【晒し】たとえ道半ばで力尽きても

こんにちは、管理人です。

 

まずお知らせから。

「読み速」更新停止の予告で、「3月には閉鎖(消去)を予定」と申し上げましたが、もしかしたら収益が維持費を上回るかもしれないので、いったん放置して様子見します。

晒しに参加していただいた作者さんの受賞・書籍化報告や雑談など、コメ欄は自由に使っていただいて構いません。

もっとも、アクセスはさらに激減するでしょうし、収益が維持費を下回り次第、予告なしに閉鎖させていただきます。

 

閉鎖とは別に、公開から何年も経過した古い記事は近日中に削除します。

※すでに何度か行っていますが、Google様に怒られた記事はその都度消させていただいております。

 

あと、今月末の最後の更新で、また創作に関する私見を投下したいと思っています。

 

それでは、管理人作品をご覧ください。

原稿用紙で16枚程度の掌編ですが、お楽しみいただけたら幸いです。

ご意見・ご感想をお待ちしております。

「子供の頃のことならよく覚えているんだ」

 窓の外の雨を眺めながら、勇者グレイはポツリと言った。

「とにかく勉強が嫌いでね。二年生の頃にはもう授業についていけなかった。自分はバカだから兵士になろうと思って、浜辺に下りて、波を相手に剣ばかり振っていた。試しに出てみた御前試合で優勝して、気付いたら勇者として旅立っていた」

 神官シェリルは傍らの椅子に腰かけ、静かにグレイの思い出話を聞いている。

「勉強が嫌で勇者になったのに、結局勉強で苦労するなんて、皮肉なもんだよな」

 机に広げられた冊子には、小さな文字でびっしりと祝詞が記されている。
 水の神ウンディーネの加護を得るためには、明日の儀式で完璧に諳んじなければならない。わずかでも間違えれば次の満月まで足止めとなる。

「お勉強というほどではありませんわ」
「君にはそうだろうけどな」
「覚えるまでお付き合いします」

 グレイは冊子に目を落とす。
 文字の群れを見て即座に、剣を振りたい、という思いが頭をよぎる。
 逃避癖がついていた。

「旅立って思い知ったよ。素振りはバカでもできるけど、旅はバカじゃできないな。こういう試練もそうだし、地図とか路銀とか食糧とか、頭を使うことがやたらとある。シェリル、君がいなきゃ、とてもここまで来られなかっただろう。感謝している」
「身に余る光栄です。けれど、勇者様はおバカじゃありません」

 シェリルは世辞で言うのではない。
 グレイの言葉づかいは理性的であり、物事を筋道立てて考える基本的な力は備えている。本人に自覚はないが、剣を使う上でも高度な判断力を発揮している。
 しかし、記憶。
 何かを覚えるという行為が、彼は徹底的に苦手であった。

「今までいくつもの危機を乗り越えてきたではありませんか。この試練もきっと乗り越えられます。さぁ、もう一度最初から」
「わかった」

 グレイは瞳を閉じる。

「清浄なる水の神ウンディーネよ」
「いきなり違いますわ」
「……」
「清浄なるではなく静謐なるです」

 二人の間に流れる静寂を、雨音が優しく包む。

「やはり俺はバカなんじゃないだろうか」
「そんなことありませんわ」
「でも最初の一言も覚えられない」
「いま覚えたでしょう? こうやって、一語一語覚えればいいのです」
「そうか」
「さ、もう一度」
「清浄なる水の……水の……何だっけ」
「神ですわ」
「……」
「そこ忘れるってことあります?」

 やはり俺はバカだ。どうしようもないバカなのだという自虐、すなわち雑念が、余計に学習を妨げていた。
 もしも幼少期、学校教育が暗記を主体としたものでなければ、彼はここまでの苦手意識を持たずに済んだかもしれない。

「もう一度、一緒に読み上げてみましょう。目で見るより音で聴いたほうが覚えやすいかもしれません」
「あのさ」
「? はい」
「ちょっと、待ってもらってもいいか」
「ええ。一休みしましょうか」
「いや、疲れたんじゃなくて……」

