なろう(浅い)と過去の名作(深い)の明確な差に気付いた

1: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:06:52.64 ID:mefTSW2J0
物語に占める主人公の割合
多いとなろう系のように浅い作品が多い、逆に少ないほどその他大勢の登場人物に焦点が当たり深い作品となる
多いとなろう系のように浅い作品が多い、逆に少ないほどその他大勢の登場人物に焦点が当たり深い作品となる
2: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:07:40.67 ID:SZk0dPU3a
根性の表面しかなぞっていない
3: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:08:09.32 ID:mefTSW2J0
ちなみにこれはそのまま作者の人間性に当てはまる
自分の視点ばかりで物事を見る人と周りに常に気を配りよく観察している人間の差
だから登場人物が少ない作品など単純に主人公の活躍が多い=浅いという訳ではなく主人公の視点ばかりの作品は子供じみた自分勝手な倫理観が散見されるため共感を得られにくく浅い作品になりやすい
自分の視点ばかりで物事を見る人と周りに常に気を配りよく観察している人間の差
だから登場人物が少ない作品など単純に主人公の活躍が多い=浅いという訳ではなく主人公の視点ばかりの作品は子供じみた自分勝手な倫理観が散見されるため共感を得られにくく浅い作品になりやすい
4: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:08:11.67 ID:LIfxVjfAr
主人公特化型でも面白い作品なんてザラにある
7: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:08:47.53 ID:/pSgJUkj0
浅いのはお前定期
10: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:10:24.34 ID:PWobyxwW0
これははっきり言ってレーベルの違いだけや
内容とか全く関係ない
内容とか全く関係ない
11: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:10:49.75 ID:mefTSW2J0
宝石の国ってキャラ多いけど主人公特化だよな
うまく行けばシュタゲみたいになるが失敗すると作者のオナニー漫画になっちゃう
うまく行けばシュタゲみたいになるが失敗すると作者のオナニー漫画になっちゃう
12: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:11:11.03 ID:f3CqT8yF0
セカイ系全部なろうやんまあ浅さはなろうより酷いか
13: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:11:17.22 ID:/pSgJUkj0
オーバーロードって主人公以外の視点多いけどイッチ的にはどうなん?
14: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:11:36.52 ID:mefTSW2J0
>>13
ゴミ
ゴミ
15: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:12:04.91 ID:/pSgJUkj0
>>14
だよな
これだと反例になっちゃうで
だよな
これだと反例になっちゃうで
16: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:12:50.37 ID:LIfxVjfAr
なろうはつまらん以前に気持ち悪い
17: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:13:01.64 ID:PP2yfAkta
ワイとしては主人公がイキってなければ別にええで
18: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:13:10.36 ID:QhzEwR9Pd
そもそも普通の人間はなろうなんて読まん
19: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:13:13.34 ID:x6vjyIqr0
別になろうとか興味ないけどこういう結論ありきの「浅い」逆張りアフィスレはまともにレスする気起きない😅
20: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:13:39.91 ID:kN+vhZz3p
主人公以外が人間離れした頭の悪さしてるからな
その辺で見ててイライラする人おるやろ
その辺で見ててイライラする人おるやろ
24: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:14:30.87 ID:kUE5TPnl0
面白いなろう系作品教えて
29: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:15:40.64 ID:mefTSW2J0
>>24
なろうほとんど見たことないからわからんがリゼロがなろうなら俺はあんまりだった
なろうほとんど見たことないからわからんがリゼロがなろうなら俺はあんまりだった
30: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:15:45.12 ID:/pSgJUkj0
>>24
なろう産で面白いのはあるけど
世間一般に言われるなろう系は面白いものはひとつもない
なろう産で面白いのはあるけど
世間一般に言われるなろう系は面白いものはひとつもない
25: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:14:41.32 ID:C+go+d0/0
浅いもの読んで浅いって文句言うのはおかしいやろ
うんこに臭いって文句言うようなもんや
うんこに臭いって文句言うようなもんや
56: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:25:51.64 ID:B3wLPbXMd
>>25
それは文句言うやろ
それは文句言うやろ
26: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:14:57.39 ID:/djJLNxrM
なろうで無駄に登場人物多い作品は基本つまらんよな
てか文字情報のみの小説で登場人物多いのは覚えきらんわ
てか文字情報のみの小説で登場人物多いのは覚えきらんわ
27: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:15:10.08 ID:/gqCa5YPM
宝くじ感覚で書籍化目指す奴が増えたのが原因やろ
32: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:17:33.20 ID:mefTSW2J0
そういう意味ではチェンソーマンは滑る可能性が高い
33: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:17:35.67 ID:hGI9ufE70
主人公の成長がない
なろうはゲームみたいなシステムで一気に強くなって暴れるだけ
なろうはゲームみたいなシステムで一気に強くなって暴れるだけ
37: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:18:57.59 ID:gvySemcj0
>>33
無職転生見ても同じこと言えるか?
無職転生見ても同じこと言えるか?
34: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:17:43.44 ID:uIop3nNud
成功が確約されてる作品が一人称視点でストーリー展開していくと独善的な心理描写が増えるってのは納得できるけど
文学の違いなんて要はどのジャンルとして出されてるかの違いやないか
たとえば今の恩田陸は最早ラノベ同然の作品しか出してないで
文学の違いなんて要はどのジャンルとして出されてるかの違いやないか
たとえば今の恩田陸は最早ラノベ同然の作品しか出してないで
35: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:18:20.10 ID:4cjDAdsg0
主人公以外の視点が多いといえばボーボボ
36: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:18:51.48 ID:hcqreDFt0
とりあえず文豪みたいな地の文書いて落ち着いた雰囲気で物語を進めればなろうとは呼ばれなくなる
カッコつけすぎと言われる事はあっても
カッコつけすぎと言われる事はあっても
38: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:19:00.03 ID:KemD/j0Gp
親の存在もかなり差があるな
なろうは最初から無かったことにしとる
なろうは最初から無かったことにしとる
39: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:19:03.93 ID:4Ei3fdvq0
魅力的な敵がいない
これに尽きる
これに尽きる
41: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:19:48.40 ID:mefTSW2J0
ちなみに進撃の巨人のサードシーズンを見て考えました
43: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:20:34.44 ID:JGC78pzi0
ここでこれがあったらそら便利よな
って能力をちょっとしたピンチの度に入手したり持ってたのに気づく
の繰り返しなんは都合よすぎて読んでられへんな
って能力をちょっとしたピンチの度に入手したり持ってたのに気づく
の繰り返しなんは都合よすぎて読んでられへんな
44: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:20:57.28 ID:/gqCa5YPM
無職転生はなんやかんや物語として面白いわ
45: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:20:58.45 ID:kOV0NiK50
とあるみたいなサブキャラ押しって水増しみたいであんま好きちゃうな
50: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:23:46.76 ID:mefTSW2J0
>>45
それは分かる
あれは作者が色んなキャラに感情移入できる稀有な例だけど表面的な個性はあっても性格や行動原理などはほぼ同じで結局主人公の焼き増しになってる
それは分かる
あれは作者が色んなキャラに感情移入できる稀有な例だけど表面的な個性はあっても性格や行動原理などはほぼ同じで結局主人公の焼き増しになってる
46: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:21:01.06 ID:kqIcfwHfp
なろうってひとまとめにされるのが納得いかん
分母がおおいから玉石混合だけどなぜか薄い作品ばかりアニメ化、書籍化してそれがなろう代表になってるから仕方ないけどなんだかな
分母がおおいから玉石混合だけどなぜか薄い作品ばかりアニメ化、書籍化してそれがなろう代表になってるから仕方ないけどなんだかな
52: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:23:48.50 ID:r1oKUOZ90
>>46
おーおー分かってるなん爺かっけー笑
おーおー分かってるなん爺かっけー笑
48: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:22:11.96 ID:KpEkJ3zq0
ライ麦畑でつかまえてとかほとんど主人公の独白ちゃうかったっけ?
