まず「つまらない物語」が書けないと「面白い物語」は書けない説
自分が独習した結果のマイ理論なのでアテにはならないんだけど、「面白い物語」って「つまらない物語」の上位版みたいなものなので、まず「つまらない物語」が書けないと、いきなり「面白い物語」が書けたりはしないのではないかと……
— 椎堂かおる (@zerozero_daily) September 3, 2021
うまく言えないけど……
いきなり「面白い物語」を目指すのではなく、「つまらない物語」でいいから物語の形をしてるものを書けるように練習して、つまらない物語が難なく書けるようになってから、それを面白くする方法を勉強したほうが効率がいいような気がする。「まずはバイエルから」のような— 椎堂かおる (@zerozero_daily) September 3, 2021
決められた構成(起承転結)をきっちり叙述できる基礎筆力のようなものが無いと、面白い物語のような重量のあるものをうまく転がしていけないので、腕っ節ヘナヘナの初心者にいきなり面白い物語を独力で回させようというのが、無茶に思える
— 椎堂かおる (@zerozero_daily) September 3, 2021
面白い物語のプロットを立てるスキルと、それを書くスキル(体力)は別物なので、プロット立てる練習だけしても実際には書けないと思うんだ。
自分の筆力で動かせる程度のシンプルで軽い作品で千本ノックして筆力をつけてから、デカいプロットに臨まないと、結局書けないんじゃないか?— 椎堂かおる (@zerozero_daily) September 3, 2021
「面白い物語のプロットを立てるスキルとそれを書くスキルは別物」
文字絵が多いか少ないかとかではなく、面白い物語は「重い」とか「圧が高い」という感じがする。「熱い」というか?
簡単には扱えないので、それに携われるとこまで自分の基礎力を上げていく必要があって、初心者時代にいきなり面白いプロット(設計図)を渡されてもコーディングする力がないのでは— 椎堂かおる (@zerozero_daily) September 3, 2021
という観点で見てるので、「面白いプロットがあれば誰でも面白い小説が書ける」という考え方には「そうかな?」という不思議さを感じてて、結局のところ物語の面白さを最終的に担保するのは叙述力じゃないのかと思っている。その面白いプロットを面白く語る力がいるので。
— 椎堂かおる (@zerozero_daily) September 3, 2021
「面白いプロットを面白く語る力がいる」
実例……というと、同じ噺でも技術の高い噺家さんが語るのと、まだ未熟な人が語るのとでは面白さや引き込まれ方が違う、というのを経験すると、語り口の技術の大きさが何となく感じられる。演劇もそうかな。
— 椎堂かおる (@zerozero_daily) September 3, 2021
だからやっぱり面白いプロットを書くには、それを支えられるだけの文章力だったり、物語を叙述する力も並行して鍛えないといけないけど、叙述力は実際に叙述することでしか身につかないから、初めは身の丈に合う「つまらない物語」をしっかり書くことで、筆を持つ手の筋力を鍛えるしかないのでは?
— 椎堂かおる (@zerozero_daily) September 4, 2021
そういうのを「つまらない話もまともに書けないやつが面白い話なんか書けるわけがない」途端的に言うと伝わらないんだけど、どう頑張っても思いつく話がつまらない場合には、それをきちんと一生懸命書くことで、次のレベルの扉が開くんだというのを自分では経験してきた。だから書くのをおすすめしたい
— 椎堂かおる (@zerozero_daily) September 4, 2021
「どう頑張っても思いつく話がつまらない場合には、それをきちんと一生懸命書くことで、次のレベルの扉が開く」
恐ろしいんだけど「つまらない物語」すらまともに書ききることができない程度の体力(筆力)というのも実際あって、いっぺん書けるようになっても怠けるとすぐそのヘタレ級に戻るんだけど(私だけ?)、でも多分、筆力は筋肉なのでw 毎日千本ノックすればまた獲得できる。
— 椎堂かおる (@zerozero_daily) September 4, 2021
そういうのが書く人の言う「執筆にはコツはない。書くことでしか書けるようにならない」というアレかなと自分では理解してる。
筋肉が筋トレでしかつかないっていうのと同じ感じのことかと。
どんないい武器(プロット)があっても持ち上げて振り回す体力がなければ使えないのでw— 椎堂かおる (@zerozero_daily) September 4, 2021
斬鉄剣が重くて持てない
— 椎堂かおる (@zerozero_daily) September 4, 2021
支持します。
ディスカッション
コメント一覧
つまらん話しか書けん!って時は満喫でマンガ読んだり映画見りゃええやろ
他人の作品見て「これはないわ」「こういうのええよな」「自分ならこうするわ」と
自分の好みがハッキリするやん
技術だけ蓄積しても、作者が感動しない話で他人は泣かんわ
架空の歴史の、どの場所を切り取って描くか、
どの瞬間を描くか、どの人物を描くか。
何人称で描くか、英語か日本語かその他か、
語りの性格は真面目なのか熱血なのか繊細なのか。
まず架空の歴史を用意する能力があって、
次に選択する能力があって、
最後に描写する能力がある。
一番目を現実の戦争とか事件にする人、多いよね。
その理由もよく分かる。
う~ん、とりあえず書いて技術を磨けってのは分かるけど、自作を最初からつまらないと認識して書くと言うのが高度過ぎて付いていけない
プロットだけ捏ね繰り回して形にする前に挫折って人も結構多いから、そういう人向けのアドバイスってことなんだろうけど
>「つまらない物語」すらまともに書ききることができない程度の体力(筆力)というのも実際あって
これなんて個人的には逆だと思う
自分でつまらないと思ってるから筆が乗らないじゃないのかなぁ
そもそも面白い話ってなんやねんてなるから話の着地点がないやん。てか一般に面白いと思われてることのイメージをぶち壊してく作業をしようと思ったらすらすら筆が進むはずがないやん。やっぱ書いて上達するという面もあるだろうけど。結局その人の小説観が何度も脱皮してくことで技量が後からついてくるのかもね。本を大量に読んだり文学史や文学理論を知ってるからと言って小説のことを分かってることにはならんもんなw小説観が成熟して精読者にならんことにはよい小説なんか書けないはずで。そもそも精読ができないというか精読したことすらないのに。さも小説のことを深く理解してますアピールするやついるけど寒いよなwでそいつの繰り出す比喩表現とか見てみると小学生レベルのつたない文学センスでホンマわろてまうwwwしかも意外に高学歴で人にものを教える立場だったりするから逆に驚きだwwwだから小説への理解度を推し量るのに学歴なんかあてにならんよ。小説のことを深く理解するには多数の小説を時間かけて精読するほかにないとゆーのを痛感しちゃうなぁw
日々の積み重ねが大事なんだ!ってお父さんが言ってたよ
頑張ってねにぃに!
