残像に口紅を
カバー・扉=舟越桂(協力=西村画廊)/本文イラスト=山内ジョージ/発行所=中央公論社

漫画『スラムダンク』の高頭監督が言っていたように、「奇策」というものは現実にはなかなか成功しないものです。風変わりな作戦が華麗に決まるのはフィクションの中の出来事で、実際には正攻法が一番強いものです。強いから正攻法だとも言えます。

それはスポーツや戦争に限らず、創作の世界でも同じことです。奇策を弄するものではありません。「今までにない斬新な手法で作りました!」と言われても、ほとんどの人は真に受けないか、期待しないでしょう。手法になんかこだわっていないで内容で勝負しろ――と思うでしょう。

「使える五十音を少しずつ減らしていくという奇策を用いて書かれた小説」と聞いて、百人中何人が期待を抱くでしょう? ピュアに「面白そう!」と思う人は稀で、「試みは面白いと思うけど内容は期待できない」とか、「最後までやり切った努力は認めるけど内容は期待できない」と思う人が大半なのではないでしょうか。
しかし、作者は鬼才・筒井康隆です。『残像に口紅を』は奇策の成功例です。

前述の通り、この作品は「使える音を少しずつ減らしていく」というルールで書かれています。『世界から「あ」を引けば』という章から始まり、平均約3.5ページで章が切り替わって、使える音が1つずつ消えていきます。濁音は別の音扱いです。消えた音は会話文でも地の文でも使えず、「主人公がその音を含む名前で認識していた物体や人物」も世界から消失します。

こんな面倒くさいルールを定めながらしっかりとボリュームのある長編小説になっているという、その一事だけをとってみても文学史に残る偉業です。男尊女卑的な根性だけはもう時代遅れと言わざるを得ませんが……



もしかしたら、映画にもなった『世界から猫が消えたなら』という作品を思い浮かべた人もいるかもしれません。しかし、消失というキーワードが一致しているだけで、テイストは真逆です。あんなセンチメンタルではなく、『口紅』は暴力的で、ブッ飛んでいます。

主人公・佐治勝夫の職業は作家で、限りなく筒井先生本人であろうと思われます。文章の中で露骨に読者を意識したり、この「実験」の意義を自問自答したりしています。そもそもの実験のルールも冒頭、評論家との話し合いの中で決められ、後々補足されたりもします。主要な登場人物たちが「虚構」であることを自覚し、考察し、これは虚構なのだと脇役に明かすことさえ辞さないのです。このように、ひどくメタ的でありながら、確固たる場面の推移があり、「冒険」と呼べるほどの動きを伴っているのがこの作品のすごいところです。

「ドレミファソラシド」から「レ」と「ラ」を抜くことで沖縄音楽の音色になるように、音が抜けていくことで、地の文や人々の言葉も少しずつ変化していきます。しかも、苦心の痕跡を残さず(実際には苦心したかもしれませんが)、楽しみながら、軽やかに書いているのです。崩れる橋をスキップで渡っているようなものです。筒井先生の語彙力は流石というほかありません。



音が30個以上消えたあとから、突如、主人公の自伝が始まります。

言葉が足りないままで語ることを何者かから認可されてやっと語り継いでいくことができるといったていのものだったのかもしれない。なまなましくなることを恐れるのではない。語りにくさは両親のやや常軌を逸したその逸し加減だ。
(筒井康隆『残像に口紅を』p.174/発行所=中央公論社)

制限ができたことで、むしろ自由になったわけです。「失ってから大切さに気づく」なんてことは誰にでも思いつきますが、「言葉が不自由になって初めて語れることがある」というのは、この実験の大いなる成果の一つと言えるでしょう。




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