51: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:23:48.30 ID:wqCKrYZt0
なろう作家の人格批判はどの角度からでも出来るな
54: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:25:19.60 ID:4cjDAdsg0
浅いの好きにはええやん
深堀りで暗い過去見せられてもダルい派もおる
深堀りで暗い過去見せられてもダルい派もおる
58: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:26:19.90 ID:mefTSW2J0
>>54
たしかに
たしかに
59: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:26:38.17 ID:dNzmn0R1d
傾向としてっていう所感ならまだわかるが
帰納するほどの本質的な指摘には当たらない
帰納するほどの本質的な指摘には当たらない
61: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:27:13.37 ID:mefTSW2J0
>>59
言葉が難しすぎる!
言葉が難しすぎる!
62: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:27:20.43 ID:DFKloWbKM
なろうは主人公に合わせて世界が作られている
名作は作られた世界の中を主人公が駆け巡る
名作は作られた世界の中を主人公が駆け巡る
70: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:29:36.48 ID:mefTSW2J0
>>62
凄えいいなって思ったけどこうやって語感の良い文章作るために色んな言葉を捨てるのって本末転倒なのかもしれない
凄えいいなって思ったけどこうやって語感の良い文章作るために色んな言葉を捨てるのって本末転倒なのかもしれない
64: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:27:42.93 ID:U5o+MDdS0
主人公以外の全ての存在が主人公を賛美する舞台装置で感情が無いんやって言うのはすごい納得したわ
66: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:28:55.79 ID:kqIcfwHfp
以前は暇さえあればスコップしてたけど最近きついわ
いつまで追放系・悪役令嬢系が流行ってるんだろう
mmo系とかデスゲーム系が流行った時もそうだけど結局有名作品の後追いでだれも自分が流行りを作ろうとしないからきつくなってきた
いつまで追放系・悪役令嬢系が流行ってるんだろう
mmo系とかデスゲーム系が流行った時もそうだけど結局有名作品の後追いでだれも自分が流行りを作ろうとしないからきつくなってきた
68: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:29:05.46 ID:7noro9Bmd
普段のお前らの自分語りと一緒やな
69: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:29:18.08 ID:0I8XMzbId
ちょっと物思いにふけったときに考えたことを人に言うのやめた方がいいぞ
寝る前の妄想を言ってるのと同じだから
74: 名無しの読者さん 2021/10/24(日) 20:31:30.27 ID:mefTSW2J0
>>69
落ち着きなさい
思慮深くありなさい
落ち着きなさい
思慮深くありなさい
出典:https://swallow.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1635073612/
深けりゃいいってものでもないのよね
ディスカッション
コメント一覧
なろうは心理描写が多い。風景や物などの情景描写ができないのが多い。語彙力(ry
底辺作者の持論として
読者の予想どおりに展開するのが浅い作品だね
たとえば欲情→即本番行為のエロ小説エロ漫画なんて作者のおっさん顔がチラついて萎えてしまうよね
そうでなく欲情→中断→さらに欲情→中断→……の寸止め展開の方がエロくないかな
だから僕も、読者が予想もしなかった展開になるよう注力してる
罠を仕掛けて読者をミスリードさせるよう誘導したりとか
トラブル発生→読者「ああきっとこういう解決方だろな」→予想外かつ鮮やかでより本質的な解決→驚きとカタルシス、が理想
書いてて分かると思うがそれやろうとしてるのが見え透いて、
補正込みで成り立つやり方して成功してドヤると最高に痛々しいので、
その前に「そうした理由」含めて上手く構築してないと結構諸刃の刃な気がする
解決法に的絞り過ぎてキャラ大きく曲げちゃうと特に痛々しくなるからね…
理由は冷笑主義者が必死な人見て「こうやればよいのにやらねぇなんてバッカでー(なお~)」ってパターンになるせい
特に主人公格が毎回そのパターンをやると最高に分かり易く「痛々しい」物になる
主人公は一番そう言う扱い(作者の意見の象徴)するパターン見慣れてる人多いから、
「そう言う読み物」って認識にシフトするからね
正論暴力!
そら理想どおりに書けるなら底辺に甘んじてないし!
頑張れ…
まぁ、逃げも手だよって面はあるけど理想追う情熱も大切な事ですからね
「創作は会話」って他でも言ってますけど、
一番読者が白けるのって「作者に白ける」パターンなので、
冷笑主義で賢しらぶってる無能は「(ストレスの反動として)弄る対象」か「見苦しい存在」だけど、
何かに必死になってる事が伝わると許容範囲が広がる事が多いですからね(まぁ、必死さが本物っぽいかとかもあるけど)
「意地でもそんな恰好見せたくない、それやったら理想と違っちゃうから嫌」とかじゃなければ、
作者が入れ込んでる物や欲望はっきり見せて行っちゃうのも手ですね
「クールでスマートで有能な人物」は一歩間違うと「冷笑主義でナルシストの無能」と化すけど、
「情熱的で必死な人物」を有能さはぼろくそでも「駄犬枠」「ペットポジ」とか「飛影殺生丸ポジ」「放って置けない人」など受け皿広いですからね
ジョジョ特有の
敵「追い詰めたぞ」
味方「実はこうしていたのさ。逆転!」
敵「バカなッ…!しかし既にッこうしていた!逆転!」
味方「な、なにィーッ!?」
敵「勝った!止めだッ!死ねぇぃッ!」
味方「敵が勝利を確信した時…そいつは既に負けているのさ」
敵「な、なんだとォーッ!?」
の応酬だいすき
この構図、最近になってジョジョのアニメ見るまで他で見なくて感動したんだけど、やっぱ難しいんですかね
他は大抵主人公劣勢→劣勢→大逆転って感じのイメージ
ジョジョは優劣コロコロ変わるとこがマジで面白いと思う
>たとえば欲情→即本番行為のエロ小説エロ漫画なんて作者のおっさん顔がチラついて萎えてしまうよね
そして竿役もおっさんである
なろう系は、過去の作品群で言うと
・日活とかのピンク映画
・ビニ本とかのややソフトなやつ
・夕刊紙のエロ小説(あったかな?)
