「ライトノベルばかり読んでいる人の書くライトノベルはダメ」
「アニメばかり見ている人の作るアニメはダメ」「ゲームばかりしている人の作るゲームはダメ」「ライトノベルばかり読んでいる人の書くライトノベルはダメ」 どこも大変ですな。でも「映画ばかり見ている人の作る映画はダメ」というのはあまり聞かれない気がする。
— 石井ぜんじ (@Zenji1) February 6, 2021
みんなの反応
タランティーノという化け物がいるせいな気がする
— ふなの山のポニョシカ (@wqPakAXCMIeeNKr) February 7, 2021
「純文学ばかり読んでいる人の書く純文学はダメ」も全く聞きませんね。寧ろ、逆に持て囃されてるかも?https://t.co/PYn5kxHkGg
— ネワノ (@One_of_Engineer) February 6, 2021
「非実在青少年」関係で有名な石原慎太郎とかですね。
— ネワノ (@One_of_Engineer) February 7, 2021
純文学自体が先鋭化した終わったジャンルだからかと。
映画でいえば芸術映画の世界でもう閉じた世界の人しか残っていなくて、我々は大衆など相手にしないと言いつつ、その実逆に大衆からは相手にされてない世界。根っこが娯楽のアニメ、漫画、ゲームはそうなったらお終いかと。
— HopeOfColorStrig (@nikosugi) February 7, 2021
実写版 進撃の巨人
— けん (@ken0001y) February 6, 2021
なぜダメかって言うと、ネタを拾う範囲が狭くなって先鋭化しちゃうからなんだよなぁ。作品自体の寿命も短くなるし、お客さんも育たないし、ご新規も入りずらくなるんだよ…。
廃れたジャンルの事を考えるとなんとなくわかると思います。— せっちゃん (@ozasikigodzilla) February 7, 2021
アイデアの引き出しを広げるためにいろんなのを読んだり観たりしなさい、という趣旨…らしいですね。
発言した時期にはそのジャンルだけでネタの引き出しをたくさん持てるほど作品がなかったとか?
— メフィラス星人ナズナ (@tareastar) February 7, 2021
作り手として物語の振り幅や嗜好性を広げた方が
思考の選択肢が増える、という話ですよね。実際某社で企画やってた時、別の企画者の仕様書を見たら
「XX(別社のゲーム名)みたいな動作」とか書いてあって
眩暈がした記憶があります。まんまやっても劣化コピーにしかなりませんし
— ジャリコ横綱 (@wolvy20) February 7, 2021
まぁでも「歴史に残るようなものを」ってほどの気持ちじゃないなら、偏っててもいいんじゃないかなと思います。
ディスカッション
コメント一覧
twitterの人たちは自分の妄想を根拠に話して臆面も見せないけど、文学はそもそも人生経験や哲学思想を前提に要求するから「純文学ばかり読んでいる人の純文学はダメ」っていう方。とは言ったものの、表現を学ぶとか経験を咀嚼し思想に昇華させるとか、そういう作業に文学作品は寄与するところ大だから、正確には「純文学ばかり読んでちゃダメだけど純文学も大量に読まなければならない」のだと思われる。
参考:菊池寛『小説家たらんとする青年に与う』
それなー
~ばかりって論調が極論すぎるんだよ。正論だけど正論以上の意味がない。生産性がない。
取りあえずの正論で、共感はされても否定される要素はないから気軽に発信してるだけって感じ
人による。
娯楽として消費する身としては
上手くミックスする事が出来るなら問題ない
アレとソレに影響を受けた作者なんだなってのは割とバレるもんで
じゃあそれをどううまく調理出来るかって部分で外部知識や新たな発想が必要になって来るんだと思う
私はそういった所を見て、この作者の頭の中どうなってんだよってなるのが好きだ いい意味で