詰まるとかつまらないとかじゃなくて、やりきる、それが大事。ってだけの話よね。
そうじゃないと、
>2021年9月7日 6:27 AM
みたいな、つまらないから筆が乗らないとか言い訳モンスターになる。
まさか言い訳モンスターだなんてひっでえ罵倒されるとは
それで私自身がエタったとかって話でもなし、何に対しても言い訳なんてしてないんだけどな
単に面白い作品・シーンの方が筆が乗るというごくごく一般的な創作あるあるを書いただけで
良いプロットでも未熟で文章力が低いとつまんなくなるけど
そのつまらなさに耐えて書ききらないと面白いものを書くのは不可能ってことだろ
一人称の短編ならある程度書けるようになってきたけど、複数人の考えが入り混じる話が作り方がマジで分からない。
複数人のキャラクターの動きってどう考えるのか、みんなどうしてるのか、可能なら教えて欲しい。
多人数の思考を同時に考える感じ?
展開ありきでキャラクターの思考で微修正?
文章の飾りは抜きでそれぞれの一人称でシーン書いてみて結合する? それから整える?
考える展開が発散して、何パターンも話ができてわけ分からんなる。
わかりみ
長編だと登場人物がどんどん増えてくるし、それぞれに思惑やら行動原理やらがあるから処理が重くなる一方なんだよねぃ
いっそ登場人物を大幅に減らしてみるとか
パンデミックとかで…
>展開ありきでキャラクターの思考で微修正
ですかねえ。短編だと、無個性でばーーっと書いてみてから、キャラ付けしたり。
その挙句、微じゃ済まない大修整になったり。
おふたりともありがとうございます。
やっぱり大変ですよね。
やっぱり書きたい形があるなら展開から進めるのが良さそうですかねぇ
出発点通過点着地点決めてあとは「コイツならこの場面でこうする」ってテンプレの決まったキャラを泳がせるゾ
長引くと処理落ちするから章毎に焦点絞ってあとはガヤにするゾ
完結させられないのは論外というだけであってつまらなくてもいいからって事はないと思うけどね。少なくとも本人なりに面白いもの作るつもりで(自分にとってではなく読者にとっての「面白い」でもいい)ぶちあたってその上で完結させなきゃ。「中途半端でもいい/打ち切りエンドでもいい/第一部完でもいいから最後まで書き上げろ」ならいい。
というか「つまらなくてもいいから書き上げろ」なんて言い方はそれは完結させられない奴への「煽り」じゃないかなーって。
何に対してもだけど問題を切り分けて分析しないと、どこがボトルネックになってるのかわかんないよね。
でもそれを直視したくなくて、出来ることを繰り返してボトルネックで躓くっていう。
わかる気がする、書き切る力はかなり重要だと思うし
「こうしたら面白くなる、ここは削った方がいい」って修正できるのはすごいと思う
つまらないが行き過ぎて卑下しすぎると書けなくなりそうだけど
最初からフルマラソンを走ろうとするのではなく、まず最初は歩く事から
つぎに一時間ジョギングできるようになる。
それがなんであれ常に上をめざしステップアップするのはいい事だけど
欲張って大きすぎる一歩を踏み出そうとして足を止める時間が長くなるよりは、
堅実な歩みをこつこつ重ねる事の方が大切
みたいな感じなんだと思う
「小説で使う日本語」は「ビジネスで使う日本語」や「論文で使う日本語」とは違うから決まり事は少ないよな。決まった次数内に収まるように書く思考とは別の思考だし。小説の終わり方なんて尻切れトンボでも構わないんだよ。長さが内容を決めるんじゃなくて内容が長さを決めるのが小説だもんな。そもそも小説にするほどの内容ではないことを小説にしようと悩む必要ないんじゃない?フツーに言いたいことを言いきれるなら日常の日本語で事実を列挙するように書けばいいでw