 グレイはこめかみに人差し指を当て、眉間に皺を寄せた。

「……思い出せない」
「清浄なるですわ」
「そこじゃない。えっと、何だ。今から変なことを訊くけど、笑わないでくれ」
「私の名前はシェリルですわ」
「それじゃない。さすがに忘れない」
「うふっ、嬉しいです」
「ウンディーネの加護を得るのって……何のためだっけ?」

 ちょうどその時、雨が止み、室内は完全な無音となった。

「バカですまない」
「大丈夫です、勇者様。私がちゃんと覚えております。ウンディーネの加護は、水柱の術を強化するために必要です」
「そうか! そうだったな!」
「思い出せて何よりです」
「目的を忘れるなんて、俺はとんでもないバカだなあ、はっはっは」
「勇者様は大変なご苦労をなさっていますもの。物忘れぐらい仕方ありませんわ」
「はっはっは、いやー、まったく……」
「……」
「……それで、水柱の術を強化するのは、何のためだっけ?」
「邪竜フィニルフの角を狙うためですわ」
「ああ、そうだったな! 思い出した」
「うふふ」
「で、その……」
「邪竜フィニルフを倒すのは」
「察してくれてありがとう」
「その鱗で盾を作るためですわ」
「そうだったな」
「竜鱗の盾は炎の蛇バリクスの吐息を防ぐために必要です。バリクス討伐の報酬としてアロワ王より砕霧船をいただき、その船でガリア湖の小島へ渡り、雪待草を手に入れます」
「あー、雪待草ね! 思い出した」
「その先は大丈夫そうですわね」
「ごめん無理」
「雪待草は賢者オーヴァンの病を治すお薬となります。賢者より月影の術を教わり、その術で獅子王キキーラの双頭を同時に撃破します。獅子王には五万マルギットの懸賞金がかけられていますわ」

 繰り返すが、グレイはバカではない。よって気付いた。
 あれ、そこまでして、金?
 ずいぶんあちこち遠回りして、目的は懸賞金?
 それまでの経費も考えたら、他の方法で稼いだほうがいいのでは?
 いやいや……と、勇者は脳内で首を振る。
 この美しい神官は俺より何倍も賢いのだ。俺が考える程度のことはとっくに検討済みのはず。
 自分には剣を振るしか能がない。頭を使うことはすべて彼女に任せよう。

「五万マルギットあれば、風渡りの靴がニ足買えます。それで西風の嶺に登り、妖精の村で千年花の指輪を手に入れ、その指輪と交換でヨダの鏡がいただけます。ヨダの鏡に姿を映した者は秘められた力が解放されると言われていますわ」

 おや?
 グレイはまた気付いた。
 なんか急にふわっとしてない?
 何も秘められてなかったり大した力じゃなかったりしたらどうするんだろう。
 と、思いながらも顔には出さない。バカは黙っているべきなのだ。

「秘められた力があれば、きっと巨人ウルガンドとも渡り合えるでしょう。巨人の兜には七星の石の一つ、嘆きのサファイアが埋め込まれています。七星の石をすべて集めるために私たちは長い旅をしているのです」
「うんうん、そうだったな」
「思い出していただけたのですね」
「一応確認なんだが」
「何でしょう?」
「七星の石を全部集めるとどうなるんだっけ?」
「それはもちろん……」
「……」
「……うふふっ! 嫌ですわ勇者様ったら。からかわないでくださいまし」
「はっはっは」
「そんな大切なことをお忘れになるわけがありませんわ」
「そ、そうだよなあ、ははは」
「ふふ、まったくもう」

 ……。
 こいつ、忘れてね?

 勇者の背筋を冷たいものが走り抜けた。
 自分は何一つ覚えていないのだから、相手を責める道理はないが、責任の所在はともかく、非常にまずい。
 集めれば自動的に何か起こるならいい。そうでなかったらどうする? どこかへ捧げるとか、並べて突くとか、そういった作業が必要なのか?
 シェリルは、その点は覚えているのか?
 怖くて聞けない。
 まぁ待て。誤魔化して笑っているのでなく、本当におかしくて笑っているのかもしれない。そちらの線も十分に考えられる。

