「本」というメディアの本質
本というメディアの本質は、心の個室で安全に孤独になれるところにあるのではないか。読むのに時間がかかるから、きちんとひとりになれる時間を確保する必要があって、それがネットやテレビや新聞や雑誌とは違う。逆にいうと、本を読む余裕がないとすると、孤独になる権利が奪われているということ。
— 東畑 開人 (@ktowhata) March 20, 2021
そう思うと、出版不況というが、本というメディアはこの世の終わりまで残り続けるんじゃないか。他者とつながるためのメディアはたくさんあるけど、自分とつながるためのメディアってとても少なくて、そういう欲求は人間である限りの消えることがないはず。
— 東畑 開人 (@ktowhata) March 20, 2021
みんなの反応
初めまして、こんにちは。昔、「本を読む人は孤独に耐えられる。」と聞きました。人にはなかなかうまく説明できなかったのですが、これでやっとわかりました。ありがとうございます。
— 美香 (@kuunyannnyann) March 21, 2021
ミャンマーで気持ちが乱れてから急に小説が読みたくなったと書いたが、すでにバジー東畑先生は先週、回答をくれていた。ノンフィクションより小説のほうが孤独になれるということか。 https://t.co/hhiJs8hqNf
— 高野秀行 (@daruma1021) March 28, 2021
孤独になれる時間っていう表現好き
だから本読むの面白いんだ https://t.co/PQu7WPgufJ— ぺちを (@JGmtpjmw9) March 21, 2021
「心の個室」いい表現だな。子育て中はなかなか1人時間とれなくて読むペース落ちてるけど、一時期のことだからね。其々が其々好きな本を心ゆくまで読めるようになるのももうすぐと思って頑張ろう。 https://t.co/ElDuWkxaq1
— Chihiro I (@i_chihhi) March 21, 2021
この話、ぼくも取材や就活相談のときによくします。本は、マスメディアじゃないたった一人のためのメディアだと思う https://t.co/ITbrmZWwJP
— 大塚 啓志郎 / ライツ社 (@keishiro_314) March 21, 2021
> 自分とつながるためのメディアってとても少なくて
本当にそうですね。
ディスカッション
コメント一覧
最近こういう感覚で本を読んでなかったなぁ、と思い起こされた。
テレビドラマは完パケのメディアで、総体としてのテレビは単なる土管。
小説、コミック、絵本などは完パケで、雑誌は土管。
ムックなんかは完パケ寄りの土管。
新聞は土管。
多分、その時代で最速のメディアが土管になり、
古いメディアの土管機能も細々と続くパターン。
ただ、大衆がそれほど完パケの作品を求めているかというと、
かなり疑問がある。「下から半分」くらいは、
積極的に「作品」を求めていない、必要としないんじゃないかな。
えー…いまいち共感できない
なんか哀愁に浸ってるだけの自虐風自慢的な気持ち悪さを感じる
「心の個室で安全に孤独になれる」なんてどのメディアでもそうだし
本だって「他者とつながるためのメディア」という側面も持ってるよ
そりゃあ、新聞とかに比べたら共有する機会は少ないけど
「心の個室で安全に孤独になれる」という表現は曖昧で少なからず恣意的に解釈されるだろうけど、
この場合には間違いなく「自分とつながるため」にあるかどうかが最も重要な点になっている。
その点、新聞や雑誌、ネットなんかは外界からの情報を自分に運んでくるのが主目的であって、
その意味で「他者とつながるため」にある。
〉本だって「他者とつながるためのメディア」という側面も持ってるよ
これも間違いではないが、
「他者とつながるためにある」のと、
「他者とつながるためのメディアという側面も持っている」のとでは、
小さくない隔たりがあると思う。
ただ、そもそも「心の個室で安全に孤独になる」という読書体験自体が、
それを積極的に受容した事のない人にとっては理解し難い(理解したくない)もののように感じる。
だから共感できないという意見もむべなるかな。
『華氏451度』を思い出す話だった。
そうやって自分に理解や共感ができない感性やロジックで物事を見てる人間がいるってわかっただけマシじゃん
要は逆説的に本なんかいらないから全部電子書籍にしろって意見に対し自分には本が必要、そもそも本に求めるものと電子書籍に求めるものは明確に違う奴がいるってだけの話
それをわかってない、あるいは認める度量や器がない奴ばっかだから今の世の中は批判が生じることを当然だと思えずいざそれをされたときに見苦しく批判する奴ハーみたい態度になりがちなんだよ
私は創作物を楽しむ時、その本質は作者の頭の中を覗くことを楽しんでいるのだと解釈してる
つまり作者の考え方、物の見方、発想と挑戦、世界の認識とその表し方を楽しんでいるのだ
本に限らず音楽、ゲーム、絵でもそうだし、それを満たせるのなら会話でも楽しめる
結局のところは本を楽しむ主目的をどこに置くかであろう
本を読んでいる時は作者と繋がっている
私はそう考えたい
こいつらの言う「読書」って絶対小説なのよな
それで自分は博識で頭良いとか思ってるし