・スポーツ紙のエロ漫談
・エロ雑誌の読み物部分、マンガ
・ややソフトなエロマンガ雑誌
このあたりの原作に相当すると思う。
晴れて書籍化すれば、まさにこれになる。
素人の小説投稿サイトということを踏まえると、浅いというかフシアナ
無職は小さい内に魔力使うと最大値がすごい上がるぞって言うしょうもないネタが根底にあるし、あれを主人公の努力と呼ぶのはどうなんだ。
世界が主人公に忖度しているとしか言えない。
そらその部分は才能としか言えんが、別の大陸から故郷に帰るとか自分より強い相手を倒すとか偉い人と人脈を作るとか、魔力があっても簡単じゃないことをしてるのは努力と言えるんじゃないか?
世界で5本の指に入る魔法使いになるロキシーを幼少期の時点で上回っている魔法の才能。
要するに凡百のなろう主人公が神様にチート貰ってスタートと同じなのよ。
チート能力使って人間関係を構築するのはそこらのなろうでもやってるよ。
転生直後に盗賊に襲われてる馬車を助けたら王族と仲良くなったぞ!やったぜ!
これと本質的に変わらん。
いうて列強だの龍族だの魔王だのいる時点で実際は10番にも入ってないんじゃないか?それに5本の指に入ると言われたのは水王級になってからでは
そのそこらのなろうと違うのは全力で大暴れすれば解決できるみたいな、いわば完全な成功の保証が無いこと、それでも目的のために危険を冒すことだと思う
どっちかって言うと無職信者のパウロ嫌いっぷりとルーデウスageっぷりがキモいわ…
正直ルーデウスよりパウロの方が真面目にしか思えんしな…
有能無能世界観由来なんだろうけど、それで言えば正直ルーデウスより絶対優秀だろう、
みたいな奴は作品内にいくらでもいるし、そう言う所含めて「ああ、なるほどね」としかならんのよね
無職信者だけど、パウロ大好きやぞ
ミリスでの再開からの転移迷宮でのやり取りなんか
作中1,2を争うくらいの見せ場じゃないか
ああ、ぽこぽこさんなんかもその辺平気だったし、実際その辺は悪目立ちが過ぎるだけでそんな多くないのかね?<パウロ嫌い
どっちかって言うとルーデウスの父親らしい人物像なんじゃない?程度にしか思わんのよね
ずれてる部分や駄目な部分あるけど大切な物があってどうにか折り合い付けようとしてるって言う
https://syosetu.org/novel/250040/1.html
個人的にこれが「パウロ嫌いだからって言って出すのがこれかぁ…」感あって
最高にキモくて高評価受けてるのも含めて中々、
グロテスクな魔界ですね感がある
感想欄含めて…
主人公がまずクズ野郎だからなぁ・・・
ああ、ちなみに作者がパウロsageてるかで言うとそうでもないから、
ティアムーン帝国なんかでも「モロ」に感想欄で吐き気したけど、
あれと同じなんだろうなと思ってるよ
多少漏れてない?みたいな部分はないとは言わんけど、
本人の説明か何か聞いてると「手探りでやった結果バランスを逸脱した(コミュニケーショントラブル)」と言う面がある所もありそうだしね
ティアムーン帝国なんか作者が擁護してない人物探す方が大変だけど、
感想欄ではそれへの不満でいっぱいだからね
無職については世界が主人公に忖度しているのであれば、あんなに面倒くさくてややこしいストーリー展開にはしないと思うけどね。主人公にとって大事な親族が死んだり痴呆になったりしてたし、加えて作中内での主人公の「自分より強い相手を倒す」際の創意工夫を努力でないとするならば、それはなかなかに先鋭的な主張だと思うけど。
あと主人公がたぐいまれな才能をもつ物語なんて、それこそなろう以外にもたくさんあるのでは。
そして主人公がその才能による能力をもちいてその世界における重要人物と関係をもつ物語というのも、やはりなろう以外にもたくさんあるのでは。
総じてフィクションにおいては、多かれ少なかれ世界は主人公に忖度するものなのでは。
仰りたいことはもっと別のところにあるんだろうけどロジックだけを取り出すと、
「無職転生の物語内における各要素や展開が主人公の努力と言えるかどうか」
について「凡百のなろう主人公と同じなのでそれらはすべて努力でない」とするならば、ではいったい無職含めたなろう以外の他の物語と本質的には何が違うのか、という問いに対しての充分な答えにはなっていないのでは。
投影として主人公に忖度してるのが当然と言うより、
多くの王道作品は基本的に「運命(ストーリー)に対して主人公が設定される」から、
「世界に求められただろう事」が出来た縁壱が主人公、
または、メインキャラに設定されるんですよね
それが「忖度してる」と見える場合と、本来の「運命に対して設定された主人公」に見えるかと言うだけで…
本質的に作品世界が忖度するのは主人公ではなく作者、または作者が読者に阿る人なら読者に対してで、主人公に対してではないですね
主人公に(歪な)忖度してる様に見えやすいパターンは最初からそう言う構図してるんじゃなければ、
作者がやる気失くしたけど勝たせないとだよなぁ、ってなって、だからって吹っ切れてさくっと終わらせず、半端に理屈こねるパターンとかだとありそうですね
お久しぶりです!