「それでは、パパッと覚えてしまいましょうか」
「そうだな!」

 最悪、シェリルが忘れていたとしても、きっと集める過程で思い出すだろう。目先の目的さえ忘れていた自分にはとても無理だが、彼女ならきっと大丈夫だ。
 あれこれ気に病んでも始まらない。
 余計なことに脳の容量を割かず、忌々しい文字列を覚えてしまうのだ。これを覚える目的は先ほどのショックで忘れてしまったけれど、シェリルに聞けばまた優しく教えてくれるだろう。

 ■ ■ ■

「ついにやりましたわね」
「ああ、ここまで長い旅だった」

 妖精の村において千年花の指輪を求めた際、指輪職人が行方不明で、その足跡を浮かび上がらせるためのクロユメアゲハを捕まえるために雨絹の網を作るためにミカミの里で巨人ウルガンドに匹敵する強さと言われる巨人ハディカーンを倒す……という、なかなかの寄り道を強いられながら、とにかく二人は七星の石を集め終えたのである。
 ウルガンドに匹敵する強さの巨人に勝てたならもう秘められた力いらなくね? と勇者は一瞬思ったが、もちろん黙っていた。
 問題はここからである。

「とうとう揃ったのですね」
「うん」
「感無量ですわ」
「まったくだ」
「すごく綺麗……大変な思いをして集めたからこそ、こんなにも美しく見えるのでしょう」
「ああ、そうだろうな」

 感慨に浸っているフリで誤魔化しているのでなければいいが……という予感は、残念ながら悪いほうで当たっていた。

「あの、勇者様、その……ごめんなさい」
「何だ?」
「これを、この後どうするんでしたっけ」
「……」
「本当にごめんなさい」
「謝らないでくれシェリル」
「ぐすっ」
「君のせいじゃない。俺も覚えているべきだった」
「いいえ! お任せあれみたいな雰囲気を出していた以上、私が覚えていなければなりませんでした」
「そんなに自分を責めないでくれ」

 神官シェリルは瞳に涙を溜めて、

「うう……ちゃんとメモっていれば……」

 と言った。それを聞いて勇者グレイは、

(本当にそうだな……メモ、大事……)

 と思った。

「一体なんとお詫びすれば……」
「忘れてしまったものは仕方ない。これからのことを考えよう」
「でも、そのこれからがわからないのですわ」
「いつか言っただろう? 俺は、子供の頃のことならよく覚えている」
「……?」
「いったん故郷に帰って、これまでの旅をもう一度辿ってみよう。かなり遠回りになるけど、きっとそれで思い出せる」
「す……素晴らしいですわ勇者様! こんな賢い方と旅ができて、私は幸せ者です」
「大袈裟だな君は。さぁ、行こう」
「はい!」

 賢い人間が旅の目的を忘れたりするだろうか……と思いながら、グレイは故郷の港町へ向かって一歩踏み出し、シェリルはその背中に熱い視線を送っていた。

 ■ ■ ■

 勇者の凱旋は、これで五度目であった。
 もちろん本人は覚えていない。

 久々に父の顔を見た時、グレイは「あれ、祖父?」と思った。
 短い間にずいぶん老けた。苦労が多いのだろうか。

 歓迎の宴。盃が交わされる。町の名物、キラダイの煮付けが大皿に盛られて輝いている。
 家族も村人たちも、懸命に取り繕い、笑顔で迎えようと努めた。

「どんどん食べてね!」
「お魚おいしいですわ、お母様」
「ありがとシェリルちゃん。ところでうちの息子とはぶっちゃけどうなの?」
「お袋!」
「おばさんは正直お嫁に来てほしい」
「息子の目の前でぐいぐい行くのやめろ」

 だが五度目ともなれば綻びが出る。そこかしこに見え隠れした――気が触れてしまった若い二人への憐れみが。
 用を足して戻ってきた時、グレイは誰かが小声で話しているのを聞いた。

「もういい加減、見てらんねぇよ……」

 しかしその言葉が自分たちに向けられたものとは気付かない。

 とっくに次の勇者が選ばれ、旅をしている。
 グレイは旅の最中、何らかの理由で正気を失い、未だに自分が勇者だと思い込んで、方々を彷徨っている狂人だというのが、村人たちの一致した見解であった。

