漫画家になりたい人がよく「人に感動を与えたいんです」って言うけど



 

みんなの反応

 

 

 

 

※1999年8月29日発行のインタビュー

次の世代の漫画へ向けて
「トキワ荘」がみな世に出られたのは、みんな手塚流の線を描けたから。石ノ森章太郎は自分の人気と照らし合わせながらその中で少しずつ新しい実験をしていったから、生き残ったわけです。そういう手塚亜流しかいない時代に、次の世代の水木しげる、さいとう・たかを、園田光慶とかには雑誌社は一切、目もくれなかった。だから、その人達は今度は貸本屋で一つの文化を築き上げた。雑誌社が採ってくれなかったから貸本文化という時代が約10年続いたわけです。で、白土三平(※)が貸本劇画と手塚漫画の橋渡しをする人だった。あの絵はどっちにもなれたから、手塚亜流しか認められない雑誌の編集者でも理解出来る絵を描けたのは白土三平だけだったから、「狼小僧」であれ、「風の石丸」であれ、雑誌に載れた。それでも本当に描きたい「忍者武芸帳」は貸本に描くしかなかった。
そのうち少年漫画がにっちもさっちもいかない、貸本漫画が次の時代のものになるということに気づいたのは手塚治虫で。だから、あれだけカリカリしたんです。カリカリもしたけども、あれだけ忙しい中で手塚治虫は貸本漫画に手を出すわけですから、まあ、恐ろしいわねえ。で、大手出版社が貸本作家を使うようになったら、これまでの手塚亜流の作家を残らず追い出したわけですわね。世代交代がそれで終わった。終わったのはいいんだけど、そのときに貸本屋が全部つぶれたんで、次は一体どうなるんだと。その恐れで私が描いたのが「お楽しみはこれもなのじゃ」(※)です。

一同:ああ。

私は貸本屋がつぶれた時点で一旦絶望したんですけど、そしたら出てきたのが美少女とコミケ。あの人達は、最も見向きもされないような所からはい上がって来た。だから美少女アニメを私は認めます。当時の自販機エロ本…もう今はないかなあ、アルミホイルが貼ってあって夜中になると中が見えるやつ(笑)。その自動販売機の大股開きのエロ本の中に、新しい絵を描こうとしている人達がいるけどもこれは一体どういう形で出て来れるだろうかと。確かに劇画のエロ漫画とは違うものだけれども、これが果たして次を担うところまで来るかどうかというのは、数年悩みました。それから美少女アニメで「くりいむレモン」が出てレンタル屋に置いてあった4、5本だけ借りてみて、他のはどうとも思わなかったけど「POP♥CHASER」というのはすごかった。

一同:おお。

「これになるぞ!」と思ったら、「プロジェクトA子」が出てきて、「ダーティペア」が出てきた。最近面白かったのはTVアニメの「大運動会」。脚本を書いた人は「風雲児たち」を読んでくれてるのが最近わかってうれしかった(笑)。実はスポコン漫画の数十年の歴史は、たった一本の、黒澤明の「姿三四郎」(※)の亜流しかなかったんですよ、「あしたのジョー」を含めて全部。「大運動会」はそれをちょっとだけ変えたでしょ。そのちょっとが俺はモノスゴク偉いんじゃないかと思う。

で、そういう新旧交代が今は、講談社でいうならば『アフタヌーン』に象徴されますねえ。『少年マガジン』『ヤングマガジン』『モーニング』とは一線を画している。これらの編集部のその上の上司の人とこの前パーティーで会ったら「『アフタヌーン』は漫画家に自由に描かせてけしからん」と怒っていた(笑)。俺があれに口出ししたら10倍は売れてみせると。できるでしょう、スゴイやり手の人ですから。できるけれども、「金田一少年の事件簿」のファンから次の世代の漫画家は育ちません。確かに今「金田一少年」の方が、原作者はこれだけ、描き手はこうと分担総合して作ったら、何百万部見込んだ通りに売れた。でもそれはあるものを組み合わせて売れるようにするのは出来るんだけれども、ないものを作り上げていくのは、もう在野からしか出てこない。ひょっとしたら『アフタヌーン』の方が世界市場を手に入れることが出来るかも知れない。今読めているのはそこら辺までです。これから先はインターネットや何かで別の可能性がでてくるからね、どうなるかわかりませんけども。

そういうのを支えてきた読む側の目は厳しいですね。

読む側! はい。すごいです。だから「民衆は愚にして賢である」ということなんですよ。長いスパンで見たら一番賢いのは民衆なんです。

漫画家にとって読者は民衆ですか。

いや、そんな偉そうなことではないな。あのね、その言葉で思い出したことがあるけれども、漫画家になりたい人がよく言うセリフに「人に感動を与えたいんです」というのがあるけれども、これは自分が上にいて読者を下に見てるんです。これ間違い。自分が感動したことを伝えられるかどうかなんです。人を感動させたいと思うことは傲慢でね、感動はしません。
作家は地球の裏側に住んでいる人と、隣にいる人と、同じ目で見られるかどうかっていうのが勝負でしょうね。そこはやっぱり、創造力というか空想力というか、視野を広げる努力をしないと。(ここにある)缶コーヒーを手にしたときに、工場で働いている人、運ぶ人、お店の人、これ一つのために百人なら百人の手を伝わってきているということがわからないと、核戦争後のSFで平気で缶コーヒーを出します。そうすると嘘っぱちになります。
昔の偉い教育者の言葉に「君の着ているセーターは、地球の裏側の少年が育てた羊のセーターなんだよ」というセリフがあって、これがやっぱり教育として一番正しいだろうなと。

白土三平…1960年代劇画ブームを代表する漫画家。代表作「サスケ」「カムイ伝」「忍者武芸帳」など。
「お楽しみはこれもなのじゃ」…『マンガ少年』(朝日ソノラマ)で連載された漫画エッセイ。和田誠の映画エッセイ「お楽しみはこれからだ」をもじったスタイルで往年の漫画の名作、名場面を語る。1997年、河出書房新社より文庫化。
「姿三四郎」…1943年作品。主演・大河内傳次郎。日本柔道発達史に想をとった、男と男の宿命の果たし合いを描く。

https://www.comitia.co.jp/history/049pro.html

 


下手に言い換えるとズレるかもしれないんですが、「A」に対する感動を伝えたいとして、自分の感想「A´」をつらつらセリフにして読者に同じように思わせようとするより、「A」そのものを丁寧に描いたほうが受け取ってもらいやすい――ということかなと思いました。

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