件のハーメルンの二次創作は腹かかえてわらってしまったww
スレタイとイッチの主張については基本的にスレ内の59でおわりだと思っているので……。
その先はアイゲスさんのおっしゃるとおり、ある作品もしくは作品群(今回の元スレにおいてはなろうの作品群)が、
1. 作品世界ないし物語(運命)のために、主人公が設定されているのか
2. 主人公のために、作品世界ないし物語(運命)が設定されているのか
このどちらに当てはまるのかが論点になりえる、というのには同意です。
そしてなろう作品が、おおむね上記の2.に当てはまるだろう、というのも同意です。
(※もちろん単になろう作品が、と定義するのはあまりにも雑過ぎるとは思っていますが)
その上で自分の立場を書けば、もし作品内にメインキャラと呼ばれうる主人公がいるのならば、読者および作者の投影対象というのはおおむねその主人公なので、作品世界が対応しているのは主人公(を含めた登場人物)なのか、あるいは作者もしくは読者なのか、というこれらの差異に大きな意味を見出すことは難しいと感じます。
(この場合においては主人公 ≒ 読者および作者の投影対象だから)
また「作品世界」と言った時にそれが、作品の物語内において
・どのような場所や文化風習があるのか
・どのような人々と組織があるのか
・それらがどんな価値観をもつのか
といった、ごくごく一般的な意味合いでの「世界観」とほぼイコールなのであれば、例えばファンタジーや歴史ものといったジャンルを考えたときに、作者や読者のために「作品世界」が忖度する、というのは若干無理があるんじゃないかとも思います。これについては勘違いでしたらすいません。
もう一点加えるならば、2.のような作品形態はなろうの盛り上がり以前であればセカイ系と言われる作品群や昔のノベルゲームの主人公などいくらでもあげられそうです。
なので自分としては、2.のような作品形態はなろう特有のものではない、という認識でいます。たしかに王道ではないでしょうが、それが自分の意見の主旨に影響を及ぼすことも特にないと思います。
源氏物語なども見方によってはハーレムものと言えなくもない。もちろん過去の名作を貶めるつもりはまったくなく、むしろ人の欲望は普遍的なものだからこそ、なろう系におけるそれらについても客観的に向き合ったほうがより得られるものもあるのでは、という立場です。
自分のコメント 2021年10月30日 12:01 AM に対しての追記
〉「忖度してる」と見える場合と、本来の「運命に対して設定された主人公」に見えるかと言うだけで…
これについて問われるべきなのは、作者とそれぞれの読者がもつ各々の感性と種々の判断基準だと考えてます。
例えばなろう系なら、それを見て歪だと思うならば自身の感性と判断基準を問い、また歪だと思わないで受容している層の感性と判断基準を想像し、両者の比較によって分析するのでなければ、やはりそれは主観的かつ一方的なものにしかならないのではと。
ただしつこいようですけど、それぞれの立場からの主観的な所感を述べるのも、個人的にはぜんぜんありだと思ってます。でないと場が息苦しくなるし、閉鎖的になってしまうので。
お久しぶりです
自分はあれは笑うより「む、無理…悍ましい…」って感じでしたね
何がキモいって、あれが「NTRしてパウロイジメたるぜー」だけなら、
まだパウロ以上のクズの自覚はありそうだし、
イライラするとそう言う風になる事あるよね、で済むんです
ただタイトルやら流れの作り方やら感想やら読むに
「ああ、要するにパウロと違って、自分は善良と思ってるんやな」ですからね
作者は皮肉でタイトル付けてて読者が勘違い組ほど喜んで感想付けてて構って貰えるから嬉しくて反論釈明出来ないだけだぞ、って可能性もないとは言いませんけどね…
エロだけ見てその辺はどうでも良いんで高評価入れて置きますねって人は良いけど、
「パウロからゼニスNTRってゼニス幸せにして上げてとても気持ち良かったです」は
「あ、無理。キモイ」ですね
いや、だって自分も皆もそう言う面ってある物だし、更に言えば有ったかを持ち出せばまず間違いなくだからさ、と言うのは確かにあるかもしれませんけど…
それをどの距離感で対応するのが正しいって話で言うと、「範囲規定抜きに肯定するのは誤解を与えるのでは?」と言うのもありますからね…
自分がチート持ち美少女になって制限でどっちかとSEXしろって言われたら、
あのオリ主(投影対象?)とパウロなら即答でパウロですねって感じですからね…
「オリ主、クズの上にスーパーナルシストで…面倒くさそう」しかないので
せめて「面白そうなナルシスト」ならまだしも、面白そう要素「嘲笑」以外ないので…
ここで言う面白そうなナルシストは可愛いナルシストですね
「気持ちの良い馬鹿」とか「可愛い動物」とかの類に行けるようなタイプ
(春日の「格好いいだろう?」とかは割と近い)
パウロは自分でダメ人間の自覚がありそうなんでまだペット感覚で可愛いと思えるんですけどね
寧ろこれは濡れちゃうね、くらいのレベルにはないですけど…
そう言う意味ではゼニスとの関係見てても可愛げはありますからね…
亭主関白でないとみたいな変な固定観念はあるみたいだけど、
本質的にあの家庭はゼニスがし切ってゼニスが管理と調整を負っていて、パウロもその自覚はある様に見えますしね
ちょこちょこ「弱気」になるのは「ゼニスが本気になったら暴力以外では勝てない」自覚があるからでしょうから(譲って貰ってる、優しさに甘えてる自覚がある)
ゼニスなんか本人自覚ないけど保護者目線や幼馴染目線の割合大きいですしね…
しずかちゃんとのび太君的なサムシング
逆にそうじゃなければあのラブラブノリ自体相当無理してなければ出来ないでしょうからね
(そうじゃなければどこかだけ特別好意的に評価してる所があるせいで感情振れ幅が大きい、だけど…)
だらしなさや約束何時も破るみたいな話しながらも愛情が損なわれないのは本人自覚なくても「織り込み済」「受け入れ済」だからですからね
(描写しっかりされてて裏切るべくして裏切ったキャラに裏切者がーと叫ぶ人を見ると、「何見てたの?」ってなるマン)
まぁ、流石にリーリヤ妊娠は自分の信仰との折り合いもあって「眼を背けてた部分」でしょうから、処理出来なくても仕方ないの上に、
相手がリーリヤ(最も信頼する親友と思ってた)で、まぁ…処理しきれんよな、って話ではあるけど…
(そんな状態でもリーリヤが出て行くので、って話に生きて帰れるの?と言う話してる辺り、あそこの会話は本質的には「すれ違い」でしかなかった訳だけど)
