て字なんかはまじでいらん。はんこ。
だからといって子供のセリフを全部ひらがなにするのはやめろよな!
テクニカルターム/Technical tarm(オリカ)
上はかろうじて読めたけど、下はマジでわかんなかったw
よく読むサイトの文章がまさに上みたいな感じで、ずっと見てると疲れてくる。漢字の多い文書く人って変なこだわり持ってそう