 当たらずとも遠からずである。
 狂ってはいない。
 術をかけられている。
 無間の術――他人の運命に干渉する禁術。かけられた者は肉体の老化速度が五分の一になり、指定された行為を死ぬまで繰り返す。また、自身が術をかけられていることに気付き得る情報は遮断される。
 グレイの「指定された行為」とは、旅そのものである。魔王を倒すことは行為の終わりを意味するため、永遠に倒せない。

 ■ ■ ■
 
「そろそろ来る頃だと思っていたよ」

 占い師マースマーズは眼鏡をかけ直しながら言った。
 五度目である。
 気の毒なほど、正確に二年おきであった。

「七星の石はゴゴ砂漠の安らぎの祭壇に捧げるんだ。そうすれば蜃気楼が消えて、本物のガ・ランの塔に入れるようになるからね」

 八年前、二度目に二人が戻ってきた時、博識なマースマーズは気づいた。
 もしや、無間の術では。
 弟子たちを動員し、勇者たちの旅路を探らせた。
 一体どこで、誰に術をかけられたのか? 術師を見つけ出し、倒せば解ける。
 しかし、何一つ手掛かりが得られないまま、捜索は一年後、次の勇者の旅立ちと共に打ち切られた。
 苦痛を伴う術ではない。先々での善行や魔物退治は、公共の福祉にもなっている。ならば……放置も許されよう。追求すれば、関わった第三者にも危険が及びかねない。
 魔王はきっと次の勇者が倒す。グレイたちは目的に向かっていると信じ、支え合って生きている。それで良いではないか。たとえ虚構であっても。

「石の置き方に気をつけな。右から、白・青・橙・緑・黒・赤・紫の順で並べるんだ。覚えたかい?」
「マースマーズ様、もう一度お願い致しますわ」
「白・青・橙・緑・黒・赤・紫」
「覚えました。ありがとうございます」

 この時勇者は、また何かを忘れているような感覚に囚われていた。
 なすべきことは占い師がすべて思い出させてくれた。ガ・ランの塔を登って聖剣シャンダールを手に入れ、その剣で黄泉の岩戸を断ち割り、先代勇者の魂を呼び戻して最強の剣技を教わる。
 道筋は明らかだ。忘れていること? 一体何だ?

 そう、メモである。
 旅の計画も石の配列も、記憶に頼らず、メモるべきだ。まさか忘れまいとその時は思うことでも、驚くほどあっさりと忘れてしまう。
 メモを取ることを、学んだはずであった。そのきっかけは当然忘却の彼方であるが。

 勇者はメモることを忘れてしまいながらも、砂漠越えの支度は万端であった。
 ラクダニ頭と水と毛皮。食糧となる甲虫を捕える罠。
 灼熱の昼間は岩陰で休み、夜中に毛皮を羽織って進む。
 ラクダの背に揺られ、銀色の満月に照らされた神官シェリルの横顔は、この世の奇跡とも言うべき美しさであった。

「聞いてくれ、シェリル」
「何です、勇者様」
「こんなこと、魔王討伐を心待ちにしている人々の前ではとても言えないが……」
「……」
「たとえ魔王に敗れるか、あるいは、旅の途中で力尽きたとしても……」
「……」
「信頼できる人と力を合わせ、目的に向かって邁進できた。それだけで、俺の人生はずいぶんと幸せだと思える」
「……」
「いや、勇者が自分の幸せなんて考えちゃいけないよな。軽蔑するか?」
「……」
「どうしたシェリル、なぜ黙っている」

 まさか、気付かれたか? 自力で解けるはずは……いや、解けない保証などない。かくなる上は、殺るしか――
 戦慄がシェリルを沈黙させた。
 恐る恐るグレイの目を見ると、

「もう一度言う。君と旅ができて嬉しい」

 その眼差しは純真そのものであった。
 やけに改まった言葉は心から出たもので、裏の意図などどこにも無かったのである。

「私もですわ、勇者様」

 ■ ■ ■

 魔王が打ち倒されてから三百年後、海辺の廃村を見下ろす小高い丘の墓地で、静かに手を合わせる老夫婦の姿があった。
 旅装。
 その旅の目的は誰も知らない。
 しかし、仲睦まじく歩く姿は人々の心に光をもたらした。今では「聖なる夫婦」と呼ばれ、信仰の対象となっている。
 
(了)