あれは「赦す言い訳」を求めてたゼニスにルーデウスが意識的かは微妙と言うか、ほぼ間違いなくそこについては理解してないけど、言い訳を提供した形で丸く収まったと言う話なのよね
>>これについて問われるべきなのは、作者とそれぞれの読者がもつ各々の感性と種々の判断基準だと考えてます。
これについてはその通りです。
と言うか抽象的で分かり難かったと思うのですが、歪な忖度の「歪」は何を表すかと言うと、「忖度だと思ってない忖度」です
要するに現実観の問題なんですね
「自分はこういう忖度をされたい」と言うオープンな話で認識も概ね共有されてる話がエロ同人で、
「こう言う物を受け取って当然だよね」と言うのに乖離が大きすぎて「何言ってんの?」がメアスーです
だからこそ先述の作品なんか「お前らがキモいわ」って話で論争するのが筋になっちゃう訳ですね
あれで「いやいや、忖度の自覚は十分にあるよ。この話はパウロ以上のクズがハーレム築いてパウロざまぁってやる話だから」って言うなら、
それはそれでもしかしたらそちらが言ってるのは本来そう言う事かもしれませんけど…
忖度だと思ってない忖度が歪と言われてるのは分かってたとして、
その上で歪かどうかの基準は主に2階層あって、一つが「忖度だと思っているのか思っていないのか」と言う認識(創作における作者と読者のコミュニケーション)と「これは忖度である(現実観の議論)」ですね
創作に対する基準と実際の基準をかなり明確に分けてる人は別として、「こういうクズが好きか嫌いか」は趣味だけど
「クズかどうか」は政治ですからね
あの作品で何が問題って「自分たち(オリ主人公)はパウロと違って良い奴だ、と思ってるんだろうな…」だから政治なんですよ
「犯罪者とどう向き合うのが正しいか」の議論は「犯罪者をどういう存在だと思うか」と言うメタ政治(常識)で決まる物に過ぎないので、(実際には一対一の対応ではなくメタ政治のいくつかが土台になってその上に結論が乗っかる)
>>多くの王道作品は基本的に「運命(ストーリー)に対して主人公が設定される」から
と言う訳で言う王道作品の話で、セカイ系とかはまたちょっと違いますね
太宰治の人間失格とかもありますし、個人掘り下げ系は所謂「王道」ではない日常系や世界系、
恋愛系などでは当たり前の形です
この形式は所謂「ドラマ」と言う形ですね(悲喜こもごも)
>>もし作品内にメインキャラと呼ばれうる主人公がいるのならば、読者および作者の投影対象というのはおおむねその主人公なので、
>>作品世界が対応しているのは主人公(を含めた登場人物)なのか、あるいは作者もしくは読者なのか、というこれらの差異に大きな意味を見出すことは難しいと感じます。
これは感情移入と投影の違いが絡んできます
完全に分けれるかと言うとそうでない部分はありますけどね
そもそも現実の共感・感情移入が自分や自分の知ってる事と繋げて考える事で発生する部分が多いですから、そう言う意味では何割かは投影してるとも言えますからね
(だから自分に近い性質の人に対しての方が評価が甘くなりやすい)
とは言え、上記の共感の性質を考えればイメージ出来るでしょうが、
投影はエゴで判断される物で、感情移入はエゴ自体は絡みますが、基本的には第三者視点で判断される物で、割合に伴ってその偏りは大きくなります
「主人公がやればロマンスだけど他の奴がやったら不貞」とかですね
純然たる投影は近しいからとかあんま関係ないんですよ
だって「自分の利益」の話ですからね
この辺に基準が雑だったりとか「何基準なの?」みたいのが出やすくなるわけですね
まぁ、基準そのもので対立すると言う場合もありますけど
多分大半の人は感情移入の比率が大きく、その辺は「主人公の利益になるか」とはあんまり関係ない評価をキャラに下してると思います
もうちょっと言うと主人公自体が「自分ではない」ので、「主人公が赦すキャラで赦すならそう言うもの」で終わりやすい訳ですね
トラウマ絡みで被害者の有無とか被害者の心情とか気にせず特定のタイプに苛烈に憎しみを向けるって事もありますけど
死んでください!勇者でしょ?でヒロインが、まぁ、苛烈なメスガキですが…(主人公を奴隷化させて不死身デコイにする)
主人公は赦してても赦すな、ゴブスレのゴブリンの巣に縛って放り込めって人いましたからね…
メスガキって言ったのは、まぁ、精神性含めてメスガキだからですね
メスガキは性癖だよ?いいね?僕はね…メスガキが救われて、自分を解放して幸せそうなのを見るのが好きなんだ…
単なるエロとしてはそうじゃなくても使えないではないけどね…
まぁ、主人公の場合、この辺の投影してしまいやすさと絡んでその匂いが強いと「作者が嫌い→主人公が嫌い」って経路になる場合も多いですけどね
本好きの下克上アンチスレとか見てるとキャラ自体よりそっちなんじゃないかな?って思いますね
(周辺キャラの人気が出ると主人公とお相手sageるのほんと不快、って言ってる人多いので)
話さえ面白ければ人格関係ないでしょうと言うのはないではないんですが、
本好きが良い例ですが、「人格の一部は作品の面白さと強く絡むんだよなぁ」と言う話です
何故それをやってしまったのか、と言う
めっちゃ横なんで流してもらっていいんだけど、ルーの字を通して(出現をもって)オの字に忖度してる感はある。最終兵器彼女のラストみたく、それまでの話が悲惨すぎて。
も少し掘ると、ルーの字の物語として見るとスタートで忖度されていると嫌悪するかもしれないが、オの字の物語として見ると巻き込まれでえらい課題こなしてすげーな的な見方になる。スネイプのラスト辺りとも通じる感じある(いずれの物語も記憶が欠けてるので違う話だったかもだが)
ああ、ポジション的にはウェイバー・ベルベットの物語みたいな感じは自分もありましたね
士郎は秋人で切嗣がオの人って言う
もっと強烈で「切嗣救済オリ主物」と言う意味かもしれませんけど
その辺はハメにもパターン多いけど異性救済系だと上の
「幸せになっる彼女たち(キリ) 無職転生編」みたいな気味悪いパターン多すぎて、
「地雷原」って感じですけど
無職が対オの人やリリア向けのそれだって言うなら良く描けてる気がしますね
何がどういう意味で気味が悪いのかって?
ヒロインに興味ないだろってくらいのヒロイン解釈の表層性と、
それに対応するナルシズムとしか思えない主人公の扱いと話の流れですよ
ハメ(ハーメルンかな?)は踏んだこと無いけど世にままある地雷。オリジナルだと気にならなかったりもするし。どの点が何で不快なのかまでは考えられなかったけど未だにわかりませんねえ。言葉にできない。
見てる要素の次元と核が実際とずれてるんじゃない?
会話と政治とメタ政治の話なんかもろだけど
創作は直接会話より会話の処理が複雑だしね…
「意図的に表層的にして意図的にナルシストチックな話にしてる」のは
「会話を意識出来ててそうではないとしっかり分かってるほどきっちり表層的に出来る」とかもありますし、
更に政治のレベルに絡むとメタ政治の複合で結論が出る様に単一階層だけじゃなくて横の繋がりも出ますし、
人格的信頼も横の繋がり絡みますからね(飛影や殺生丸好かれるのはこの横の絡みまで行っての話だし)
「浮気しない俺は浮気するあいつより誠実」「何一つ献身しないし献身したら頭伏せて感謝しろって五月蠅いのが誠実ならいっそ不誠実でええし、浮気してしまう自分に戸惑ってる奴の方がまだ根本的には信頼できるわ」とか
無職の良い所はリアリティの高さだからな
あれだけ変態だったルーデウスが30歳を越えてから性欲描写が激減したり、
そんな仲良いわけでもないナナホシに月1で差し入れを持って行ったり、
子供ができてから保守的になったり、無職の頃と転生後の対比が面白いんだよな
戦闘とか強さはおまけでしかない
自分がなろうが浅いって思う所は上っ面だけで取り繕った気になって作者の願望が浮き彫りになりすぎて矛盾ばかりの点がなぁ。
別の人のコメだけど、
この手のなろう作者と読者は設定、地の文、セリフの上っ面しか理解出来ず、描写から読み取る事が出来ない
っていうコメがあった。
アニメ化の中でも、国や世界の運命かけて召喚したのに、主人公に悲劇のヒーロー属性を付けるために、最初から切り札やその仲間をないがしろにして不信に思われる言動で自分の首を締める。
それに整合性を取った気なのか、周りをバカとクズの集まりにする。
目立ちたくない的な事を言っているのに目立つ言動ばかり。
しかも主人公上げの中で優秀アピールするのに、それが主人公本来の目的にはまったく生かされない。
自分でこんな言動をとっておきながら、心の底から被害者面。
まぁ、世の中沢山の作品があるから、商業だけ、なろうだけの設定なんて無いけど。
むしろ昨今の池沼なろうスターターキットだと
まだこちら読者側が主人公や作品自体のことすら様子見中で好きになっても興味持ってもいないうちに
池沼なろう民ホイホイの●●サイド主人公マンセーやひどい場合は過去編すら挟まれて興味持つ間もなく興味持つ気も失せるという、受け取りての感情や嗜好の推移を全く無視した作り手側の押しつけがましい自慰臭さがひどすぎると思う
なお昨今の少年漫画でも出来が悪く打ち切りレースで即沈むようなものは普通にその池沼なろうレベルのこっちが興味持ちたいところについては雑で低品質な癖に作者の自慰部分は無駄に露骨にしつこく押しつけがましく掘り下げられて辟易するパターンが非常に多いので、今となっては池沼なろうの特色と言うよりはレベルや質の低いカスの基本と言っていい
群像劇で面白い小説を読んだことがないとこういうスレを立てちゃうんだろうな
読書量の少なさが露骨に出る
アイゲスさん 2021年10月30日 4:45 PM 宛の返信
ツリー元とは脱線してきたのでいったん区切ります。
こちらのコメントに対する返信のほうが短い文章で済みそうなので、いったん先に。
王道作品うんぬんについての認識は、アイゲスさんと完全に合致してると思います。
自分の挙げた例は、源氏物語を除いて日本のサブカルにおけるオタク界隈のキャラクターコンテンツ全般がもつ性質の話でもあるので。
ラノベとかでもそうなんですが、「登場人物」と「作品世界ないし物語(運命)」について主従がどちらにあるのかで言えば、「登場人物」のほうにどちらかと言えば主がある、という程度の意図です。
したがって王道作品(メインカルチャー)ではない、という結論部分についてはおっしゃる通りです。
えっと、メスガキがどうこうっていう話については、わかったようなわからないような、、、笑
投影と感情移入を一緒くたにして同列に扱うのは大雑把に過ぎる、という指摘については確かにそうですね。これについては自分の認識を改めたいと思います。特に本好きの下克上を例にした、作者がどのような理由で嫌われうるのか、についてはかなり納得感がありました。なるほど……。
ただこれ、最終的には演出とか、アイゲスさんの言う「創作における作者と読者のコミュニケーション」の問題になってくるんじゃないかなあ、という気もします。
感情移入というのも、読者が作品内の登場人物に対して、その人が自分自身でないにもかかわらず、共感によってあたかも読者自身がその人物であるかのような感情を抱く、幻想する、ということですよね。
「感情移入は基本的には第三者視点で判断される物だ」
この辺りがピンときてないというか、ちゃんと自分が理解できてないんだと思います。
自分の感覚としては、端的に言って自身の様々な要素が不可分であるとは考えてないので、それぞれの登場人物について、それぞれの個別要素ごとに感情移入ないし投影ができてしまうので、投影と感情移入の具体的な線引きがわからないのかもしれませんね。理屈としては何となく理解できるんですが。
アイゲスさん 2021年10月30日 10:59 AM 宛の返信
自覚の有無と、その判断の基軸になっているその人の「現実観」の話ですか。なるほど。
先のコメントの前半部分の無職転生の解釈については特に異論もなく、あの二次創作についての感想もおそらく同様なので割愛します。
なお二次創作のほうはタイトルと冒頭の作者コメントを読んだ時点でブラバしてるので、自分は雰囲気だけで判断してます。
あと創作全般において、作者が明らかに多くの人に共感されないであろう特定の方向に振り切ってしまっている状態、これを笑える感性については、単に自分の悪趣味であり特殊なものだろうとは思っています。
えっと、たぶんこれが本題になるんだと思いますが、最終段落にあった
> 創作に対する基準と実際の ~ メタ政治のいくつかが土台になってその上に結論が乗っかる)
これについての私見を書きます。
この手の話、どこかでまとめることができればと以前から思っていたので書きますが、例によって長くなるので適当に読み飛ばしてください。
まず一連のコメントにおける「現実観」およびメタ政治(常識)について、
アイゲスさんのそれと自分のそれとの間では一定程度共有できるが、件のオリ主(作者)とその読者との間ではまったく共有できず、ゆえに両者のコミュニケーションが成立しない。それはなぜか。
という前提、および問いで話を進めても大丈夫でしょうか。ここが間違っていたら指摘してください。
①自覚の有無について(「忖度だと思っているのか思っていないのか」と言う認識について)
人がどのような対象について、どの程度自覚できるか、という認識能力については、
・個人差が大きい
・自分も含めて一般大衆の多くが非常に自覚的であれたことは人類史上ほとんどない
・もし自覚的であるように見えるのならそれは常識(アイゲスさんの言うところのメタ政治における価値観セット)を、成長過程の中で無意識下に内在化していくから(→各々が自分自身で判断、選択するための下駄をはかせてもらっている状態)
というのが自分の認識および主張の前提です。自覚を持つというのは、自己の外側に今までとは別の判断基準をもつこと、とも言えるし前述の比喩で言えば自分からあえて下駄を脱ぐ、ということでもある。またこれをさらに推し進めようとするのは、自身の自己同一性を担保するような精神基盤を足元から掘削機でがんがん崩していくような行為なので、それをやってしまえるのはよほどの人です。
したがって上記のような観点から言えば、件のオリ主(作者とその読者)にあらためて特異性を見いだすことはできない、という判断になります。
ただ、そもそも彼らにおそらく自覚がないであろうというのはいいとして、その先のもっと本質的な話、彼らの「現実観」や、もっと言うとなろう系周辺の文化における「現実観」に通底するもの、我々に抵抗感や忌避感をもたらすそれがいったいなんなのか、ということですよね。
②「現実観」の違いについて
結論から書くと彼らの「現実観」と、自分(もしくはアイゲスさんや読み速のコメ欄に書き込むような人達)の「現実観」には大きな違いがあり、そして彼らの「現実観」も単に無茶苦茶なのではなく、まさにここ十数年の日本社会に確実に呼応したものなのだ、と。
以下、いくつかの項目に分けて書きます。
A 自我の形態と構造の変遷について
B 現代においての主体性を持つことのデメリットについて(責任能力をあえて手放すことについて)
C 主体性による自由意志の放棄について
D 「自我の委託」もしくは「集合的自我」について
すいません!ここまで書いてまだまだ終わらなそうなので、続きはもう少し時間をいただいてから、後でまとめて書き込みます。こちらの長文を読むのもそれにレスするのも、けっこう大変だと思うので、そのあたりはどうぞよしなに。
長文ありです!
短く書いて上手い事言ったみたいな顔してるけど雑過ぎて浅いだけで実際には何も共有できてない
みたいなのより全然良いので大丈夫です!
書いてたらコメントキャンセル押してしまって消えたのでメモ帳インストールしましたが、タイムアウトなのでお待ちくだされ…
だいぶ遅くなりましたが、続きになります。
自分の主張の結論と主旨である、
もし今のこの日本の現代社会の時代背景や文化的背景を考慮するならば、なろう系周辺の文化における「現実観」については、それが単に異常なもの、かつ悪だとは断定することはできない
この主張の前提となる時代背景や文化的背景についての自分の認識を長々と書きますが、最後にはちゃんとなろう系の話に戻ってこれるはずです。たぶん……。
A 自我の形態と構造の変遷について
以下の二点を前提とし、またこちらの論旨の基点として、自分の主張を展開します。
a. 痛覚や原始的な快楽といった動物的な感覚とは別に、善悪や美醜についての感性や価値観、およびほか様々な認識ないし思考能力は、それぞれの生育環境、並びに各々の自由意志による主体的な情報の選択によって、後天的に獲得される
b. 自身の立ち位置(自己認識)は、自身以外の外部(例えば家族、学校、職場、地元社会、ネット上のコミュニティといった様々な共同体)との相対的な関係性に依拠する。
この上記のa. とb. が「現実観」の形成の基盤となる。
ものすごくざっくりした歴史観ですが、今回の話のためにポイントを絞る形で、以下にインターネットの発達に沿った「A 自我の形態と構造の変遷について」自分の認識を示します。ただし、各世代の定義は今回の話に限った便宜的なものです。
第一世代 インターネットの普及以前
a.
生育環境 → 身近な共同体(家族、学校、職場、地元社会など)
自由意志(による情報の取得先) → テレビ、新聞、書籍
b.
自己認識 ⇔ 身近な共同体 ← 「現実観」の基盤や大前提としての、もしくは「現実観」のあくまで補完としての全体性(社会体系)を規定するもの(様々な権威、国家、宗教など)
※情報は基本的にマスメディアから与えられるものであり、自ら望んだ情報を得るためのコストはそれなりに高かった。
第二世代 インターネットの普及期
a.
生育環境 → 薄まった身近な共同体+インターネット
自由意志 → インターネット、書籍、テレビ、新聞
b.
自己認識 ⇔ 薄まった身近な共同体+インターネットを介した文化やコミュニティ +薄まった補完としての全体性(社会体系)
※インターネットの発達によって自ら望んだ情報を得るためのコストが下がり、結果として与えられるだけの情報の比重は下がった。
第三世代 スマホ等によるインターネットの常時接続状態の恒常化以降
a.
生育環境 → 限りなく薄まった身近な共同体+濃くなったインターネット環境
自由意志 → スマホ、インターネット
b.
自己認識 ⇔ 全体性(社会体系)を規定するもの(最適解を自動で提供するシステム、各人が接続するメディア上の有名人など)
※物理媒体、電子媒体を問わず情報量はあまりにも膨大で、情報の取捨選択そのものが手間になった。
なお、第三世代についてはこれだけだと意味不明なので、後から少しずつ内容を補完していきます。
B 現代において主体性を持つことのデメリットについて
主体性とはなにか、この自分のコメント内では単に「自身で考えて行動できるあり方や性質」とします。そして先ほど同様に、各世代の主体性について考えてみます。以下、主体性と外部情報という両者の重み付けを記号で表してみますが、あくまでなんとなくのイメージなのでそこはご理解いただけると。
第一世代 主体性 > 外部情報
各々の所属する共同体か、もしくはマスメディアから与えられる情報による価値観に即した思考と行動が主で、他の価値観との比較にさらされることはあまりなかったんじゃないかと思います。また基本的には、差別や偏見、というほど大そうなものでなくとも、身近にあった思い込みや勘違いがまあまあ許されていて、それらは特に問題とされなかったのかなと。参考事例としては森元首相がポリコレ的にアウトな発言して会長を辞任したオリンピックの件などです。
第二世代 主体性 ≒ 外部情報
ネットによって情報が開かれ、思考の際の判断基準や材料を積極的に外部に求めるようになった。結果として各々の判断や主張、価値観というのは、他との比較にさらされやすくなった。参考事例は「ggrks」など。
第三世代 主体性 < 外部情報
ここ詳しく書きます。自分の主張の肝のひとつなので。
第三世代というのは主体性を育むという点において、実際かなり過酷な環境に置かれてると思うんです。主体性というのは「自身で考え悩み、自分で選び、自分で間違えて、自らが恥をかき、自らの考えを修正していく」というこの一連の過程を繰り返さないと育たない。ですが、生まれたときからスマホがあって、24時間ネットに繋がってて、自身が何をどうしても常に自身よりうまく事を運べる優秀な人が目についてしまう環境がある。
またtwitterみたいなSNSとか各種のメディアでも他責、他罰的な傾向が特にここ数年顕著なので、少しでも間違ったことを書いたり言ったりするとすぐに炎上したり晒されたりする可能性がある。こうした状況の中では自分で間違えたり失敗したりするということが、社会的にまったく許されないのだと無意識に感じてしまうのも無理はない。要は第一世代と違って井の中の蛙であることができない、育むべき自尊心の芽がそもそも出ようがない、ということなのかなと。
第二世代ではまだこうした事についての問題意識がおそらくあって。ネットの発達によって自分より優れた人ががんがん可視化された結果、「何物にもなれない自分たち」、つまり自分より優秀な人はいくらでもいる、自分は社会にとっていくらでも替えが効く存在なのだ、という嘆きがいろんな所で見受けられたんですが、第三世代においてはそれはすでに当たり前のことで、もはや諦観すらないのかもしれない。
また各種の統計に基づく、経済格差、教育格差、文化資本の格差、健康の格差について、これらのほとんどが親から子に引き継がれてしまう、連鎖してしまうとわかってしまったのも、主体性の喪失に拍車をかけてると思います。最近だと親ガチャなどの話題など。
自身で考えて何かをしても、叩かれるし、他人と比べられて惨めになるし、それが日の目を見ることはない、なんもいいことがない、とこういった現実に対する感覚がまずあって、それを疑うことなく受け入れているんじゃないかと。
C 主体性による自由意志の放棄について(責任能力をあえて手放すことについて)
主体性にからめた話をもう少し書きます。近代法(近代国家の法律)の大前提として、
人は個々に独立した存在で自らの精神によって意思決定ができる。したがってその意思決定による行動の結果には責任を問うことができる
という理屈がある。
また自由意志については、
自由意志とは、選択肢αと選択肢βの二つがあった時、主体性によってあえてどちらか片方を選ぶことができることであり、
また、もし人が自分の意志によってものごとを選択したいと思えば、あえて選択肢のどちらか片方を選ぶ/選ばないという行為の結果に対して、責任能力を問える状態が発生する
という理屈がある。
この両者についてですが、もし仮に人が自分の意志によってものごとを選択したくない、主体性を持ちたくない、と思った時、この論理においてはその人の責任を問えなくなる。たしかにこれはあくまで理屈の上での話なんですが、それを考慮しても第三世代にはこうした主体性による自由意志を持ちたくない、責任を回避したい、という傾向があるんじゃないかと考えてます。
D 「自我の委託」もしくは「集合的自我」について
ここまで書いた、主体性を持ち選択することに常にリスクがつきまとう、それを回避したい、という需要に答えているのがtiktokでユーザーインターフェースのあり方が、使用者に自ら選択するストレスを強いないような設計になっていて、どの動画を見るかは基本的にアプリ側のアルゴリズムによって勝手に選んでくれるんです。
またtiktokだけじゃなくて、最近のコンテンツを提供するようなスマホアプリも基本的にはランキングとおすすめがトップに来ることが多い。繰り返しになりますが、自身で見るものを選択しお気に入りリストなどを作ってしまうと、そこではやはりその人のセンスが問われてしまうことになるので。
この話も自分の意見というよりかは、以下のまとめを参考にしてます。
少年ジャンプ+副編集長が大学1年生から「漫画アプリのUIについて物申したい!」というDMが来て実際に会って考えが整理されて意義深い時間になったという話
https://togetter.com/li/1542477
もう一つ、ゲーム配信者とかYouTuberの話をします。
これについても同様で視聴者側がどのゲームで遊ぶのか、という自身の選択を、またそのゲームの何が面白いのか、という自身の感性そのものを配信者に委ねてる状態なんです。もっと極端な言い方をすると自分が楽しいと思ってるから楽しいのではなく、配信者が楽しそうにしているから自分も楽しい、といった在り方です。
具体例をもう少し挙げると、感性だけでなく社会における様々な「善悪」「正誤」についての判断なんかであれば、ひろゆきみたいな配信者とその視聴者が同様の構造をもってそうですね。これもやはり視聴者が「善悪」「正誤」についての思考、判断をひろゆきに委託している。
別記事のコメントでも書いたんですが、こうした上記のようなスマホアプリや配信者とその各々の受け手の在り方を、相互に補強しあう形で支えている価値観が、
支持した人の数 × 支持された時間の長さ = 選択をしないで済む最適解としての強度
という理屈であり、これが主体性を持つというリスクを取らない、コストを支払わない、という彼らにとっての合理性なんだろうと思います。つまり、
より多くの人が選んでいるならばそれが正解のはずだ。よしんば正解でなかったとしても多くの人が選んでいる以上、自分一人の間違いではないし、その間違いを選んだという責任についてはほとんどないに等しい。
というロジックが成立する。
このような状況やその構造を「自我の委託」、もしくは「集合的自我」と自分は呼んでいます。
(これについては完全にオレオレ用語とオレオレ定義です。中二病乙)
―――― まとめ ――――
なろう系の話にようやく戻ります。ここまでを踏まえた上での自分の主張の根拠を書くと、
「自我の委託」もしくは「集合的自我」における構造というのは、なろう系における作品と、書き手もしくは読み手の関係性とほとんど同じなのではないか
というものになります。むしろ時系列的に言えば、なろう系こそが先駆者であり最先端である可能性もある。
例えば、先ほど説明したスマホアプリのようなシステムが「作品世界」であり、ゲーム配信者とかYouTuberが「主人公(または主要な登場人物)」に当てはまると考えると、主人公の思想や価値観はやはり、合理的であり、洗練されており、革新的であり、大多数に受け入れられるものでないといけなくなるんですよ。
なぜなら読み手はコメント前半のBで解説したように「自身で考え悩み、自分で選び、自分で間違えて、自らが恥をかき、自らの考えを修正していく」という自由意志に伴うリスクとコストを避けるために「自我を委託」し、また書き手への対価としてPV数や評価や感想などで貢献しているからです。
したがって、なろうで主人公が挫折したり葛藤を抱えたりすると、感想欄で文句がでたり大量に離脱者が出て如実にPVが減ったりというのも、この「自我の委託」と「集合的自我」でだいたい説明ができる。ある意味では主人公の挫折は読み手に取って裏切り行為になるんでしょうね。すごい関係性だなとは思いますが。
また、主人公が全能な存在であることを保証されている点についても「自我の委託」と「集合的自我」で説明できるんですが、また長くなるので省略。
結論としてはこうしたことを考えるに、やはり彼らの「現実観」というのは、なろう系の作品に明らかに投影されているなと。
最後に、念のため自分の立場をもう一度書きますが、自分自身はAで言うところの明らかに第二世代なんですよ。どう転んでも。
だから最初になろうの日刊ランキングとか見たときは、本当に理解も共感もまったくできなくて。
ただ彼らというか、第三世代については本人が好むと好まざるとにかかわらず、時代背景や文化的背景からそのような在り方しかできない状況に追い込まれてるんじゃないかな、とも思うので、ここまで自分が記述したような説の可能性に思い至ってしまった以上、一方的に彼らを批判する気になれなくなってしまった、というのはあるかもしれませんね。
多かれ少なかれ人はその精神活動の成立を外部に依存している。Aで説明したことを各世代ごとにまとめると、
第一世代 自分で考える > 思考を外部に依存する
第二世代 自分で考える ≒ 思考を外部に依存する
第三世代 自分で考える < 思考を外部に依存する
単にこれだけの違いであり、見方によってはその在り方に明確な優劣はつけられず一長一短である、とも言える。
ここまで本当に長くなってしまったんですけど、この自説についてはまじで穴だらけなので突っ込み等があれば歓迎です。
以上、長々とお付き合いいただき、どうもありがとうございました。
作品の深さは、設定の量で言い換える事が出来るで
ちゃんと設定を守るのも条件
因みに舞台設定よりもキャラクター設定の方が受け入れられやすい
素人で技術も経験の蓄積も読書量(つまりインプットとアウトプット)もプロに比べたら少ないんだから
無理にオリジナルな物や重厚なストーリーや複雑なプロットを描こうとしても、
無理でないしても難しかったり非常にレアなのは当たり前田。
漫画だとたまにどえらい新人がぽっと出てくることがあるけどね。
そもそも重厚で深みのある作品じゃなくてもいい、
誰でも書けてヒーローになれるのが小説家になろうの原点ではないだろうか。
もし仮にそのような傑作が書けたとしても小説家になろう住民読者がそれを望んでいるだろうか?
はたして評価されるか?理解できるのかって問題もある。
評価されずに辺境で密かにエターナってたりして
それと前々から思っていたけど、小説家になろうでは毎日連載される連載は高く評価されるが
長い目で創作物として見た時毎日連載みたいなのはクオリティを下げ、
自ら首を絞めるような要素なんじゃないかな。
勉強すればいいんじゃないでしょうか…
世の作家も得意分野だけで勝負しているわけないので
書きたい話の為に資料を集め調査をして勉強を繰り返し実践もして体験と経験を積み糧として作品に取り込むのです
仕事じゃないからそこまでやらない?
だから仕事にならないのでは…?